第9話 まずは一歩。

 翌朝、早起きをして朝食に向かえば、セシルはまだ出掛けていなかった。


「おはよう、セシル」


 笑顔で声を掛ければ、彼は少し肩を揺らして「……おはようございます」と返してきた。

 やっぱり、視線は合わない。私は、まだ不慣れ、もしくは反抗期の子供たちにやるように、彼の真横に立って「おはようございます」ともう一度声を出す。


「おっ、はようございます」

「ん、目が合ったわね」


 満足して、彼の向かいの席に座る。


「あれ、ミアさんおはようー。今日は早いね。オムレツ食べる?」

「おはよう、ウル。そうね、チーズ入ってるのをいただくわ」

「ちょっと待っててね。すぐ作ってくるから」


 セシルの朝食用のサンドウィッチを持ってきたウルが、もう私が据わっているのを見て目を丸くする。いつも通りの朝食をお願いすると、ぱたぱたと早足で厨房に戻っていった。


「あら奥様、起きていらしたのですね。呼んでいただければお手伝いいたしましたのに」

「おはよう、ヘルタ」

「おはようございます」

「あなたも朝は忙しいでしょう? 夜会用のドレスでもなければ自分で着替えられるから大丈夫よ」


 私よりも遅く食堂に顔を出したヘルタの手には綺麗な花が活けられた花瓶がある。食堂のテーブルの中央に置くとすぐ、なにも言わなくてもお気に入りの紅茶を淹れてきてくれた。


「旦那さまも、奥様と同じものを召し上がります?」

「ん、ああ、うん」


 しどろもどろになっているセシルを眺めたヘルタは、私を見て「なにかやったんですか?」という顔をしてくるから小さく肩をすくめれば、きゅっと眉を寄せられた。あまり急激に距離を縮めようとするな、という意味だろう。


「ウル、おれも朝ごは――あれぇ奥様、おはようございます。今日は早いっすね」

「たまには私も早起きできるのよ。おはよう、ピッケ」

「おはようございます、奥様」

「トレフも、おはよう」


 全員に挨拶を終えてからセシルを見れば、目の前のサンドウィッチにはまったく手を付けていない。


「セシル、食べないの?」

「いえ、いただきます」

 

 そう言う割に、もそもそと口に運ぶだけで食べ進める速度は遅い。


「奥様」

「なに?」


 見すぎです、とヘルタが囁いてきた。そんなに見つめられたら食べにくいかと思いますとの言葉に、自分の視線が常にセシルを見ていたことを自覚する。それとなく視線を逸らせば、視界の隅に映っているセシルの肩から力が抜けるのがわかった。


「お待たせ―!」


 タイミングよくウルが私の朝食を持ってやってきた。いつも通り、ワンプレートでバランスの良い朝食。これくらいの量がちょうどいい。貴族の朝食は、あれはどう考えても食べすぎだと思うのだ。


「ピッケさんたちは厨房で食べる?」


 すぐに用意するから待って、と言うウルを止める。


「みんなでここで食べれば良いじゃない」

「え?」

「奥様それは――」


 いくらなんでも、と抵抗を示した彼らに、私は笑顔を向ける。

 私の朝食の時間が遅いから、これまで彼らと食事の時間が被ることはなかった。ピッケの先ほどの様子からすれば、いつもはここでセシルと共に朝食を食べて、またそれぞれの仕事に戻るのだろう。


「あら。だってセシルの家族も同然ということは、私にとっても家族ということでしょ? だったら、食事を共にすることになんの問題もないわ」

「……旦那様」


 トレフが代表してセシルの答えを求める。私をじっと見ていたセシルは、視線が合うと慌てた様子で目を逸らす。


「レディ・ミアがそれを望まれるのなら」

「楽しくみんなで食べるの、好きよ」

「好っ……ああ、はい、はい。皆も、ここで一緒に食べると良い」


 ぱあっと表情を明るくしたウルとピッケは「ごはん持ってくるね!」とまた厨房へ駆けていった。


 戻ってきた彼らの手にあったのは、ほぼ私と同じメニューのお皿が3つと、サンドウィッチの乗っているお皿、あとはカップが4つ。

 それぞれが定位置らしい席につくと、トレフ以外の前にはそれぞれプレートが、サンドウィッチのお皿は全員が手の届く場所に置かれた。


「トレフのお皿は?」

「トレフさんは、朝食べないんだよ」

「……そうなの」


 朝からしっかり食べなければ動けないでしょう、と思わなくもないけれど、起き抜けに食事が出来ないタイプの人がいるのも知っている。食事は無理強いされるものでもないから、あえてなにも言わない。いただきます、と声を揃えた彼らは、それぞれのペースで――と言っても、私よりはかなり早いスピードで食事を口に運んでいく。


「んふふ」


 目玉焼きをフォークにさして、ウルは満面の笑みを浮かべている。


「朝からご機嫌ね?」


 先ほどから嬉しそうに軽く身体を揺らしている彼に聞けば、弾んだ声が返ってくる。


「みんなでごはん、楽しいなぁって思って!」

「そうね。楽しいわね」


 いつもは1人で、世話をしてくれているヘルタと話をしながらの朝食だった。このように他の人との会話がある食事風景も悪くはない。私の視線が別の場所に向けられていたか、気付けばセシルの前のお皿も空になっていた。食べ終えるとすぐに彼は立ち上がる。


「それでは、私はそろそろ出ますので」


 丁寧に頭を下げてくる彼に「いってらっしゃい」と言えば、驚いたような顔を向けてくる。

 ――そんなに驚くようなこと?

 出掛ける家族にこのような挨拶をするのは、当然ではないだろうか。

 見送るために立ち上がるトレフとヘルタに合わせて私も、と思えば「貴方は、そのままで」と止められる。なんだか、私だけ別扱いされているみたいで少し寂しくなる。


「ボクとピッケさんもまだ食べ終わってないから、お見送りはしないよ」

「……そう?」

「どうぞ、お食事を続けてください」


 トレフからも促され、一度置きかけたフォークを持ち直した私は、セシルに話さなければいけないことがあったのを思い出した。


「あ、セシル。ちょっと待って」

「はい」


 食堂から出ていくところだった彼は、しっかり振り返ってくれる。


「今日、夕食の前でも後でも良いから、少しお話する時間取ってもらえるかしら?」

「お話、ですか?」

「そう、お話。多分、そんなに時間は取らせないわ」

「……わかりました」


 一瞬で表情が曇る。なにか悪い話だとでも思ったのだろう。「悪い話じゃないわ」そう付け加えれば、黙ってもう一度会釈をした彼は出ていった。

 足音が聞こえなくなってから、大きな口を開けてサンドウィッチを一口で頬張っているピッケとウルに尋ねる。


「ねえ、セシルについて聞きたいんだけど」

「本人に直接聞けば良いじゃないですか。会話、大事っすよ?」

「うん、わかってるんだけど、ちょっとだけ気になることがあるのよ。本人に直接聞くと、気にしてしまうのではないかと思って」

「なぁに? ボクで答えられることなら、教えてあげられるよ」


 プチトマトを口に放り込みながらウルが言ってくれるから、私は昨晩気になったことを尋ねてみることにした。


「昨日、セシルが自分のこと『俺』って言ってたような気がするの。彼、いつもは『私』って言ってるでしょう? もしかして、素の一人称は『俺』なのかしら」

「そだよ」


 あっさり答えたウルは「私っていうのは、お仕事のちゃんとしてる時とか、目上の人に話す時とかかなあ」と続ける。


「やっぱりそうなのね」

「なんで気になったんすか?」

「うーん……やっぱり彼私に対して気負って話してるのね。余裕なくなった時にそう言ってたから、もしかしたら私の前では無理してるんじゃないかと思ったの」


 今更ですよ、とピッケは言って、またサンドウィッチを一口で食べる。


「好きな女の子の前でなんだから、そりゃ格好も付けたくなるでしょうって」

「女の子って、私もう30だけど」

「いくつでも女の子で良いんですって。いちいちそういうのに引っ掛からない引っ掛からない」


 私の言葉を、ピッケは軽く笑い飛ばしてくれる。そういうものなの? と釈然としない私に、彼はまた目を細めて、少し得意げなにんまりとした笑みを見せる。


「って言っても、ある程度の年齢になると自称女の子ってのも痛いっすけど――痛!!」


 静かに戻ってきたヘルタが持っていたお盆をピッケの頭にごつんと乗せた。


「奥様に対して、それは言いすぎです」

「はあい、もうしわけありませんでした!」


 ぺこっと頭を下げはしたが、反省している様子はない。私も気にしないから構わないのだけど、やっぱりヘルタとトレフはあまり馴れ馴れしくするのを良しとしていないようだ。

 食事を終えた私は、いつものように孤児院に向かう。昨日ウルと作ったクッキーを持って行けば、子供からは大人気だった。



「また作って!」


 と抱き着いてくる子供たちを抱き締め返しながら、さて今日の夜はどういう風に話を持って行こうか、と、私は1日ずっとそれだけを考えていた。

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