「貴方が尊すぎて触れられない」拗らせ騎士な旦那さまはド真面目にそう宣った。
二辻
第1話 塩対応な旦那さま、実はかなりの拗らせでした…?
黒龍討伐を成功させた騎士団への慰労会――と銘打たれたパーティ会場が近付く。
相変わらずこちらを見ようともしない我が旦那さまは、銀の髪にアイスブルーの切れ長な瞳という整った横顔をずっとこちらに見せていた。
「……あの」
「はい、なんでしょうか」
静かに声をかけられる。真っ直ぐに彼を見つめたまま返事をすれば、視線だけで私を見た彼はすぐに目を伏せる。
「そのようにずっと見つめられていると、落ち着かないのですが」
「それは失礼。馬車の中では、他に視線のやり場がないもので」
にこりと微笑んで答えれば、端正な顔が一瞬不快そうに歪む。
――相変わらずね。
彼のこの態度は今に始まったことではない。初対面から、彼は私をまともに見ようとしない。言葉をかわすのも最低限。しかし、そんな彼の態度に今更傷つくことはないし、慣れてしまっていた。
「あら。もうすぐ着くようですよ」
周囲の風景を見て、もうすぐ目的地だと伝える。彼は真っ白な城を見て――心底不愉快そうに顔をしかめた。
「参りましょう、旦那様」
「その呼び方は……ああ、なんでもありません」
こちらから手を差し出すと、彼はそっと手を添えてくれる。会場に一歩踏み入れれば、想像以上の視線が突き刺さってきた。
「セシル様よ!」
ひそひそと囁かれる黄色い声。噂では知っていたけれど、私の旦那様、セシル・ベルトランはやはりかなり人気があるようだ。
「隣の女性は……?」
「ご存じないの? セシル様先日結婚なさったのよ」
「えっ?! あんな年増がセシル様の……っ?!」
――聞こえてる、聞こえてる。全部聞こえているわよ、お嬢さんたち。
確かにまだ若い22歳のセシルに対して、私はもう30歳だ。女性が年上の8歳差は大きいだろう。若い娘さんからしたら、憧れの君の連れ合いとして納得できるものではないだろう。
しかし、そんなのを気にして背中を丸めたら余計にみっともなくなる。私は澄ました顔で、彼にエスコートされながら会場内に足を進める。それにしても、うん、視線が痛い。
セシルに対する熱視線と、私に対する興味、好奇心、嫉妬、それから――
「あれだろう、ルノー子爵家の一人娘。もう10年は社交界に顔を出していなかったはずだが」
「……ああ、例の」
「よく顔を出せたものだな」
「いや、それよりも何故あのセシル・ベルトランがアレを娶ったのかわからんな。ルノー家は特に裕福でもないだろう? どんな弱みをにぎられているのやら」
侮蔑のこもった、嘲るような視線。
――この視線にさらされるのも久しぶりね。
これがあるから、パーティなどには顔を出したくなかったのだ。でも、国王様直々の招待となれば、妻として同行しないわけにもいかない。ふぅ、と小さく息を吐けば、私の陰口を叩いていた連中の視線から庇うような位置に移動してきたセシルが「お疲れではないですか?」と尋ねてくる。
「あれくらいの移動で疲れてしまうほどに柔ではないわ」
「……そうですか」
せっかくの気遣いを無駄にしたつもりはなかったのだけど、セシルはまた視線を背けると私から少し距離を取った。パーティが始まり、国王様から騎士団への労いの言葉が掛けられる。そして、それが終わると歓談の時間。その途端に、じりじりとこちらへにじり寄ってくるご令嬢が数名いた。
「セシル様、ごきげんよう」
「ご無沙汰しております、ナディア様」
その中から侯爵家のご令嬢が声を掛けてくるから、私はさり気なく彼から距離を取る。若い人は若い人同士……ではないが、明らかに敵意のこもった視線を向けられなくて済むのなら、その方が気が楽だ。
「この度のご活躍、耳にしておりますわ」
「……ありがとうございます」
セシルは丁寧に頭を下げる。しかし、その顔に笑みはない。
「セシル様がとどめをさされたのでしょう? 詳しいお話、伺いたいですわ」
「聞いていて気持ちのいいものではないですよ」
「あら、そんなことはありませんわ。憧れの方のご活躍をご本人から伺える機会なんて――あら、いやだ私ったら」
ご令嬢は、ついうっかり口にしてしまった、とでも言いたげな様子で恥ずかし気に扇で顔を隠す。
――いやいや、そんなわけないでしょ。
どう考えてもわざとだ。自分がセシルに好意を寄せていることを隠す気もないらしい。まあ、私の実家よりも上の家柄。彼に釣り合う年齢の美しい若い少女。彼女がその気になれば、我が家などどうとでも出来るのだろうし、だからこそ、書類上の妻が近くにいたところで気にする必要はないのだろう。
「いつも通りに戦っただけです。私が最後の一撃を打ち込めたのも、皆の協力があってこそです。私一人の功績ではありません」
「謙虚でいらっしゃるのね。そういうところも魅力的ですわ」
うっとりとした顔でセシルを見つめるご令嬢。
――若いわねぇ……
細かな泡の立ち上っているグラスを少し揺らして、私はそこに口をつける。
――あら美味しい。
さすがは王城で開催される祝賀会、用意されている料理もお酒も全部が上等なものだ。セシルの周囲からご令嬢方が離れる様子はなく、ダンスに誘われているようでもあった。
――まあ、頑張って。
私には関係のないこと、と思いながらカナッペに手を伸ばす。そこに「ミア嬢、久しくお会いしていませんでしたね」爽やかな声がかかった。
「……ご無沙汰しております、バルブ伯爵」
「そんな他人行儀な。ユベールとお呼びください」
彼は、10年前まで実家がお付き合いさせてただいていた伯爵家の人間。その当時は跡取りという立場だったが、その後爵位を継いで今はバルブ伯爵家のご当主となられていた。元子爵家の娘で、現在は男爵夫人である私がそのように馴れ馴れしく話すのには抵抗があった。
それに。
「ご結婚、なさったそうですね」
「はい」
彼は柔和な笑みで両手を軽く広げる。
「おめでとうございます。しかし、どのようなお付き合いがあったんです? 貴女のような女性を妻にしようという男がいたとは、驚きですよ。慈善事業のつもりなのでしょうか。それとも、あのようなことがあったことをセシル・ベルトランは知らないとか? 彼は平民出身でしたよね。あの話を知らなくても不思議はない。もしかして、すべてを隠して結婚したわけでは――」
爽やかな笑みで畳み掛けるようにこちらの傷を抉るようなことを言ってくる。笑顔を浮かべたままやり過ごそうとすれば、私の前にマントが翻った。
私を守るように立ったその背中を見上げる。
「お初にお目にかかります。王立第二騎士団副団長、セシル・ベルトランと申します。我が妻がなにか失礼を致しましたか」
「……ああ、私はユベール・バルブだ。彼女のご実家とは古くからお付き合いがあってね」
「昔話に花を咲かせていらしたのですか。お邪魔をしてしまったなら申し訳ありません」
またしても丁寧に頭を下げるが、やはりその顔に笑みはないのだろう。
「ところでセシル殿のお耳に入れたい話があるのだけれどね」
親切な顔をしたユベール・バルブは、内緒話をするように声を潜める。まるで、誰にも聞かれてはいけない話をするかのようだ。一歩近付いて来ようとした男を、セシルは手で制する。
「妻の過去の噂でしたら了承しております。私と妻の関係についてはご心配に及びません。お気遣いの必要もありません」
きっぱりと言い切ったセシルは、私の腰に手を回すともう一度バルブ伯爵に礼をしてその場を立ち去った。
「良いの? あんな態度取って」
私は小声でセシルに尋ねる。真正面を向いたままの彼は、こちらをも見ることなく答える。
「今後付き合うことはないでしょうからね、どうでもいいです」
「どうでもいいって、セシル」
明らかに妻を庇った様子の彼の態度に注視している人は多い。
「このままじゃ、まるであなたが愛妻家のような噂が立つかもしれないけど?」
「……愛妻家」
ピクっとセシルの目元がわずかに動く。
「別に、構いませんよ」
「その方が、良い寄ってくるご令嬢も少なくなるかも、って? 甘いわよ。女の執着って、それくらいじゃ消えないものよ。むしろ、私から奪ってやるくらいの心積もりで来るかもしれないわ」
セシルが、ふっ、と口元を緩める。笑った? と驚いた私に、彼は珍しく顔を向けてきた。
「私は、ご令嬢方にはまったく興味がありません。無駄な努力をするだけになるかと」
「若い子に言い寄られたら、あなただってもしかしたら」
「……ありません。そんなことは、絶対に」
――単純に、女嫌いなのかしらね。
今だって、彼は私の腰を抱く振りをしているだけで触れてはいない。それどころか、結婚してから一度だって彼に触れられたことはないのだから。
「まあ、私に触りたいなんて思う男の人なんて、いるわけがないわよね」
その言葉が自分の口から洩れたことに、私は気付いていなかった。
帰りの馬車の中でもセシルはこちらを見ることはなく、会話もなかった。それはいつものこと――と思っていたのだけど。その夜私は、突然部屋を尋ねてきたセシルを前に、どうしたらいいのかわからなくなっていた。
「貴方は私を誤解しているようですね」
「ええと、誤解って、なにを?」
功績によって爵位を得た平民出身の第二騎士団の若き副団長。
そして、何故か傷物で行き遅れな子爵家令嬢であった私に求婚してきた人。
冷たく見える外見の割には、昔から共に育ってきた人たちを使用人として雇っている実は情に厚い性格をしている。
他は、噂話程度にしか知らない。なにせ、彼は結婚して以降私とろくに話を使用ともしなかったのだから。
「セシルが私を好いてないことは知っているわ」
せっかく話す気になってくれたのなら、この機会に思っていたことを全部言ってしまいましょう。
私は勢い込んで話し出す。
「好いていない……」
「あら、ごめんなさい。それを責めるつもりはないのよ」
私の言葉を、彼は少し呆然としたように繰り返した。
ソファーに腰掛けている私に対して、セシルは部屋に入ってきた時からずっと立ったままだ。何度も座るように言っているのに、彼は頑なに私の隣に座ろうとはしなかった。この態度からして、どう見たって好かれてはいないじゃないか。
「結婚という契約をしてくれただけで両親は安心してくれたし、私はここの生活に十分満足しているの。だからあなたは、自分の愛する人と好きなように過ごしてくれて構わないと思っているのよ。もしもその人と子供が出来たなら、2人が望むなら養子にしても良――」
「……貴方は、私を誤解しています」
「ええっと……」
――なにか間違ったことを言ったかしら。
私は首を傾げる。しばらく真剣に悩んだ結果、
――ああ! なるほど。彼の恋愛対象は女性ではなくて――
ポン、と手を打てば、彼は額を押さえて溜息を吐く。
「貴方の考えたことは、だいたい想像がつきます。言っておきますが、私の恋愛対象は女性です」
「あ、そうなの?」
「ええ」
また大きな溜息を吐いた彼に、私は肩をすくめる。
「あの、ごめんなさい。あなたがなにを誤解していると言っているのか、わからないわ」
私を冷たい目で見下ろした彼は、もう一度大きな溜息を吐くと私の前に跪いた。
「え?」
「レディ・ミア」
「はい」
「私が愛しているのは、貴方です。私が騎士になったのも、死に物狂いで功績を上げ続けてきたのも、全部は貴方を手に入れるためだったんですよ」
「……??」
彼の言っていることが理解できず、私はまた首を傾げる。そんな私に、彼は少し眉を下げて困ったような雰囲気になる。
――ん? んん? 今、セシルはなんて言った?
「ごめんなさい、私、寝ぼけているわけではないと思うんだけど……聞き間違えよね。セシルが私のことを好きだなんて」
――なんて都合のいい聞き間違えをするのかしらね、この耳は。
もしかしたら夢かもしれない、と思いながら、自分の耳を引っ張る。
「聞き間違えではありません。私が好きな女性は、マイレディ、貴方なのです。他の女性がいくら誘惑してこようと、目など奪われるはずがありません。私には貴方だけです」
「待って、セシル。だってあなた、今まで私に触れようともしてこなかったじゃない。あれは、私が傷物だからではなくて?」
「違います」
彼はきっぱりと言い切る。
「この手を血で汚してきた私が、貴方に触れるなんて出来るはずがありません。しかも、どんなに堪えようとしたところで色欲混じりになってしまうでしょう。そんなの、烏滸がましいと言うしかないではないですか」
「……はい?」
聞き間違いにもほどがある。これはきっと夢。
自分に言い聞かせていると、セシルは真っ直ぐに私の目を見てきた。
「貴方を汚すなんてことは、出来ません」
「……あの、私たち、夫婦よね?」
「はい」
「えっと、だけど、自分には私に触れる資格がないとか言ってるの?」
「はい」
――なんてこと。
ド真面目な顔で彼の言っていることを理解した私は、くらりとソファに倒れ込んだ。
「つまりあなた、こういう言い方はどうかと思うけど、私を神聖視しすぎて触れられない、とか、そういうことを言っているわけ?」
「…………っ」
ちらりと見れば、彼はほのかに頬を染めていた。
――なんてこと。
私のことなど使い勝手のいい駒だとでも考えているのだろうと予想していた我が旦那さまは、私を好きすぎて拗らせた結果、触れることはおろか喋ることすらままならない……そういう状態に陥っているようだった。
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