3・初夜

 ヒュブナー、カーマン、両派閥の腹のうちがどうであれ、国王の命令のもとディートリヒと私の挙式はつつがなく執り行われて私たちは夫婦になってしまった。


 天地開闢かいびゃくのときよりいがみ合ってきた両家の初の婚姻だから、事前に多くの契約を結んである。だから私は一応は、嫡男の花嫁として丁重にカーマン家に迎え入れられ、もてなされた。大奥様以外の顔は強張りまくっていたけれど、仕方ない。私だってきちんと笑顔を保てている自信がないもの。


 ぎこちないなりにも歓迎の宴は終わり、ついに初夜。大奥様が気遣ってくれたのだろう、私にこっそりと

「心配しないで。ディートリヒディーにはちゃんと、『カーマンの名誉にかけて、紳士たれ』と命じておいたわ」伝えてくれた。


 だけど問題はそこではないと思うのよね。

 私だってヒュブナーの娘として誇りはある。だからこの結婚にも、宿敵と閨を供にしなければならないことにも覚悟は決めてある。

 ただ、ディートリヒの秘密をしってしまったせいで、彼が気の毒に感じてしまう。


 挙式の誓いのキスですら、彼はまともにできなかった。目をそらし、辛そうな表情で私のこめかみに軽く唇を当てただけ。


 一昨日の私ならば、『臆病者!』と間違いなく鼻で笑った。でも今日は、そんな気になれなかったわ。

 私には恋のツラさはわからない。けれど、愛する伴侶と幸せそうにしている親友に命じられたこの結婚は、ディートリヒにはかなり堪えているのではないかしら。


 それにこれは完全な推測でしかないのだけど。彼の想い人はヨゼフィーネなのではないかしら。それなら、彼が親友に恋を隠すのは当然よね。

 もしこれが正しかったら、ディートリヒには酷すぎるわ。




 予定どおりに私はメイドたちによってキレイに磨かれ、しどけない夜着を着せられて夫婦の寝室に送りこまれた。まだディートリヒはいない。室内は照明を落としめにしてあり、そこかしこに花々が飾られ、かいだことのない甘い薫りが立ち込めている。


 可哀想に、とまたも思う。

 彼とて腹はくくっているだろうけど、こういうロマンチックな雰囲気は、大切なひととがよかったに決まっている。だって友人はみんな、そう話しているもの。


 でも避けては通れないのよね。両家で細かく取り決めをしてしまったから。

 このあたりに関することはみっつ。ひとつめは私がディートリヒの子供を生むまでは、お互いに愛人を持つことは禁止。ふたつめは婚外子はカーマンの籍に入れない。みっつめはディートリヒの跡取りは私たちの血を引く者。


 しっかり書類にして、ディートリヒと私、両当主のサインがしてある。

 あんな契約、反対すればよかった。


 ベッドに腰掛け、ため息をつく。

 ここまで来てしまった以上、私はなにも知らないふりをして粛々と夫婦になるしかないわ。同情している素振りを見せないように気をつけないといけないわね。


 カチャリと音がして、続き部屋への扉が開いた。ディートリヒだ。無言で入ってくると、やはり無言のまま隣にきて、座った。まとう空気が重い。気が乗らないのが、まるわかりだわ。


『私だって同じよ』と怒りたいけど、私には愛するひとはいない。そのぶんマシな状況だもの。ここは私がおとなの対応をするべきよね。

 ちらりとディートリヒを見る。薄暗い中でも、彼が不機嫌な表情をしているのがわかる。


「さっさと済ませましょう」

 ディートリヒが私を見た。睨んでいる。

「そんな顔をしないでくれるかしら。嫌なのはお互い様よ。それともいずれカーマン家を担う男のくせに、覚悟ができていないのかしら」


 スッとディートリヒの右手が伸びてきた。

 叩かれる、と思ったのは束の間。手は優しく私の頬に触れた。まるで壊れ物を扱うような手付きで。


「美しい花嫁姿だった」


 ややかすれた、低音の心地よい声。

 ディートリヒが喋ったのだと理解するまで、時間がかかった。


「花嫁姿がなんですって?」

『美しい』と言われた気がするけれど、きっと聞き間違いだわ。ディートリヒがそんな褒め言葉をヒュブナーの私に言うはずがない。


「美しかった。俺が今まで見た花嫁の誰よりも」

 聞き間違いではなかったわ!

 でもディートリヒは酷いしかめつらをしている。顔と発言があっていない。


「もしかして、酔っているの?」

 宴にはお酒もたんとあった。ディートリヒが飲んだのかどうかは知らないけれど、この発言はそうとしか思えない。


「酒は飲んでいない」とディートリヒ。

 なんと。

 頬を指でなぞられる。

 お酒ではないのなら――


「わかったわ! 大奥様に命じられたのね。無理に演技をしなくて構わないわよ」

 三ヶ月ほど前のこと。緊急事態が起こって、私は大奥様をお助けした。たいしたことはしていないのだけど、とても感謝されてしまった。


「ばあさまは関係ない」とディートリヒの表情が険しくなる。「ローザリンデの花嫁姿は美しかったと、本心で褒めている」

 ディートリヒの右手かゆっくりと動き、私の耳をなぞる。

「お前は我慢ならないだろうが、俺は――」


 唐突に、宴で見た光景が脳裏に蘇った。

 広間の隅でディートリヒとレイルズがふたりきりでこそこそと話していた。そのときにレイルズがなにかをディートリヒに渡して、『しっかりな』と腕を叩いた。

 あのときはなにも思わなかったけれど――


「惚れ薬を飲まされたのね! 見たのよ、あなたがレイルズからなにかを渡されているのを!」

 ディートリヒがまばたく。

「だからこんな変な言動を!」


 そうよ。友人たちが話していた惚れ薬。国王ならば難しい材料も手に入るから、作ることができるはず。


 立ち上がり、サイドボードにある水差しの元へ行く。グラスいっぱいに水を注ぐと、ディートリヒに渡した。

「飲んで。効果を薄められるといいのだけど」

「……」

 ディートリヒはしばらくグラスを睨んでいたけれど、乱暴に奪い取ると一気に飲み干した。


 空になったそれを受け取る。


「今夜はなしにしましょう。薬でおかしくなった状態でだなんてイヤでしょう? レイルズには明日、抗議をするわ」

 背を向け、グラスを卓上に置く。


「怖気づいているのか」


 振り向き、ディートリヒを睨んだ。

「違うわよ。あなたのためを思って言っているの」

「俺を慮っているフリをして、初夜から逃げたいだけだろう?」

「失礼ね。私は――」


『あなたの秘密を聞いてしまったから』という言葉を飲み込む。

 そのためらいの間にディートリヒは立ち上がり間合いをつめてきた。

 触れそうなほどの近さから、見下される。


 だーかーらー!


 あなたは美しすぎるから、近いのとか、真正面から顔を見るとかは、居心地が悪いのよ!

 誓いのキスのときだって、下腹に力を込めて全力で対峙したのだから。

 まあ。言葉にも態度にも出していないから、ディートリヒは知らないでしょうけど。


 そっと一歩下がる。


「ほら、逃げた」

 不機嫌な声が降ってきた。

「近すぎて、話をしづらいでしょ」

「話なんて必要ないだろ。お前が覚悟を決めればいいだけのことなんだから」

「覚悟はとっくに……むぎゅ」


 唐突に口を塞がれた。

 ――ディートリヒの唇で。

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