第5話 屋敷の人たちはとてもいいひとで安心しました。

 お世辞にもあまり大きくない屋敷なので、部屋の位置はすぐに覚えることが出来る。

 セシルの部屋は階段を挟んで反対側の一番手前。奥には書斎と、もう一部屋。私の部屋の手前には別の寝室――つまり使用されることのないだろう夫婦用の寝室があって、一番奥の部屋は空室になっているようだ。セシル側の最奥の部屋は彼が受け取った報酬の物品などが乱雑に詰め込まれていて、整理されていなくて危ないから立ち入らないように、と注意を受ける。

 ――女主人なのに入ってはいけないの? なんてごねるつもりもないから良いんだけど、見ることも駄目なのね。

 明らかな疎外感。だが、この状況では仕方がないだろう。

 一階には、大きな玄関ホール、入り口から見て右手に食事の為の部屋があって、その奥には厨房。左手には応接間と、テラス付きの部屋、奥の方に、使用人たちの私室が4つ。庭は、こじんまりとしているが、丁寧に手入れされているのがわかる。外に出れば、ちょうど使用人の1人が花を手に歩いてくるところだった。


「ああ、奥様! さっきのドレスも素敵でしたけど、そのドレスもお似合いですね」


 ぱぁっと笑顔になった彼は、先程までの正装ではなく、汚れが目立たないダークな色合いの動きやすそうなデザインの服を着ていた。背中の中ほどまで伸ばされた茶色の髪は後ろで1つに結ばれ、濃いピンク色の瞳が輝いている。いかにもモテ男な雰囲気で、その明るい笑顔に圧倒されそうになる。


「あ、ありがとう」


 こういうお世辞からも縁遠かったから、柄にもなく照れてしまう。ほんのりと熱くなる頬を押さえて、誤魔化すように庭に目を向ける。


「どうです? うちの庭」

「とても素敵ね」


 明るく尋ねてきた彼に「あなたは庭師だったのね?」と返せば


「あー、どっちかっていうと雑用係っすね。なんでもやりますよ。困った事があったらいつでも呼んでくれて大丈夫」


 そう言いながら、手元にあった花を一輪選ぶと私の髪に挿した。それは薄ピンク色のガーベラで、気障な振る舞いにまたドキっとしてしまう。


「うん。やっぱりこういう花も似合う」

「ピッケ。奥様にその言葉遣いは適切ではありません」


 びしっと注意されたピッケは肩をすくめる。


「じゃあね」


 ヘルタの小言から逃げるようにピッケは軽く駆け足で逃げていった。その行動はまるで子供のようで、いい大人に見えるのに、と頬が緩む。


「申し訳ございません。彼はどうも、適切な振る舞いというものがまだ身についていないようで……」

「気にしないわ。私、いつも教会の孤児院でお手伝いをしているの。子供たちもあんなものよ」


 そう答えると、ヘルタは少し困った顔をする。もう22にもなるのにあれでは……と小さく呟くのが聞こえた。22歳ということはセシルとそう変わらないということだ。まだまだ若いわね、と笑いを堪える。

 続いて厨房を覗けば、そこにはぐったりと突っ伏している金髪の後ろ頭があった。


「やだ、大丈夫?!」


 慌てて駆けよれば、ぼうっとした顔の少女が顔を上げる。しばらくぼんやりと私の顔を見ていた彼女はハッとしたように目を見開くと涎を拭った。


「うわ! ボク寝ちゃってたッ?!」

「朝から準備をしてくれてたのでしょう? お疲れ様」


 まだ15歳やそこらに見えるあどけない顔立ちの頭を撫でると、嬉しそうな顔をされる。可愛い、と思ってつい抱き締めると「うわわわわ!!」彼女は大きな声を上げた。


「あら、抱き締められるのは嫌いだった? ごめんなさいね」

「違、そうじゃないんだけど、こんなところ見られたらセシルさんに殺されちゃうんだよ」

「そんな大袈裟な」

「大袈裟じゃないんだよぉ」

「もう、ウルまで奥様にそんな言葉遣いをして」


 いけませんよ、と注意されたウルは小さく舌を出した。ヘルタが少し強引に私と彼女の間に割り込んでくる。


「私は、今のような態度で接してくれた方が気楽だから、そのままで良いわ」

「しかし奥様」

「堅苦しいのは苦手なの」


 そう言うと、ヘルタは引き下がってくれた。改めてウルの顔を見る。キラキラとした丸い瞳で興味津々な様子で私を見てくる彼女に笑いかけた。


「あなたは、いくつ?」

「16になったよ」

「まあ、そんなに若くてあんなにお料理が上手だなんて、凄いわ」

「えへへ」


 毛先だけオレンジに見えるピンク色の温かな色合いのショートカットはすこし癖があってうねっている。大きな瞳は明るいグリーン、元気そうな小麦色の肌。小柄で華奢な彼女は、だぼだぼな服を着ていた。聞き慣れない響きの名前とその外見的な特徴から、南方の国出身なのだと思われた。


「奥様、夜はなに食べたい?」


 こそっと聞いてきたウルに「そうね……じゃあ、セシルの好物を教えてちょうだい。私、好き嫌いはないからなんでも大丈夫よ」と囁き返す。わかった、と頷いた彼女はさっそく貯蔵庫に向かおうとするから、私はすぐにその腕を取る。


「疲れているなら、ちゃんと休みなさい」


 そう言うと、ウルは私の目を見て少し唇を尖らせる。


「でも下準備が」

「じゃあ今日の夜はすぐに出来るもので良いわ。そんなにフラフラなのに包丁なんて持ったら怪我をするじゃない。駄目よ。16ならまだまだ成長期なんだし、休む時はちゃんと休まないと」

「えー、でも」

「でも、じゃありません。ここの女主人として命じます。夕方まで休みなさい」

「……はぁい」


 じゃあ寝てくる、とスカーフを外して置いたウルは、やっぱりかなり疲れていたのだろう。フラフラした怪しい足取りで自分の部屋に向かった。案の定限界だったんじゃないか、と腕組みをして見送れば、ヘルタが「奥様」と真剣な声を出す。振り返れば、彼女はちょっと怖ろしいほどに真面目な顔をしていた。


「な、なに?」


 初日から女主人顔をするなと窘められるかしら。警戒する私に、彼女はゆっくりと口を開いた。


「ウルは、男です」


 一瞬なにを言われたのかわからずに反応が遅れる。


「……え?」

「男です。顔立ちと体格で誤解されがちですが、彼は立派な男です。あのように気軽に抱き締められては困ります」

「え?! 男?!」


 素っ頓狂な声が出る私に、彼女はさらに大真面目な顔で頷いた。


「え、えええ?! あんなに可愛い男の子がいるの!?」

「はい」

「はぁぁああ……なんか、よくわからないけどすごいわね」


 それなら、女に抱き締められて驚くのもわかる。こちらは孤児院の子を日課のように抱き締めているから、あそこにいるような15歳程度の男の子であればそうすることに抵抗はないのだけど。


「勘違いしちゃったわ。あとで謝らないと」

「彼は気にしていないとは思いますが……いつものことなので」

「いつものこと、よね、きっと。うん、あんなに可愛いんだもの、女の子だと思っちゃったわ」


 胸を押さえて驚いて早くなった鼓動を落ち着かせようとする。そこに、長身の男性が顔を出した。


「今大きな声が聞こえたようですが……なにか問題がありましたか?」

「いえ、その、たいしたことではないのだけど」


 今起きたことを説明すれば、彼、執事のトレフはふっと目を細めた。


「なるほど、そういうことでしたか」

「私ったら、早合点してしまって恥ずかしいわ」


 仕方のないことですよ、とフォローしてくれたトレフは、一人だけ先ほどと変わらない格好をしている。ビターブラウンの短髪は撫でつけられ、冷静さを感じさせる藍色の瞳が涼し気だ。


「気掛かりなことはありませんか?」

「大丈夫だと思うわ」

「なにかありましたら、いつでもおっしゃってください」

「それ、さっきピッケも言ってくれたのよ。この屋敷のみんなは優しいのね。安心して生活できそうよ」


 トレフとヘルタは顔を見合わせて柔らかく微笑んでくれる。ここの使用人たちは全員気持ちの良い人たちのようだ。早く馴染めると良いのだけど、と当主にあまり好かれていなさそうな点を除けば、ここの生活に不安はなさそうだと感じる。

 そして軽めに用意された夕食時、想像通りセシルとは目が合うことはなく、当然会話もなく。食事が終われば彼はさっさと部屋に戻ってしまって、翌朝私が起きた時にはもう仕事に出てしまっていた。

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