第11話 光の王子
「約束が違います!」
女の声が響く。
「約束って……別に約束はしていないよね?」
呆れたような男の声が続いた。
「わたくしが婚約を解消したら、わたくしと婚約してくれるっておっしゃったではありませんか」
「ははは。何その言い回し、わかりづら過ぎぃ」
「わたくしに婚約の解消を迫ったではありませんか!」
「ええ……――? 迫ってないでしょ。婚約者がいる相手に好きだって言われても困るんだよね……って言っただけだよ」
「婚約を解消をしたら考えてくれますかって訊いたら、考えるっておっしゃられました!」
「うん。考えるとは言ったよ。でも考えた結果、ないなって。というか、そもそも僕、君と婚約というか、付き合うとも言ってないし」
痴情の縺れか、二人の男女が食堂の隅で言い合っている。
一人は黒髪の愛らしい顔をした小柄な女性。
男のほうは金髪ですらりとした長身だったが、アリアの位置からでは背中しか見えない。
(この学院には、確か貴族しかいないって聞いていたけれど……)
貴族の子息にしては口が悪い。いや、悪いというか軽かった。
「わたくしのこと、前から可愛いと思っていたって……そうおっしゃっていたではありませんか!」
「うん。可愛いって思っていたよ。というか今も可愛いとは思ってるし。そもそも女の子はみんな可愛いよね。男だって、可愛い子もいる。犬も猫も、花だって可愛いよ。可愛いからって、付き合うわけじゃないでしょ」
「……っ! わたくしはあなたのために、あなたを信じて婚約の解消をしたんです!」
「信じてくれるのは嬉しいけどさぁ、勝手に行動して、それを僕のせいにするの? 何か違くない? ……は~、あのさぁ、思い込みでキレられて泣かれても困るんだけど。君さ、ちょっと頭冷やしたら」
泣き出した女に、男はやれやれといった風に肩を竦めた。
女は顔を真っ赤にし、テーブルの上にあったグラスを掴んだ。
バシャンと水音が響く。
「酷い! サイテー!! ああああああん」
男に水をかけた女は、大声で怒鳴るとその場にしゃがみ込み号泣を始める。
友人か、あまりの泣きっぷりに見かねたのか。
数人の女生徒たちが駆け寄り、彼女を支えるようにして食堂をあとにする。
(こんな目立つ場所で、言い合うなんて……というか、ここではこういうの日常茶飯事なのかしら)
食堂の生徒たちは呆れた表情を浮かべるだけで、特に驚いた様子はなく食事を続けていた。
ふいにガタンと隣で音がした。
見ると、フィオラが立ち上がっている。
先ほどまでの微笑みは消え、フィオラは苛立った表情を浮かべている。
どうしたのかと問いかける間もなく、フィオラは水をかけられた男の元へと向かった。
フィオラの存在に気づいたのか、男が振り返る。
アリアはその顔に、目を瞠った。
濡れた金髪に、鮮やかな青色の瞳。
女性が躍起になるのが一目で理解できるほど、男は整った顔立ちをしていた。
ユリシスも大層な美形だったが、彼も負けず劣らずの美形っぷりだ。
ただ、同じ美形でも印象は真反対だ。
冷たげで酷薄げなユリシスとは違い、彼のほうは飄々とした表情もあって華やかだが軽薄げな印象を受けた。
(王都って、美形だらけね……)
田舎との違いに感心しながら、アリアは様子を観察する。
フィオラは無言で男にハンカチーフを渡すと、すぐさまアリアの隣に戻ってきて着席した。
ハンカチーフを受け取った男は顔を拭うと、フィオラのあとを追い、こちらへと向かってきた。
向かい側に座った男が、濡れたハンカチーフをフィオラに差し出した。
「新しいのを買ったほうがいい?」
「結構です」
フィオラはハンカチーフを受け取り、ポケットにしまった。
「この僕に水をかけるなんて、不敬だよね。彼女のお父さん、確か君のお父さんのお友達だよね。厳重に注意するよう、言っておいてくれない?」
男は軽い口調でフィオラに頼み事をする。
「……不敬な態度を咎めるならば、普段から侮られないよう振る舞うべきです」
「たとえば? 僕の振る舞いのどこがいけないの?」
「軽薄な言葉使いはやめるべきです。あと、気を持たせるような態度もお止めください」
フィオラの口調は、先ほどアリアに向けていたものとは違って重く真剣だった。
「でもさ、今回はどう考えたって、あっちが思い込みの激しい勘違い女だっただけじゃない?」
「今回のことをだけを言っているのではありません。今までのあなたの行いが不真面目だったせいで、彼女も勘違いしたのだろうと言っているのです」
「う~ん。でもやっぱりさ、それって勘違いした彼女のせいだよね? ……ねえ、もしかして君、嫉妬してる? 僕に構ってもらいたいたくて、ねちねち小言を言ってる?」
「私はあなたのために、これ以上評判を下げる行いはやめるべきだと言っているのです。レヴィオン、あなたは…………やめましょう。ここでする話でありません」
フィオラは周りを気にしてか話を止める。
レヴィオン。
会話の流れからそんな気がしていたが、目の前の男がフィオラの婚約者。王太子のレヴィオン・ファルディスなのだろう。
(確かに、光の王子だとは聞いていたけれど……)
アリアはアダムのような見かけの男を想像していた。
けれどレヴィオンは『光の王子』という二つ名に相応しい美形だった。
水に濡れて前髪が額に張り付いているのも、妙な色気も醸し出している。
レヴィオンの眼差しが、アリアに向かう。
思わず凝視していたため、サファイアの目と視線ががっちり交わってしまう。
レヴィオンは魅惑的な微笑みを浮かべて、首を傾げた。
「ストロベリーブロンドって珍しいね。初めて見る顔だ」
容姿も驚きだし、まさかこんな早く会う機会が巡ってくるとは想定外だ。
激しく動揺していたが、またとない好機だ。
「はじめまして。本日、転入してきました。アリア・ソラリーヌと申します」
アリアは恥じらい気味に、ぎこちなく微笑んでみせた。
「へえ、アリア。顔も名前も可愛いんだね。…………ああ、怖い怖い。睨まないでよ。狭量な婚約者さんだ」
レヴィオンは肩を竦めると、立ち上がった。
「またね、アリア。今度は二人きりのときに、お喋りしよう」
甘やかな言葉を残し、レヴィオンはその場から離れていった。
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