第7話 来訪者

 翌日、アリアは執事にラルベ男爵家の世話になるつもりはないことを伝えた。

 執事は眉間に皺を寄せ「どうなさるおつもりなのですか?」と訊いてくる。


「アダム様のお世話になろうかと思いまして」

「……正気ですか」


 アリアの答えに、執事の眉はさらに寄った。


「私、今までの生活を捨てたくないんです。アダム様なら愛人として私に、今までと同じ……いえ今まで以上に優雅な生活をさせてくれるでしょう?」


 アリアは毒婦らしく、にっこりと笑って首を傾げて見せた。

 執事は額を押さえ、大きく溜め息を吐く。


「旦那様と違って、あの男はけだものです。本当にあんな男の愛人ができるのか、よくお考えください」

「…………よく考えたうえの結論です」


 アダムの太い指が自身の肌に触れるのを想像すると、背中に悪寒が走った。

 あんな男に触れられるくらいなら、芋虫に触れられたほうがずっといい。

 けれどもう決めたことだ。

 嫌だけれど、男爵の財産をアリアが手に入れるためにはそれしか方法がなかった。


 頭の悪い男だが女性の扱い方には慣れている。

 年若いあなたには手に負えない。

 後悔しても遅い――などと、執事は怖がらせるようなことを言って、考えを改めるよう促してきた。

 しかしアリアは何を言われようとも、この屋敷を出て行くつもりはなかった。



 それからもしつこくラルベ男爵家に移るよう言われたが、男爵が亡くなり十日が経つ頃には、ようやく執事も諦めたのだろう。

 アリアを見ると盛大に溜め息を吐くだけになっていた。


(アダムが来たら、愛人にしてくれるよう頼めばいいのかしら。それとも、私から会いに行ったほうがいいのかしら)


 どうすればアダムの気が引けるか思案していた頃だ。

 ユリシス・ファルディスがアリアの元を訪ねてきた。


   ◆ ◇ ◆


 困惑顔の執事に呼ばれ、アリアは応接室に向かった。

 室内には三人の男がいた。

 軍服姿の二人の男はおそらく従者だ。

 見るからに仕立ての良い衣服を纏った長身の男が、窓際に立っていた。

 アリアが部屋に到着したと気づいたのだろう。

 男がゆっくりとこちらを向く。

 

「君がアリア・ソラリーヌ嬢か? 私はユリシス・ファルディスだ」


 艶やかな整えられた黒髪に、切れ長の黒い瞳。

 まるで腕のよい彫刻家が作った彫像のごとく、冷たげで整った顔立ちをしていた。


「初めまして。アリア・ソラリーヌです」


 アリアは男の美貌と覇気に圧倒されながら、淑女の礼をする。


(この人が……闇王子……)


 実際の姿を目にするのは初めてだったが、ユリシス・ファルディスの名はよく知っていた。いや、ラクーン王国に住んでいる者なら、誰しも一度は彼の名を耳にしたことがあるはずだ。

 それくらい彼、ラクーン王国の王子ユリシスは有名人だった。

 大人びた外見のため二十代半ばに見えるが、まだ十八歳。

 幼い頃から優秀で、魔力持ち。類い希な闇属性の魔法を扱えるユリシスは『闇王子』と呼ばれ、すでに国王の忠実な臣下としてその能力を発揮していた。

 一年ほど前、隣国と小競り合いが起きたが十日も経たぬうちに終結した。それもこちらには何の被害もなく、ラクーン王国側の有利な条件で。

 指揮を担っていたのは別の者だったが、副官として随従していたユリシスがいなければここまで上手く事は運ばなかっただろうと言われていた。


(王子様がいったいなぜ……?)


 男爵の死を知って駆けつけたのかと思ったが、男爵はこの地方では資産家として名も知れているものの王都ではまったくの無名だ。

 田舎貴族の男爵と、王族が知り合う機会があるとは思えなかった。

 

(私から用件を訊ねてもいいものかしら……)


 一般的な礼儀作法は学んでいたが、王族に対する作法までは習っていない。

 自分から声をかけてよいものか迷っていると、ユリシスが右手を挙げた。


「少し二人きりで話したい」


 従者が一礼をして部屋を出て行く。

 執事は躊躇うように、アリアを見た。

 密室に二人きりにしてよいものか迷っているのだろう。

 けれども王族の指示に従わぬわけにもいかないので、従者を倣い一礼してから部屋をあとにした。


「座って話そう」


 ドアが閉まると、ユリシスはアリアにソファへ座るように促した。

 テーブルを挟んで、向かい合って座る。

 ユリシスは黒い瞳をじっとアリアを見据えた。怯みそうになるが、アリアは目を逸らさず黙って彼を見返した。


「君を訪ねたのは、頼みたいことがあったからだ」

「……頼みたいこと……ですか?」

「そうだ。君に魅了の力があると耳にした。ぜひ、私に力を貸してほしい」


 アリアの噂を、事実と信じ訪ねてきたようだ。

 魅了などないと訂正しようとしたのだが、アリアが口を開く前に、ユリシスが交渉を始めた。


「力を貸してくれるのならば、君の望む報酬を用意しよう」

「…………報酬、ですか?」

「失礼だが少し調べさせて貰った。男爵が亡くなり、君は近いうちにこの屋敷から出ていねばならぬのだろう? 君が当面遊んで暮らせるだけの金を渡そう。他にはそうだな……君が望むなら、良い縁談を探してもいい」


 男爵がアリアにお金を残していたことまでは、さすがに知らないようだ。

 お金などほしくはない。結婚先も探していなかった。

 アリアの望みはひとつだけだ。


「他にも何か望みがあるならば、言ってくれ」


 アリアの心を読んだわけではないのだろうが、ユリシスはそう続けた。


「何でも……望みを叶えてくれるのですか?」

「……あまり無茶な望みは無理だが、私に可能なことならば」


 王族ならば……ユリシスの魔力があれば、男爵夫人とアダムを追い落とせるのではなかろうか。

 アダムの愛人になって、巡ってくるかもわからぬ機会を窺うより、目の前の男に頼るほうが手っ取り早く復讐できるのでは。

 そう思った瞬間、口が開いた。

 

「ソラリーヌ男爵の遺産を、男爵夫人とその息子には渡したくないのです」


 アリアの言葉に、ユリシスは僅かに眉を寄せる。

 

「…………君がソラリーヌ男爵の遺産を継げるよう、男爵夫人とその息子を排除すればいいのか?」

「彼らの死までは願っていません。ただ……二人にソラリーヌ男爵家の遺産を相続できないようにしてほしいのです。してくださるのなら、何でもいたします」


 アリアはおかしな自信で満ちあふれていた。

 魅了の力どころか魔力なんてないのに、今ならば何だってできる気がした。


「……いいだろう。アリア・ソラリーヌ。私の依頼と引き換えに、報酬として君の望みを叶える。この取引は他言してはならない。改めて問う。私の依頼を受けてくれるか?」

「はい。ご依頼をお受けします」


 アリアの答えにユリシスは満足げに頷く。そして……。


「王太子を誘惑してほしい」


 アリアを見つめ、そう口にした。

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