第7話 みんなを心配させてたことも、知らなかった。
それでは失礼します、と足早に、脛をテーブルにぶつけながら出ていったセシルの背中を見送り、閉じた扉をぼんやりと眺めていた私は――
「~~~っっっ!! なぁに、あれっ!」
耐えきれなくなって、淑女らしさもなにもかも忘れて叫んだ。
「え? なに、あの手紙、本気だったの? あれ、セシルが書いたの? あの子からは私そんな風に見えてるの?」
いや、絶対違う。なにか神格化されている。
――しかも「ずっと見てきた」って、私、どこでセシルと会ったのかしら。
あんな目立つ美形、一度見たら忘れないと思うのに。
いつ? どこで? とクッションを抱えたままゴロゴロしていると、扉をノックする音がした。
「誰?」
「ヘルタです、奥様。少しよろしいでしょうか」
「おれもいるよ」
ヘルタとピッケの声。こんな時間になにかしら、と思いながら入室を許可する。入ってきたピッケの手には、ワインのボトルが握られていた。
「やっと誤解がとけたんですってね。これはお祝いで持ってきましたよ」
「自分が飲みたいだけの癖に、よく舌が回ること」
ぼそっとヘルタに突っ込まれたピッケは軽い笑い声をあげる。
「ちょうど良かったわ。ちょっと飲みたいところだったの。ふたりとも付き合ってくれる?」
「ピッケとふたりきりというのは問題がありますから、もちろん」
この2週間の間に、使用人たちとはだいぶ仲良くなっていた。長いこと孤児院で下町の子供たちと接していたせいか、私自身も格式ばったことは少々苦手になっていたから、気軽に接してくれるピッケとウルの態度は子供たちに重なって非常に話しやすかった。ヘルタもそれなりに礼儀は重んじてくれるものの、私のやり方に合わせてくれる柔軟性があるのは有難い。
孤児院といえば、セシルからは結婚前の生活を変えなくて良いと言われていたから、今でも通わせてもらっている。実家よりもここの方が孤児院に近い場所にあって、前よりもゆとりをもってお手伝いが出来るようになっていた。
「それで、なんて言われたんですか?」
ピッケは興味津々といった様子を隠すこともなく聞いてくる。まあまあ飲んで、と軽い調子で私にワインを勧めてはヘルタに睨まれている。
「なに……って、私が誤解してる、って。あの……愛してる、って……」
どこから話せばいいものか、と思いながら、ちびちびとワインを口に運びながら答える。
「はーっ! やっと言えたんですね。誤解されてショック受けるくらいなら、さっさと言えば良かったのに」
「みんなは知ってたの?」
「へ? そりゃもちろん」
「ヘルタも?」
「……はい。当然、トレフも知っています」
ちなみに、ウルがセシルの気持ちについて把握していたのは、先日の彼との会話を思い出せば明らかだ。
初夜もなければ、顔を合わせるのは朝食時と夕食時だけ。名前だけの妻で良いということよね、と思っていた私に、ウルは不思議そうな顔で尋ねてきたのだ。
「ところで、セシルさんとはちゃんと夫婦らしくしてる?」
「夫婦らしくってなに?」
あれは、彼と一緒に孤児院に持って行くクッキーを作りながらの会話だった。
「だから夫婦らしくだよぉ。えーとなんて言えばいいかな……? あ、後継ぎ作り!」
「ぶっ!」
美少女にしか見えないあどけない顔から出る言葉とは思えず私は思わず吹き出した。
「な、なにを言ってるの?!」
「そんなに変なこと言った? っていうか、え? してないの?」
「してないわよ!」
なんで? と純真無垢な瞳で問われると言葉に困る。子作りがなにを意味しているのかわかっていないわけではないだろうし、でも彼くらいの子供に近い年代からすれば、結婚すればそういう行為は当然のことで、赤ちゃんだって簡単に出来るものだと思っているのかもしれない。
「なんで?」
「そんなの、私に聞かれても……」
「え、ミアさん、セシルさんのこと嫌い? 本当は結婚したくなかった?」
うるっと瞳を潤ませられるとどうすればいいかわからなくなる。その時の私は、セシルに対して特別な感情は抱いていなくて、両親が私が結婚できたことに安心しているだろうことを思えば、感謝はしているがそれだけだった。
「嫌い、っていうか、まだそんなに彼のこと知らないし」
生地を捏ねながらぶつぶつと言えば「なんでぇ?! もう2週間近く経ってるのにぃ?!」と大声で非難された。
「だって、セシルは食事の時以外部屋から出てこないじゃない」
「へ?! ミアさんの部屋に行ってるんじゃなかったの? もうセシルさんってばなにやってるのー!?」
私が来るまでは、夕食後に全員でお茶を飲んだりお酒を飲むこともあったそうだが、結婚してからセシルがそこに顔を出すことはなくなっていた。だからウルは、当然セシルは妻の元に通っていると思っていたようだった。
使用人であり、そして昔からセシルと友人関係なのだという彼らにとって、この結婚がどのような意味を持っているのかは知らなかったが
「私はセシルから好かれていないしこれは形式上の夫婦なだけだから、子供は期待しないで」
などとあの時言っていたら、彼の口から本当のことを聞けたのかも? とも思うけど、幼く見えても彼は思慮深いから、セシルが話していないことをあの子から言ってくることはないだろう。
ピッケとヘルタを見る限り、2人ともセシルの気持ちにも私と彼の関係についても把握していながら黙って見守ってくれていたようだ。
――主人の気持ちを知っていながら、私が勘違いしているのもわかっていたなら……焦れてたんでしょうね。
この2週間「どうせこれは形だけの結婚・契約だけの関係で、彼から愛されることはない。だから、彼から恋人を紹介されても、恋人の元から帰ってこなくなっても、傷つかないようにしなければ」なんてひとり空回りしていたのが恥ずかしい。
――いや、でも、実家の貴族としての地位が欲しいんでしょう? って確認するのも失礼だし、恋人のところに通って良いのよ、なんてどこから目線かわからない発言をするのも違っただろうし。
今になってみれば、セシルに直接ぶつけなくて良かった。今日の私の発言でもショックを受けていたのだろうセシルを思えば、そんな言葉を投げつけられたらどんなことになっていたか。
だってなにも知らなかったんだもの、と言い訳のように呟く私に、ピッケは大袈裟なほどに驚いた顔をした。
「結婚の申し込みの手紙、熱烈なラブレターだったじゃないっすか! アレ読んで、どうして好かれていないだなんて思ってたんですか」
「まさか、あれを本人が書いたなんて思わなかったのよ」
あの私に対して非常に冷たかったセシルを見て、どうして本人が書いたと思えるのか、と私はまた言い訳をする。
「いや、あれはだから、冷たくしてたわけじゃなくて、緊張してただけなんですって」
「……ピッケ、そういうことは、あまり私たちから話すものでもないわよ」
「でも奥様も鈍そうだし、こういうの慣れていなさそうだから、はっきり言ってやる人がいないといつまでも擦れ違いっぱなしになるって」
「それもそうね」
ヘルタも少し酔っているのか、あっさりピッケに同意する。
「鈍いってなによ」
「だって、家の中でもそっと奥様の様子を窺ってたじゃないですか」
「知らない……」
「ほ~ら、鈍い」
けらけらと笑うピッケに、私は少しむくれてしまう。
「ピッケ、一流の騎士である旦那様が本気で気配を隠そうとしたら、並みのご婦人では気付けないものよ」
「あー。確かにそれは」
彼らの話を総合すると、セシルは私を全く気にしていなかったわけではなく、彼の視線に私が気付けていなかっただけのようだった。
――いやだから、誰か言ってよ!
全然気付いていなかった。鈍いというピッケの発言は間違っていないのかも、と恥ずかしくて顔をクッションに埋めたくなる。
「それにしても、あいつとんでもない顔で戻ってきましたけど、なにやったんですか?」
「特になにもしてないわよ」
「でも、あんなに真っ赤になってるの、今まで見たことないっすよ」
ねえ? と話を振られたヘルタも真面目な顔で頷く。
「強く脛をぶつけたとかで、貼り薬をご用意しました」
「ん、確かにぶつけてたわね」
「そんなに動揺させるようなことを?」
「今日まであんな態度を取っておいて、急に好きなんて言われても信じられなかったから、好きって言いながら抱き締めてみてって言っただけよ」
「いや、だけって奥様」
そりゃ難易度高いっすよ、とピッケは呆れ顔になる。ヘルタも驚いたように目を丸くしていた。
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