2・引き金の事件

 幼馴染である国王夫妻と庭園を散策しながら話をしているところに、近衛騎士数人が駆けつけてきた。顔面蒼白で、汗まみれだ。


 事件が起きたという。


 近衛騎士団の中に、一組の親子がいる。これが息子のほうが、いささか剣術が弱い。といっても厳正なる試験を通っているのだから、あくまで騎士団の中でのことだ。一般的に見たら、十分に高い技量の持ち主だ。

 だが父親は不満らしく、なにかとつけ厳しく当たっている。それが息子の負担であるのは明らかで、国王レイルズは団長を通じて父親を諌めてきた。


 だが、ついに息子が限界を超えてしまったらしいという。それも最悪な形で。


「父親を切り捨て、逃走したようです!」

 近衛騎士が報告する。

 つい少し前に、裏庭の一角で血まみれでこと切れた父親と、そのそばに息子の剣の鞘だけが落ちているのが発見されたという。息子の行方は捜索中。


「至急、城内にお戻りを」と近衛騎士たちが国王夫妻を促す。

「……ちょっと待って」とヨゼフィーネが青ざめる。「ローザリンデたちも雪見草を見るために散歩をしているはずよ」

「そういえば、うちのばあさまもそんなことを言っていた」

「無論」と近衛騎士がかしこまる。「見かけた方々にも避難の声がけはいたしております。さあ、早――」


 そのとき、絹を割くような悲鳴が聞こえてきた。

 すぐに混乱した声や音が続く。

 近い。


 思わず俺は走り出した。騒ぎが聞こえるほうへ向かうと、そちらからは令嬢やら夫人やらがほうほうの体で逃げてくる。

 ばあさまの姿はない。

 ――それにローザリンデも。


 庭園の高低をつなぐ階段を駆け下りようとして、それが目に入った。

 遠くに、数人の騎士と、彼らの剣に貫かれた息子。

 階段下にうずくまるばあさま。ばあさまを守るように寄り添い、血まみれのローザリンデ。顔は見えない。生きているのか、そうでないのかも――。



「ローザリンデ!!」

 立ち尽くす俺の脇を彼女の父親が駆け下りて行く。

「ローザリンデ!!」

 彼女が顔を上げた。


 生きていた!


「怪我は!」と娘にヒュブナー公爵が駆け寄る。

「私はないわ。カーマンの大奥様が脇腹を刺されたの。早く医者を」

「そんなヤツはどうでもいい! なんで逃げないんだ、バカ娘が!」

 公爵がわんわん泣きながら娘に抱きつく。

「バカはお父様よ! 死にかけているときにカーマンもヒュブナーもないでしょ! こんなお年寄りを見捨てろというの!」


 そうだよ、見捨てるのが正しいんだよ。だってお前はヒュブナーで、ばあさまはカーマンだ。両家の対立はどんなときでも『正しい』んだ。ローザリンデがばあさまを見捨てたって、誰も文句なんて言わない。


 だというのに。


 俺は彼女たちのもとに行き、ばあさまのもとにひざまずいた。気を失ってはいたが、息はあった。ローザリンデが傷口にハンカチをあてて押さえている。


「ヒュブナー公爵が正しい。お前は愚かだよ、ローザリンデ」

 ばあさまの顔だけを見つめながら、そう言った。

 初めて、彼女の名前を呼んだ。





 ローザリンデはあまりにバカだ。彼女に自覚はまったくないだろう。己がバカすぎて、俺が厳重に隠してきたものを、一瞬にして爆発させてしまったなんて。

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