6・ディートリヒの想い人

 ディートリヒに連れられて、小部屋に入る。扉はきっちり締められた。『なんてマナー知らず!』と憤慨したけど、すぐに気がつく。彼と私は未婚の男女ではなく夫婦だから、密室にふたりきりでもなんの問題もないのだ、と。


 ――ふたりきり。ディートリヒと。


 昨晩のことを思い出して、顔が熱くなる。

 ダメ、冷静になるのよローザリンデ。


「手を離して」

 あっさりと解放される。

「近すぎるわ」

 ディートリヒは私と半歩の距離で向かいあって立っている。私の背後は扉で一歩も下がれない。

 と、彼がバン!と音を立てて、右手を扉についた。私の顔のすぐ横に。まだ怒っているらしい。怒りたいのは私のほうよ!


「惚れ薬をの――」

「こんなに早くレイルズに不満をぶちまけるほど、結婚がイヤなのか!」

 怒りでつり上がった目で、至近距離から睨まれる。

「いい加減、覚悟を決めたらどうだ」

「決めているわ」

「決めていたら初夜のあとまで抗議なんてするものか」

「それは……」


 怒り顔のディートリヒから目を離す。


「あなたがレイルズに惚れ薬をのまされたのは気の毒だと思ったし、私もイヤだったから。彼に、ひどいことをしたのだと気づいてほしかったのよ」

 ディートリヒが盛大なため息をついた。

「なんで勝手に俺を気の毒だと決めつけるんだ」


 彼を見上げた。逡巡する。

 秘密を知っていると告げるのか、告げないのか。

 告げるのは酷かもしれない。でも私も口先だけの愛を囁かれるのは虚しい。

 なんで惚れ薬をのんでいないのに、あんな様子だったのかは気になるけども。


「あなたは好きな方がいるのでしょう? ごめんなさいね。偶然、耳にしてしまったの。だからレイルズに私との結婚を決められたり、惚れ薬を勧められたりするのは残酷だと思って」

 ディートリヒがまばたく。

「……本当に俺のために言っていたのか」

「そうよ。もちろん、この結婚が中止になればいいとの考えもあったけれど」

「このぶんだと、俺が好きな相手はヨゼフィーネだと考えてるな?」


 黙ってうなずく。


「お前、本当にアホだな」

「どうしてよ!」

「アホだからだよ」


 ディートリヒが呆れたように目をすがめた。


「なあ、ローザリンデ。お前が俺のなにを知っている。お前にとって俺は敵対する家の嫡男だ。俺もお前も、レイルズやヨゼフィーネと仲が良くても共にいる時間はないよう注意を払ってきた」

「そうね」

「俺からカーマンというフィルターを外してみろ」

「なぜ?」

「いいから」


 意味がよくわからない。仕方ないから、とりあえず顔を観察してみる。

 ……ほれぼれするほどの美男だわ。


「どうだ」とディートリヒ。

「美形ね」

「いい男だろ」

「顔はね」

「中身もだ」

「そうかしら。傲慢で自分本位じゃない」

「は?」ディートリヒは顔をしかめた。「正直に答えろよ」

「正直に答えているわ。自覚がないのね」


 彼が若干身を引いた。


「あなたを詳しく知っているわけではないけど、それくらいはわかるわ。もっとも、そういうところが『決断力と頼り甲斐があって素晴らしい』と感じる令嬢もいるみたいね」

 ユリアーネの受け売りだけれど。結婚が決まってからというもの、彼女は一生懸命にディートリヒの長所を私に説いてた。


「本気か……」とつぶやくディートリヒ。

 かなりショックを受けているみたい。

「頭脳は素晴らしいわね。それはお父様も悔しがっていたくらいよ」

「当然だ。が、それだけか? カーマン、ヒュブナー両陣営合わせても、俺は令嬢人気ナンバーワンなんだぞ」

「どこ調べよ」

「レイルズとユリアーネ」

「恣意的な結果じゃないかしら。グスタフのほうが優しくて紳士で伴侶として最高だわ」

「は?」一気にディートリヒの顔が険しくなった。「あいつに恋情はなかったんじゃないのか!」

「そうだけど、どうしてあなたがそれを知っているの? ああ、ユリアーネづたいにね」


 ディートリヒの胸を両手で押す。

「そろそろ退いてちょうだいな」

「ほかに言うことがあるんじゃないか。『どうして惚れ薬をのんでいないのに、愛が爆発したふりをしていたのか』とか」

「訊こうとしたら、あなたが遮ったんじゃない!」


 だけど話している間に、なんとなくの考えは浮かんだ。


「あなたなりに、私が初夜にきちんとのぞめるようにしてくれていたのね」

 だから覚悟という言葉を何度も口にしていたのだわ。私にそれが足りないと思って……


 それにしては『爆発』しすぎだったような気もする。


「わかったわ! 無事に乗り切れるよう、あなたは自分にも暗示をかけていたのね」

「なんでそうなるんだ」

 ため息をつくディートリヒ。この部屋に入ってから、何度目かしら。


「違うの?」

「違う」

 そう言ったディートリヒはキスをした。

 どうして今するの?

 彼はゆっくりと離れていく。


「俺が好きな女はローザリンデ・ヒュブナーだ」

 エメラルドの瞳が私をみつめている。

 ローザリンデ・ヒュブナーは私だと思うのだけど。

 聞き間違いよね。だって私はヒュブナーだもの。似た名前の令嬢がいたかしら。


「聞こえているか? 俺は惚れ薬はのんでいないし、演技もしていない。全部嘘偽りない本心の言葉だ」


 全部本心?

 昨晩の睦言が?

 あの熱烈な、言われているほうが恥ずかしくて悶え死にしてしまいそうな言葉の数々が、すべてディートリヒの本音……


 急激に顔が熱くなる。


「ようやく意識してくれたか」

 頬を指でなぞられ、思わずビクリとしてしまう。

「い……今までそんなそぶりはなかったわ」

 なんとか声を振り絞る。


「脈がないのを承知でヒュブナーの令嬢を口説けるわけがないだろうが。お互いに婚約者がいる身だったしな。だが結婚が決まったときは、心の中で勝鬨かちどきを上げていたぞ」

「不機嫌な顔で私を睨んでいたわ」

「違う」ディートリヒが微笑んだ。「早く初夜を迎えたい一心だった」


 彼は視線を外さないまま、私の髪をひとすじすくって口づけた。


「覚悟をしろよ。結婚にこぎつけた以上、俺は絶対にローザリンデを手放さない。早く俺に惚れるといい」

「ええと、あの……」


 熱のこもった目から、視線をそらせない。

 昨晩の睦言もすべて本気なわけで。

 心臓は破裂しそうなくらいにうるさくて。


「……はい」


 気づいたら、そう答えていた。

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