ざまぁの報酬がとんでもないものだった件
イチニ(御鹿なな)
第1話 婚約破棄
「フィオラ・エメロフ。君との婚約を破棄する!」
王太子レヴィオン・ファルディスの放った言葉に、夜会の参加者たちは静まり返った。
驚いて目を丸くする令嬢。
興味津々な令息たち。
青ざめる淑女や、不審顔の紳士。
何もこんなとき、こんな場所で、と言いたげに眉を顰めている者も少なくなかった。
(……私もそう思うわ)
アリアはレヴィオンの隣で悠然と笑みを浮かべ、心の中で同意する。
今日はラクーン王国の記念すべき二百回目の建国日であり、国王陛下の誕生日だった。
二つの祝い事を記念して開かれた夜会会場で、王太子が婚約破棄を言い渡すなど、正気の沙汰ではない。
そもそも婚約を取りやめたいならば、手順を踏むべきだ。
相手は臣下として長く王家に仕え、民たちからの支持も厚いエメロフ侯爵のご令嬢である。なおさら、扱いには気をつけなければならなかった。
アリアは横目で周囲を観察する。
レヴィオンの暴挙に驚いたのか、彼の母である王妃は金魚のごとく口をパクパクさせていた。
青ざめて駆けていく宰相の姿も目に入る。
おそらくこの場にいない国王を呼びに行ったのであろう。
(せっかちな人。陛下が来るまで待てなかったのかしら)
アリアと同じことを思っているのだろう。
斜め後ろに目をやると、レヴィオンの異母兄ユリシスが不満げに眉を顰めていた。
「レヴィオン……レヴィオン殿下。なぜですか? 理由をお聞かせください」
夜会会場に震える声が響く。
アリアはユリシスから、自分たちの正面に立つ令嬢に視線を移した。
フィオラ・エメロフ。
エメロフ侯爵の一人娘で、レヴィオンとユリシスの幼なじみ。
幼い頃にレヴィオンの婚約者に選ばれた彼女は、次期王妃に相応しいと評判の才女だった。
家柄や頭脳だけでなく、フィオラは容姿も他の令嬢を圧倒するほど整っていた。
艶やかな銀髪に、長い睫に彩られたサファイアの瞳。
青ざめ、ふっくらとした薄紅色の唇をみっともないほど震わせてはいたが、その動揺した姿すら美しく、人々の同情を誘っている。
フィオラは刺繍がふんだんに施された青色のドレスを纏っていた。
自身の目の色に合わせたのか、それとも彼の瞳の色に合わせたのか。
後者だとしたら哀れね、と思いながら隣に立つレヴィオンを窺うと、ちょうど彼もアリアを見下ろしていた。
フィオラと同じサファイアの目には、ストロベリーブロンドの髪に、吊り目がちな深緑の瞳の女が映っていた。
化粧でかなり盛ってはいるのもあり、一応は美人な部類に入る。
しかし、どこからどう見ても美少女でしかないフィオラに比べたら容貌はほんの少し……いやわりと劣っていた。
けれど恋は盲目。
恋に溺れた愚かな男の目には、フィオラよりも美しく映っているようだった。
レヴィオンはアリアを安心させるように微笑んで頷いたあと、フィオラに向き直る。
「なぜ? 理由は簡単だよ。ここにいるアリアを、アリア・ソラリーヌを愛しているからだ」
「……あなたはわたしとの婚約を破棄し、アリアさんを婚約者にするおつもりなのですか……?」
「その通りだ。僕は愛に生きると決めた! アリアと結婚する!」
高らかに、レヴィオンは宣言する。
(呆れ顔の観衆が増えてきたわ)
アリアは参加者たちを観察しながら、レヴィオンの腕にしな垂れかかる。
「嬉しいです。レヴィオン殿下」
アリアは甘く声を弾ませながら、自分とフィオラ、どちらが悪役か観客にわかりやすくするため誇らしげに微笑んでみせた。
「レヴィオン、冗談はお止めなさい!」
我に返ったのか、王妃が声を荒らげて口を挟んでくる。
「フィオラ、どうか本気にしないでちょうだい。レヴィオンはあなたに構ってもらえなくて、拗ねているのよ。皆様も、本気にはなさらないで。痴話げんかのようなものですのよ」
「冗談? 冗談でこんなこと言うわけがないでしょう、母上」
引き攣った笑みを浮かべいる王妃に、レヴィオンが呆れた風に言う。
「レヴィオン、いい加減にして。あなた、その毒婦に騙されているのよ」
王妃はキッとアリアを睨み付けた。
毒婦。
聞き慣れた言葉に傷つきはしないが、アリアは酷い嘲りを受けたとばかりに目を潤ませて眉尻を下げた。
「毒婦だなんて、ひどいわ……」
怯えるように身を縮め、レヴィオンの背後に隠れる。
アリアのわざとらしい態度に、王妃殿下をはじめとした一部の者たちは白々しい目を向けた。
けれども、頭がお花畑な王太子殿下の庇護欲はくすぐれたようだ。
「アリアへの侮辱はたとえ母上だろうと許さない! 毒婦……毒婦なのは、アリアではなく、フィオラのほうです。母上だって、僕とユリシスを天秤にかけている。エメロフ侯爵家を信用してはならないと言っていたではありませんか! 僕、知っているんですよ。ご友人たちと一緒にエメロフ侯爵夫人の悪評を、あるこいとないこと言って広めていたでしょう」
「……あ、あなた……何を言っているの……」
レヴィオンの言葉に、王妃は目を剥く。
そんな母親に構わずレヴィオンは続ける。
「僕が知らないと思っているんですか? エメロフ侯爵の弱みを握るため、おじいさまと共謀してフィオラの兄を陥れた。けれど残念ながらエメロフ侯爵は高潔な人柄だったため、企ては失敗してしまった……」
レヴィオンはそう言って、はぁと大きく溜め息を吐く。
フィオラ様の兄は一年ほど前に暴力事件を起こしていた。
確か今も、懲役刑を受けているはずだ。
身内から犯罪者を出したのを重く見て、エメロフ侯爵家側から婚約解消の話が出た――と以前アリアはレヴィオンから聞いたことがあった。
そのとき、王妃が誰よりも熱心に婚約の解消を止めていたとも言っていたのだが……。
レヴィオンの話が事実だとは信じがたい。
しかし王妃は図星をつかれたかのごとく、動揺していた。
(というか……これ、みんなの前で話して大丈夫な話なの?)
『王太子が公の場で婚約破棄を言い渡す』よりも、ずっと大問題な気がする。
想定していた展開の斜め上な状況に、アリアは心の中で冷や汗をかく。
「レ、レ、レヴィオン、いい加減になさ」
「レヴィオン王太子殿下。そのお話、詳しくお聞かせください」
王妃の叱責の声に被さるように、低く重い声が割って入る。
声の主はフィオラの父親エメロフ侯爵だった。
「侯爵、そもそもあなた悪いんですよ。娘を僕の婚約者にしておきながら、ユリシスの後見人になった。母上が自身の立場が脅かされるのではないかと、あなたを疑うのは当然でしょう? 僕だってユリシスと二股をかける浮気女なんて信用できなませんし。まあ、でもフィオラの兄君に濡れ衣を着せて陥れたのは、僕も少しやり過ぎだと思いますけどね」
レヴィオンは肩を竦めて言う。
「……陛下はご存じなのですか?」
「まさか、すべて母上とおじいさまが企てたことですよ」
「エ、エメロフ侯爵、レヴィオンの言うことに耳を貸してはなりません! この女が……そう、この女が、あることないことレヴィオンに吹き込んで、おかしな発言をさせているんです! この毒婦が!」
王妃がブルブルと震えながら、アリアを指差す。
どうやらアリアに全ての罪を被らせようとしているらしい。
確かに、あることないこと吹き込んだのは事実だ。けれど、フィオラに関してだけ。フィオラの兄のことなど知らない。
「アリアは毒婦ではありません! 僕は事実を言っているだけです。その証拠だってちゃんとある!」
「殿下、証拠をお持ちなのですか?」
「はいエメロフ侯爵。フィオラが婚約破棄を大人しく受け入れてくれるなら、お渡し致しますよ!」
「あああああ、レヴィオン! あなた自分が何を言っているのかわかっているの!」
王妃は顔をこれ以上ないほど歪め、絶叫した。
レヴィオンとよく似た美貌が台無しである。
「いったい何の騒ぎだ」
この騒動の収拾をつけられる唯一の人物が、ようやく姿を現した。
「父上、遅かったですね」
レヴィオンはにこやかに国王を迎える。
「僕はフィオラとの婚約を破棄し、ここにいるアリア・ソラリーヌと結婚することにしました」
「婚約を破棄するだと……? いきなりお前は何を言っているのだ。少なくともこのような場所で言うことではなかろう」
「陛下」
困惑する国王の傍に、ユリシスがすかさず身を寄せる。
そして、こそこそと何かを耳打ちをはじめる。
おそらく事の経緯を説明しているのだろう。
「陛下! ユリシスの話に耳を傾けないで。わたくしがお話ししますわ!」
「父上、ユリシスではなく僕の話を聞いてください!」
母子がそれぞれ大声を上げているが、国王は完全無視で、ユリシスの話に耳を傾ける。
そして聞き終えた国王は、疲れ切ったかのように肩を落とし、大きな溜め息を吐いた。
「お前たち……何ということを……。エメロフ侯爵、これらの件については詳しく調べたあと、改めて話し合う機会をもうけたいのだが……よいかね?」
「揉み消したりせず、しっかり調べるとお約束していただけるのならば、お待ちいたしましょう」
「もちろんだ。このような場で騒ぎを起こしてしまい申し訳ない。私たち抜きにはなるが、みなはまあ、この醜聞を肴に夜会を愉しんでくれたまえ」
茶化したように言ったあと、国王は妻と息子に厳しい眼差しを向けた。
「お前たちには詳しく話を聞かせてもらう。連れていけ」
近衛兵が現れ、王妃とレヴィオンを取り囲んだ。
「陛下! お待ちください。誤解なのです。どうか話を聞いてくださいませ」
「心配せずとも、話はしっかり聞かせてもらうと言っているだろう。……私も、お前が潔白であればいいと……そう願っている」
「へ、陛下……」
国王の厳しい言葉に、王妃はハッとして、力なく項垂れる。
「父上、僕とフィオラの婚約破棄はどうなるのです! 婚約破棄をお認めください!」
「その馬鹿者はとりあえず牢に放り込んでおけ」
「なぜ牢に放り込まれねばならないのです! 僕は真実の愛を見つけただけです!」
「…………陛下、彼女は、どうなさいますか?」
レヴィオンを取り囲んだ近衛兵の一人が、アリアを一瞥して国王に問う。
「……その者も、見張りを付けて別室に閉じ込めておけ」
「僕のアリアに触れることは、誰であろうと許さない!」
アリアの肩に触れようとした近衛の手を、レヴィオンが振り払う。
「殿下……少しの間、離れるだけです。国王……お父様とお母様も、きちんとお話しすれば私たちの愛を認めてくださいますわ」
国王陛下と王妃殿下、と言うべきところを敢えて『お父様とお母様』にした。
そのほうがより無礼で無知な女に見えるはずだ。
「アリア……。そうだね……離れるのは、少し間だけだ」
「ええ。兵士さん。大人しくついて行きますので、触らないでくださいませ」
レヴィオンの嫉妬心を刺激したくない。
無邪気ににっこりと微笑んで頼むと、近衛は呆れたように眉を上げながらも頷いて「こちらへ」と誘導した。
(これで、終わり)
準備に三か月。実行に六か月。
早いようで短い月日だった。
結果はほぼ間違いなく『成功』だ。
ようやく終わるのだと、アリアが達成感に浸りながら一歩足を踏み出す。
そのときだ。
急に腕を引かれた。
見た目より逞しい腕が、アリアの身体を抱き込む。
そして、あっと思った瞬間には、端正で華やかな顔が近づいてきていた。
口づけをされたと気づいたのは、唇が離れてからだった。
「アリア、待っていてね。必ず、迎えに行くから」
状況も忘れ見蕩れてしまうほどの麗しい微笑みを浮かべ、レヴィオンは言った。
そうして、颯爽とした足取りで大広間をあとにする。
レヴィオンのほうが先に歩いているので、近衛兵を付き従えているかのようだった。
そういえば口づけをするのは初めてだ。
アリアはレヴィオンの温もりが残る唇を指でなぞった。
(おあいにくさま。もう会うことはないわ。さようなら、レヴィオン殿下)
アリアは心の中で、お馬鹿な王子様に別れを告げた。
「こちらへ」
近衛兵に促され大広間を去る間際、ちらりと背後を窺うと、青ざめているフィオラにユリシスが寄り添っていた。
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