第6話 残された者のこれから

 男爵が亡くなった翌日、男爵夫人とアダムが屋敷に乗り込んできた。

 その二日後、アダムが取り仕切り、葬儀が執り行われた。

 仕男爵は慎ましい葬儀を望んでいたが、彼の気持ちは酌まれなかった。

 多くの参列者が招かれた大がかりな葬儀だったが、アリアは参列を許されず、自室で静かに養父を見送った。

 

 葬儀後、アリアの部屋に喪服姿の男爵夫人が乗り込んできた。


「七年もあんな偏屈で何の面白みもない老人の相手を務めていたなんて、同じ女として同情するわ。いくら贅沢な暮らしができたからといって、大事な乙女の時代をあんな男に捧げるなんて本当に可哀想。ふふっ、早く死んでくれて、あなたもホッとしているんじゃない?」


 男爵夫人は嘲るような笑みを浮かべて、アリアの部屋を物色する。

 棚に置いてある宝石箱を開き「あら案外ケチだったのね」と呟き、比較的大粒なルビーのネックレスを取り出して身につける。


「あとは好みじゃないから、あなたにあげる。私、今、とっても機嫌がいいの。だから、すぐに出て行ってほしいところだけれど二十日の猶予をあげるわ」


 男爵夫人は鼻歌を口ずさみ、部屋を出て行った。


 少しすると、また別の招かざる者がノックもせず現れた。

 アダムである。


「しばらく見ないうちに、いい女になったじゃないか」


 アダムは頭から足先まで、じっとりとした視線をアリアに這わせながら言った。

 アダムと最後に会ったのは、一年前ほど前。

 男爵とともに訪れた夜会に、彼も招かれていた。会ったといっても挨拶などはせず、遠目で彼がいるのを確認しただけだ。


「行く当てなどないんだろう? お前の返事次第では、ここに置いてやってもいい」

「…………男爵夫人からは、二十日が過ぎたら出て行くよう言われましたけれど」

「母上か。まあ、そうだな体面もあるしな。…………あれこれ言われても困る。別の住処を用意してやろう」


 母親だけではなく、自身の妻子のことも頭を過ったようだ。


「あんなくたびれた老人ではお前も満足できなかっただろ。本当の男というものを教えてやる」


 男はニヤニヤと笑みを浮かべながら、アリアに近づいてくる。

 芋虫のような太い指が、アリアの手に触れた。

 アリアは先日看取ったばかりの、冷たく骨張った指の感触を思い出した。


(親子でないにしても血は繋がっているはずなのに……まったく、ひとかけらも似ていないわ)


 ぼんやりと顔を寄せてくる男を見返していたときだ。


 「アダム様!」


 足音とともに、大きな声が響いた。

 アダムは舌打ちをし、声のほうを見る。

 アリアもアダムの視線を追い、そちらに目をやった。

 喪服姿の執事が険しい顔で立っている。


「何だ?」

「奥様がお呼びです。それから流石に……葬儀のあと、そのような行動はお控えください」

「アリア、続きはまた今度だ。楽しみにまっているといい。……おい、お前の旦那様は俺になるんだ。お前こそ俺に偉そうな態度は控えろよ。でなければ、クビにするぞ」


 アダムはアリアにねっとりとした視線を向けたあと、執事に吐き捨てるように言って部屋を出て行った。


「アリア様。話さねばならぬことがあるので、あとでお時間をいただけますか?」


 ソラリーヌ男爵家で暮らし始めて七年が経つが、執事に名前で呼ばれたのは初めてだ。

 彼は……いや彼だけではない。

 屋敷の者たちは極力アリアから距離を置き、関わりを持たぬよう心がけているようだった。


 男爵家の者たちが自分を疎んでいるのは知っている。

 男爵夫人は十日の猶予をくれるといったが、執事はすぐにでもアリアを追い出したいのかもしれない。

 荷造りをしなければと思ったが、アリアの私物のすべては男爵から買い与えられたものだ。

 アリアが持ち出せるものなど何もない。出て行けと言われたら、身ひとつで出て行くのが筋だろう。

 

 することもないので、アリアはソファにただ座って執事の訪れを待つ。

 しばらくして現れた執事は、アリアに意外なことを言ってきた。


 執事は、男爵からアリアにお金を渡すよう頼まれていたという。

 お金だけではない。男爵はアリアの預け先も用意していた。


「ラルベ男爵夫人はご主人とご子息を亡くしております。穏やかな人柄で、使用人たちからの信用も厚い。とりあえず一年間、話相手としてそちらに置いていただけるよう話をつけております。その後、使用人として雇ってもらうか、それとも別の仕事に就くか……何にせよ、生活に困らぬだけのお金がありますので、よく考えてお決めください。ただ、ここを出て行くのは早いほうがいい」


 今のところアリアが男爵の愛人ではなく養女だったと、男爵夫人やアダムに知られていない。けれど、いづれは発覚する。

 男爵がアリアにすべての財産を譲るつもりだったことにも、気づくはずだ。

 企みが失敗に終わり安堵するだけでなく、恨みがアリアに向かう可能性は大いにある。

 それに男爵夫人は、アリアの養母になるのだ。

 男爵がアリアにいくらお金を残してくれていても、その権利を行使すれば取り上げられる。

 戸籍上では兄のアダムもまた、保護者だといえばアリアを自身の庇護下に置けた。


 アリアの行き先は決して漏らさないので、すぐにでも荷をまとめラルベ男爵家に向かうよう、執事は強く勧めてきた。


「少しだけ……考えるお時間をいただいても構いませんか」

「考える? 何を考えるというのです。……これを」


 執事は書簡をアリアに手渡す。


「明日、朝にはラルベ男爵家に迎えるよう馬車の準備をしておきます。どうか、旦那様もお気持ちを……望みを無駄になさいませんように」


 執事はそう言い残し出て行く。

 バタンと閉じたドアをじっと見つめたあと、アリアは渡された書簡に目を通した。


 男爵が執事宛に書いた書簡だった。

 挨拶や礼などの言葉はなく、先ほど執事がアリアに言ったことが簡潔に記されていた。

 

 神経質そうな字を、アリアは指でなぞった。

 病を患ってから書いたものなのか、ところどころ筆跡が乱れていた。


 自身の命が残り僅かだと知り、男爵は自分のために金と受け入れ先を用意したのだ。

 生きているときにそれをアリアに伝えなかったのは、なぜなのか。

 どうして、ここまでしてくれるのか。

 

 孤児だった女が休みなく働き、一生かかっても稼げないだろう大金を男爵はアリアに残していた。

 七年間の報酬にしても、余りある金額だ。


 男爵が病を知ったときや彼の病が日に日に進行していったとき、苦しみながら息を引き取るのを見届けたとき以上に、アリアの心はかき乱されていた。

 

(報酬なんて……。私はあの人の望みを叶えられなかったのに……)


 アリアの脳裏に、男爵夫人の嘲るような笑みと、アダムのニヤけた顔が浮かぶ。

 あの母子は、男爵の企みが成功しなかったことを喜び、彼を嘲り、ソラリーヌ男爵家の資産を食い尽くしていくのだろう。


 ――望みを無駄になさいませんように。


 先ほど聞いたばかりの執事の言葉を思いだし、アリアは眉を寄せる。


(違う。あの人の望みは復讐だった。母子に財産を渡さない。それが、唯一の望みだった……)


 男爵の復讐のために、アリアは彼に引き取られたのだ。

 なのに復讐を遂げられぬまま、この屋敷から離れてよいわけがない。


 アダムはアリアに興味を持っている。

 彼の愛人になり、彼の心を虜にすれば……復讐の機会が巡ってくるかもしれない。

 人々に噂されているような魅了の力はないので、どこまでアダムを本気にさせられるかわからない。

 けれどもアリアがあの母子に復讐するには、それくらいしか手がなかった。


(あいつらには絶対渡さない。今は奪われたとしても……いずれは全部……全部取り戻してやる)


 アリアは男爵の手紙を握りしめ、今後の計画を練った。

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