第10話 女神

 悩んだ結果、可愛い系に少しだけ毒婦を足したかたちで挑むことにした。

 髪は緩く巻き、横髪を一房、胸元のリボンと同じ色合いのリボンで結ぶ。

 化粧はしっかりと念入りに、けれどパッと見は素顔に見えるよう心がけた。

 姿見に映ったアリアは、魅惑的でなかなかの美少女ぶりだった。

 これならば、王太子を誘惑するのもそう難しくないだろう。

 転入試験を受けたときよりも自信満々で、アリアは学院に向かったのだが……。


 教師に同学年の男女が机を並べる教室に案内されたアリアは、転入の挨拶をしながら心の中で激しく焦っていた。

 

 (これが田舎と……王都の違いなの……?)


 アリアは過去に何度も、社交場に足を運んでいた。

 その際、同じ年頃の令嬢と顔を合わす機会は度々あった。

 みな美しく着飾っていたが、正直なところ自分が彼女たちに容姿で負けていると思ったことは一度もない。

 けれど教室には四人ほどアリア並みの容姿の者がいて、さらに一人、際だった容姿の美少女がいた。

 雪のごとく白い肌に、品良く編まれた艶やかな銀髪。

 長い睫に彩られた物憂げなサファイアの瞳。華奢な輪郭に、薄紅色の唇。

 外見も素晴らしかったが、佇まいに清廉さがある。


「わからないことがあれば彼女に聞いてください。フィオラさん、頼みましたよ」


 アリアが挨拶を終えると、教師がその美少女に視線を向ける。

 机に座っていた美少女が立ち上がり「フィオラ・エメロフです。どうぞよろしくお願いします」と微笑んだ。

 可憐な笑みに目眩を起こしそうになったが、アリアは何とか引き攣った笑みで挨拶を返す。


 フィオラ・エメロフ。

 その名をアリアは知っていた。

 アリアの標的である王太子の婚約者の名前だった。



 

 授業が終わり昼休みになると、女生徒たちに机の周りを囲まれた。

 

「この時期に転入なんて、珍しいですわね」

「初めて耳にするお名前ですけれど、どちらのご出身ですの?」

「何かご事情があって、転入されたのですか?」


 興味津々というか値踏みしているような表情で、問いを投げかけてくる。

 圧倒されるが、質問の答えは用意している。

 答えようと口を開きかけたとき、高く澄んだ声が割って入った。


「みなさん、不躾な詮索は失礼です。転入試験はかなりの難関です。アリアさん、とても優秀なんですね」


 フィオラが優雅な笑みを浮かべて立っていた。

 女生徒たちの態度はフィオラを見るなりころっと変わり、口々に「凄いですわ」「頭がいいのね」とアリアを賞賛し始める。

 

 侯爵という身分か、王太子の婚約者という立場か。それとも容姿なのか。振る舞いのせいなのか。

 フィオラはみなから一目置かれているようだった。


「アリアさん、食堂にご案内しますね」

「ええ……ありがとうございます」


 フィオラの傍にいれば、自然とレヴィオンにも会えるだろう。

 断る理由はないのだが、曇りのない青色の眼差しに引け目というか居心地が悪くなった。


 「みなさん一緒だと余計に緊張するでしょうし、覚えることもたくさんあるでしょう。今日は私と二人で行動してほうがいいかもしれません。みなさま、ごめんなさい。今日はアリアさんを独り占めしますね」

 

 アリアはフィオラと二人きりで食堂に行くことになる。

 なぜ自分と二人きりになりたがるのか。

 ユリシスとの取引を知っているのか。どこからか話が漏れたのか。

 疑心暗鬼になっていたアリアたったが、すぐに純粋なフィオラの気遣いだったと知る。


 学院は広く、食堂まで結構な距離があった。

 そのうえ白壁の何の変哲もない廊下や、階段が続いている。

 フィオラの案内がなければ確実に迷っていたし、あちらこちらから次々に話しかけられたら、今以上に混乱していたに違いない。


「アリアさん、こちらですよ」

「あ、はい」


 田舎者丸出しでキョロキョロと辺りを見回しているアリアに、フィオラが優しく声をかけ案内してくれる。

 

「あちらの階段を使うと、西棟に行ってしまうから気をつけてくださいね。教材置き場の右隣の階段、と覚えるのがわかりやすいかもしれません」

「……はい」

 

 男爵に引き取られてから、一人で外出したことがない。

 王都に移ってからも、宿に閉じ籠もっていた。

 自覚はなかったのだが、もしかしたら方向音痴なのかもしれない。

 フィオラは丁寧に教えてくれるが、一人で食堂までたどり着ける自信はまったくなかった。


「しばらくは一緒に行きましょうね」


 アリアの不安げな眼差しに気づいたのか、フィオラがそう言って微笑む。


「このメニューの中から選んで、ここに並ぶんです。アリアさん、苦手なものはありますか? 私のおすすめはこれです」


 食堂についてからも、フィオラは食事の選び方を丁寧に教えてくれる。


「今日は幸運です。あの場所、眺めがいいのでおすすめですよ。あちらは陽当たりはよすぎて、日焼けをしてしまうのでおすすめしません」


 トレーに食事を乗せ、フィオラと並んでテーブルに座った。


「アリアさん、見てください。あの木の上に巣箱があるでしょう? ヒナを産んだばかりなんですよ。ほら、親鳥が来ました」


 食事の合間に、手を止めてフィオラが話しかけてくる。

 青い目はキラキラしているし、頬がほんのり赤く染まっている。

 同性の目から見ても、ときめいてしまうくらい愛らしい。

 

(この女神みたいな人の婚約者を誘惑しろと……?)


 自分が仮に男だったとしたら確実にフィオラを選ぶ。

 せいぜい十回生まれ変わって、気まぐれに一度自分を選ぶかも……ほどの差がある。


 ユリシスはアリアの魅了の力に、過剰なほど期待しているに違いない。


(でも……別に失敗したって、私に損はないのだし……)


 男爵が復讐したがっていた相手を追いやったのだ。

 ユリシスには申し訳ないが、アリアの目的はすでに達成されていた。


 心の中で白旗を振り、上品に野菜を口に運ぶフィオラに見蕩れていると、背後から言い争う声が聞こえてきた。

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