第8話 反省・反省・また反省

 そんなに驚くこと? と思いながら私は続ける。


「それくらい、子供だってするじゃない。難しいことなんてお願いしてないわ。孤児院の子供たちが『ミアさん大好き!』って抱き着いてくるなんて日常茶飯事なんだからね?」

「奥様……?」


 ヘルタが若干の哀れみのこもった目で見てくる。

 ――なんでそんな顔されなきゃいけないのよ。

 彼女が私にそんな表情を見せたのは初めてで、どういう心境からなのかと話を聞こうとしたのだけれど、口を開きかけた私を制するように、横から大きな溜息が聞こえてきた。


「だからそれ、子供の話じゃないですか。むしろ、子供だからじゃないっすか。しかも、こう言っちゃなんですけど、奥様に恋してる子じゃないですよね? 奥様より年下でも、あいつだって成人男性ですよ。いきなり抱き締めてっていうのは、話すらまともに出来ない相手に対してあまりにも酷だって思いません?」

「あら、やだ。」 


 言われてみれば、彼の気持ちを子供たちからの『大好き』と同列にしてはいけなかったのだ。

 彼らの発言を総合して考えるに、どうやらセシルは私が好きすぎて触れることはおろか、顔を見ることも、日常会話をすることも難しいらしい。そんな人に対して、彼からのハグを子供たちからのそれと同程度に考えていた自分に気付き、申し訳なくなる。

 しかも冷静に考えてみれば、あの発言はあまりにもはしたない。成人男性に「抱き締めてくれ」だなんて、別の意味に取られても言い訳のしようがない。彼が軽蔑しなかったのを感謝すべき言動だった。


「違うのよ。あのね、突然好きって言われても急には信じられないから、ちょっと態度で見せてくれても良いじゃないって思って……子供たちみたいに、軽い調子で好きってハグしてくれたら、少しは実感沸くかもしれないなー、くらいの気持ちだったのよ。セシルのこと追い詰めようなんて、全然思っいてたわけじゃなくて」


 必死に言い訳すれば、ピッケはまた溜息を吐いた。


「意地悪を言ったわけじゃないっていうのは想像できますし、今までのあいつの態度を思い出せば奥様が勘違いしてたのもまあ仕方ないことなのか? って思いますけどね? それにしても……それはセシルが可哀想ですよ」


 彼の言うことはごもっともでしかなくて、私はぐうの音も出ない。


「いやー、奥様も大概だったんですね。こりゃ、思っていたよりもどっちも重症みたいっすね」

「そんな風に言うなんて、ピッケはよっぽど恋愛経験豊富なようね」


 少々気分を害して嫌味で言えば「おれ、モテますから」とにんまりされる。否定されないのが腹立たしい。そして、私の言動に呆れたのか、ヘルタもピッケを窘めてくれなくなってしまった。


「にしても、セシルのやつとことん拗らせてますね。いっそ面白くなってきましたね」


 ピッケは主人に対してあまりにもざっくばらんな言い方をしているが、これは当人から許されている態度だ。初日、彼らのセシルに対する態度は全部了承済だからあれこれ気にする必要はない、と言われている。今は使用人と雇い主という立場であっても、彼らは古い付き合いの友人同士。使用人、というのはあくまでも名目上であって、セシルはピッケたちを家族同然の扱いをしているように見える。だからこそ、ピッケやウルのあの態度なのだ。さすがにトレフとヘルタは雇われて以降それなりの態度を心掛けているというのだけれど、それでも時折慣れた空気が流れているようだ。さすがに身内以外の人間がいる場所ではピッケやウルもそれなりの言葉遣いをしているのだが、そもそも2人は外部の人間と接する機会の少ない仕事内容なので、そんな機会は滅多にないらしい。

 らしい、と伝聞になってしまうのは、私がここに来た初日以外、屋敷の外の人がここに出入りしているのを見ていないからだ。


「そういえば、昔からの知り合いとか友人としか聞いていないけど、いつからセシルとはお付き合いがあるの?」

「小さい時からっすね」

「ヘルタは?」

「私も、ウルもトレフも、ほぼ同じ時期に知り合っております。もう10年ほどになるでしょうか」

「あー! 奥様、そういう内容こそ、セシルとの会話のために取っておくべきですよ。自分のことじゃなきゃ、口も軽くなるかもしれませんからね」


 まずはそういうところからはじめなきゃダメっすよ、とピッケはもっともらしい顔で言う。その意見には一理も二理もあって「じゃあ今度セシルに聞いてみるわ」と私は背中をソファの背凭れにつけた。

 ――確かに、まずは会話からかもしれない。

 まだお互いに……いや、私が彼を知らなさすぎる。


「そうね、こういう時は――まずはお友達からはじめましょう、って言えばいいのかしら」

「もう結婚してるじゃないですか」

「じゃあ……どうすれば?」


 自分で考えてくださいよ、と飽きたのか少し冷たくなったピッケに対して、ヘルタは優しかった。


「そうですね。旦那様もご自分の態度を反省なさったでしょうし、まずはお二人でお喋りをなさってみてはいかがですか?」

「お喋りね! お互いを知るには重要よね。うん、やってみるわ」


 傷物と言われずっと社交界から逃げていただけあって、私は男性と接した経験がほとんどない。この10年でまともに会話したのは、身内か、実家の使用人たちか、司祭様か、孤児院の子供たちだけ。そんな私にとっては、恋愛なんて遠い世界の話だった。

 若い頃に家同士の付き合いで婚約した元婚約者には、正直なところ恋をしていたわけではない。恋に憧れている子供のような恋愛観のままあんな事件に巻き込まれて、そういうことからは遠ざかってしまった。

 一時期は、男性が一定の距離よりも近くに来られると身体が震えてることすらあったのだ。周囲の理解と、決定的に嫌悪を覚えるような経験は幸いにしてなかったから、今は男性が至近距離にいることに対して、過度な拒否反応は出ない。


 ――あの時、守ってくれた子がいたからよね。


 私が事件に巻き込まれた後もまともに生活できているのは、あの時、同時期に攫われてきていた子たちのおかげだと思う。自分たちも怖かっただろうに、世間知らずのお嬢さんだった私が賊を怒らせないように身の振り方を教えてくれたり、私にちょっかいを掛けようとしてきた男の前に立ちはだかって盾になってくれた子がいた。彼らがいなければ、私は完全に男性不信、恐怖症になっていただろう。私を庇うように立った小さな背中が、どれだけ頼もしかったことか。

 ――あの子たちは、元気かしら。

 ぼんやりとそんなことを思い出した。


「なにはともあれ、セシルから愛されていることを自覚したなら、これから関係も変わっていくんじゃないですか?」


 いい方向に行くことを、皆楽しみにしてますよ。

 部屋を出ていく時、ピッケは私の耳元に囁いた。


「う……ん、そうね」


 私は曖昧に笑って、部屋の扉を閉めた。そこに背中を凭れさせて考える。


 これは、形だけの夫婦というつもりでの結婚ではなかった。セシルは、私自身を求めてくれていた。それを理解できただけでも、今日は十分に意味のある日だった。

 何故? いつから? どこで? という疑問は消えていないけれど、それは、これから2人で会話を交わすうちに徐々に教えてもらえればいい。

 私としても、セシルに対して拒否する気持ちがあるわけではないのだ。これから彼を理解していく中で、もしかしたら、恋という意味で、あの人を好きになれるかもしれない。


 拗らせている、とピッケに言われていたセシルだけど、私もすべてにおいて恋にも男性にも慣れていない。ある意味、私だって拗らせている。しかも私が普段接しているのは自分の感情に素直な孤児院の子供たちで、どうにも彼らを基準に考えてしまうところがあることに気付けた。人生経験のなさが浮き彫りになっていて情けない。

 ――私こそ、改めてちゃんと、セシルとのことを考えなきゃ。……ね。

 はぁ、と溜息を吐いた私は、グラスに残ったワインを一気にあおってベッドにもぐりこんだ。

 ――明日から、一歩ずつセシルとの距離を縮めよう。

 そんなことを思いながら、眠りについた。

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