2・ディートリヒの事情

 今日は本来ならば私が挙式を行うはずだった日。空はよく晴れ、あたりには芳しい春の香りが漂っている。

 これから元婚約者の屋敷の庭で、ガーデンパーティーが始まる。私のお相手だったグスタフと、ディートリヒの元婚約者ユリアーネの結婚を祝うパーティーが。


 式を挙げ終えたばかりのふたりは、この上なく幸せそうな顔をして花道を歩いてくる。

 どうやらグスタフが心に秘めた女性が彼女だったみたい。ふたりの結婚も国王の命令なのだけど、もしかしたら――


「グスタフとユリアーネが相思相愛と知っていたの?」

 すぐそばに立って、満面の笑みでフラワーシャワーを投げかけている国王レイルズに尋ねる。小さな国だから、私たちは幼馴染。公式な場でなければ敬語は無し。


「知らないさ」とレイルズが答える。「俺は心底怒っているから結婚相手を組み替えただけ。案外うまくいったな」

「大成功ね」もうひとりの幼馴染、王妃ヨゼフィーネが、やっぱり花を投げながら笑顔で褒める。「さすが私のレイルズだわ」


 これまた相思相愛のふたりが、軽くキスを交わす。

 ふたりの左に立つ私と、右に立つディートリヒだけが仏頂面。仕方ないわよね。

 全員が幼馴染とはいえ、彼と私は敵同士。私たちが同席することはほとんどなかったし、嫌味を言う以外で視線を合わせたことはまったくないのよ。


 だというのに明日、彼と結婚しなければならない。

 ひどすぎるわ。

 あの日以降、レイルズに散々抗議をしたし、泣き落としもしたけれど決定は覆らなかった。国王は本気で建国以来の伝統(と言っていいはず!)であるヒュブナーとカーマンの対立を解消する気なのよ。


 もっとも。その兆しはもう出ているわね。

 ヒュブナー派閥伯爵家のグスタフと、カーマン派閥伯爵のユリアーネがあんなにも幸せそうに寄り添っているのだもの。

 でも私とディートリヒでは無理よ。骨の髄まで相手の家を嫌う気持ちが染み込んでいるのだから。


 私を案じてくれた友人が、今、世間で話題の惚れ薬のことを教えてくれた。レシピどおりに作れば効果てきめん、だけど材料を揃えるのが難しいとかなんとか。それを作ってディートリヒに飲ませたら、というのよね。


 もし本当にそんなものが存在するのだとしても、それはズルだと思う。

 そもそも彼が私を好きになったからといって、私のディートリヒに対する嫌悪が消えるわけではないもの。


 ああ。まったくもって、憂鬱だわ。



 ◇◇



 会場から離れてひとりでぶらりと花が咲き乱れる庭を歩く。

 企み顔をしたレイルズによって、席にディートリヒとふたりだけで残されそうになったから、慌てて逃げてきた。


 彼との結婚が決まって以降この半月ほどの間に、両家で会合を何回もした。挙式とその後の生活について、話し合わなければならないことはたくさんあったから。

 とはいえ毎回意見は揃わず、唯一両家が意気投合するのは国王への不満だけ。


 そんな中でディートリヒはいつも、むすっとした表情で黙っていた。普段はうるさいほどに多弁なのに。あまりに不自然だった。


 ――もしかしたら元婚約者のユリアーネを愛しているのかもしれない、と心配になったので、私がカーマン家で唯一親しい大奥様に尋ねてみたけど、違うとのことだった。

 となると単純に、私との結婚がイヤなだけとなるわね。


 もちろんのこと、私もイヤよ。

 だけど決定は覆らなかった。明日には結婚をしなければならない。

 憂鬱だわ。



「……よかったわね」

「ユリアーネはとても幸せそうね」


 どこからか令嬢の声が聞こえてきた。姿は見えないからきっと、高い生け垣の向こうにいるのだわ。

 この話しぶりだとカーマン派の令嬢たちね。顔を合わせる前に立ち去ったほうがよさそう。


「お気の毒なのはディートリヒ様よ」と令嬢の話が続く。

 わかるわ。でも私も同じくらい、可哀想よ!

「ヒュブナーのご令嬢は美しい方だけど」

 あら、ありがとう!

「でもユリアーネの話では、ディートリヒ様は愛する女性がいらっしゃるそうよ」


 思わず足を止めた。


「彼女は『片思い同士で仲良くできそう』と話していたのよ」と令嬢がため息をつく。「だから『自分だけ幸せになっていいのかしら』と嘆いていたわ」

「まあ、そうなの。お気の毒ね、ディートリヒ様」


 足音を殺し、その場を離れる。

 まさかディートリヒ・カーマンに、一方的に思いを寄せる相手がいるだなんて。思いもしなかったけど、でもこれで、しっくりきたわ。会合のたびの、あの仏頂面はその女性を想うがゆえのことだったのね。


 気の毒に。

 想い人と一緒になれないうえに、結婚相手が良き同志から、悩みを共有できない私に変更になってしまったとは。

 レイルズに今一度頼もう。今の令嬢たちの会話を伝えれば、考え直してくれるかもしれない。


 だけど、待って。

 ふたたび足を止める。


 ディートリヒとレイルズは親友だわ。なのにこの結婚を命じたということは、ディートリヒの恋を知らないということ。それを私が、本人の了承を得ずに伝えていいの?


 ……どう考えてもマズイわよね。


 きっと、なんらかの理由があって、ディートリヒは打ち明けていないのだわ。

 額を押さえてため息をつく。

 彼のことは大嫌いだけど、嫌がることや困ることをしたいとは思わない。勝手に秘密を暴露するわけにはいかないわ。


「代わりに、『最後のお願いをレイルズにしよう』とディートリヒを誘ってみる?」

「無意味だ」


 私の呟きに返事があった。ディートリヒだった。仏頂面のまま、こちらに向かって優雅に歩いてくる。

 表情はひどいけれど周りの花々と相まって、まるで一枚の絵画のよう。


 悔しいけれど彼はほれぼれするような美青年なのよね。カーマン家の特徴である銀糸のような髪とエメラルドのような瞳を持ち、一見儚げな妖精王に見える。


 でもよく見れば表情は常にふてぶてしいし、口を開けば毒舌で、殺しても死ななそうなタフさが全身から滲み出ている。


 ――秘めた片思いとは縁遠そうに見える。人間って見かけによらないものなのね。


「無意味との確信はどこからくるのかしら」

「ヤツに撤回の意志は微塵もない」

「それは知っているけれど、気が変わることがあるかもしれないでしょ」

 たとえば親友に愛する女性がいると知ったら、とか。


「レイルズとヨゼフィーネの気持ちはわからないでもないわ。両家の不仲のせいで苦労をかけているとも思う。でもこんな結婚はするべきではない。そうでしょ?」

 ディートリヒが眉を寄せた。

「腹をくくったと思っていたが」

「くくった。でもそれとは別」


 ディートリヒの端正な顔をみつめる。あまり正面から見たことがないから、ちょっと居心地が悪いけれど……。そこは気合で乗り切るわ!


 とにかくも。私は誰かに恋したことがない。だけど聞くところによるとそれは、とても切なくてツラいものだというじゃない。

 ディートリヒのことは嫌い。でも幼少期から決まっていた政略結婚ならともかく、国王の思いつきの結婚で、大切な想いを踏みにじられるのは気の毒だと思うのよ。


 そう伝える?

 でも敵対している私には知られたくないことかもしれないし。どうしよう。


「……甘いな。バカバカしい」

 ディートリヒは吐き捨てるかのようにそう言うと、踵を返して来た小道を戻っていった。


「なんなのよ。せっかくの厚意を頭ごなしに否定して」


 去る背中に声をかける。

 だけれど返事はなかった。

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