第2話 いや、やっぱり信じられない。
セシル、と名前を呼べば「はい」と返って来る。その声は、今までの冷淡さはなんだったの? と問いたくなるほどにとろけていた。
――いやいやいや、なに伝えられて良かったみたいな顔してるの。
一人だけスッキリしたような態度を取られてもこちらは納得できない。
「あなた、それ本気で言っているの?」
「私は冗談など言いませんよ」
「……とりあえず、跪かれていても困るから! 隣に座ってもらえるかしら」
私の要求をすぐには受けかねたのか、彼は立ち上がったもののその場から動こうとしない。
「セシル」
「そのソファの大きさでは、身体が触れてしまいそうで……今も言った通り、私が貴方に触れるわけには……」
なにやらごちゃごちゃ言っているセシルを軽く睨んで、自分の隣、空いている座面をトントンと叩く。
「いいから座りなさい」
9歳年下の旦那さまに命じれば、ぴくっ、と肩を震わせた彼はおとなしく隣に座ってくる。しかし、本気で触れてはいけないと思っているようで、必死に私とは反対側の肘置きに身体を押し付けていた。
――なにこの生き物。
ふるふると小さく身体を震わせている男は、あの第二騎士団の氷晶の閃光とも言われているセシル・ベルトランとも思えない。
「狭いでしょう? もっと近くに……」
こっち、と彼の袖を引けば、バッと払われた。過敏な反応に驚いた私に、彼はすぐに顔色を悪くして頭を下げた。
「あ、ごめんなさ……」
「おっ、俺こそ申し訳ありません。あの、あまり触れないでいただけると、その」
「そんな態度を取られて、好きだと言われても……ねえ?」
簡単には信じられない。
そう告げればセシルは真剣な顔になる。
「お慕いしております」
「言葉だけでは足りないわ」
言うだけなら、いくらでも嘘は吐ける。私は、同情するような顔と言葉の裏で嘲るような人たちを多く知っている。
「どうすれば信じていただけますか?」
「そうね、例えば」
本当に私が好きだというのなら。
汚れた女だと思っていないというのなら。
「好きって言葉と共に、抱きしめてくださる?」
「?!!!」
そうねだれば、彼は露骨に狼狽えた。
「それは……」
「出来るの? 出来ないの?」
「……っ、出来……」
セシルはそのまま、私から視線を逸らして黙り込んでしまった。
――この言葉、信じても良いのかしら。
私は、もう軽く5分は黙り込んでいる彼を眺めながら思っていた。そして、彼から結婚を申し込まれた日のことを思い出していた。
「ミア! お家の方がお呼びよ!」
いつものように孤児院でお手伝いをしていたところに、若いシスターが慌てた様子で走ってきた。洗濯物を取り込んでいた私は、あれよあれよという間に待っていた馬車に乗せられて家に帰らされる。出迎えてくれた両親は号泣していて、なにが起こったのか理解できないままソファーに座らされた。
「ミア、落ち着いて聞いてくれ」
「お父様が落ち着いてくださいな」
目も当てられないほどに泣いている父は基本的に喜怒哀楽のはっきりしている人で、いつものことだとつい冷たく返してしまう。しかし父は私の言葉など聞こえなかったかのように、ハンカチで涙を拭いながら続けた。
「お前に結婚の申し込みが来たぞ」
「……結婚の申し込み、ですか?」
まさかそんなことがあるはずがない、と半笑いになる私に、父は興奮した様子でテーブルを叩いた。
「お相手はあのセシル・ベルトラン卿だ。わかるか? 若い。有望株。浮ついた話は聞かない。確実に初婚。ただ金と地位だけあるスケベ爺ではない!!」
この喜びがわかるか?! と父はなおも興奮している。
「お父様? あの」
「お前、どうしてそんなに落ち着いているんだ! ミアが欲しいと言ってきたのは、第二騎士団の副団長、先日爵位を授けられたあの氷晶の閃光だぞ?! これを喜ばずにどうしろと言うんだ」
父の言葉に、私は数度瞬きをして口を堅く引き結んだ。
セシル・ベルトラン。それは、社交界に疎い私でも噂話を聞いたことがあるくらいに有名な人の名前だった。
平民出身ながらも戦場での鬼人のごとき働きによって武勲を立て続け、更には共にドラゴン討伐に参加していた隣国の聖女――しかも身分としては姫君を身を挺して守ったとかいう輝かしい逸話を持つ青年。隣国の王からの姫の夫に、という申し出を「私は祖国に生涯を捧げると心に誓っております」と断ったとか。
ここまでくると、どれが本当でどれが盛られた話なのだかもわからない。そんな彼は、騎士としての実力だけではなく、その見た目の美しさからも若い娘たちの視線を集めていた。
今まで浮いた話は一つもないらしいが、数十年に一度襲ってくるというドラゴンの討伐に成功したこと、そしてこれまでの数々の働きと人柄が認められて爵位持ちになったことで、その注目度は高くなるばかり。彼とのご縁を求めて着飾って夜会に参加する娘たちが増え、ドレスや宝石、香水などを扱う店が繁盛しているとかなんとか。
しかしそんなのは私には関係のないこと。そう思っていたのだが――
「何故私なんですか」
「私たちが知るわけないだろう。だが、申し込みがあったのは事実だ」
「なにかの間違いでは?」
「お前には悪いが私たちだって使者に聞き返したさ。しかしお前で間違いないそうだ。オレンジベージュの髪にライラックの瞳、今年30のルノー子爵家の令嬢と言ったら、お前以外にはいないだろう?」
「……年齢、言う必要ありました?」
父が手渡してきたのは、確かに私との結婚を望んでいるという手紙で、そこに書かれていたのは間違いなくセシル・ベルトランという本人の直筆サインと思しきものだった。全く意味が分からない。
「だから、何故」
「わからないけれど、でも是非にというお話なのよ。これを逃したら、あなたもう絶対に結婚出来ないでしょう? このチャンスを棒に振るなんてこと、しないわよね?」
穏やかな口調で上品に涙を流しながらも、母からの圧が強い。もう30にもなるのだ。結婚なんてしなくていいのです、と言っても、父とラブラブな母からすれば結婚こそが女の幸せなのだろう。それだけが幸せではないと思います、という私の言葉にも「貴女は愛し愛されることの素晴らしさがわかっていないだけ。女は愛されてこそ輝くのよ」と耳を貸してはくれない。
その考えはこの国ではごく一般的なものだから、母が特別に夢見がちなわけでもない。それをわかっているから、小さく唇を噛むことしか出来なかった。
筆者注:セシルの一人称は書き間違いではありません。
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