7・私の好きな人
「それを聞いて安心したよ」とグスタフが笑顔になる。
王宮の庭に設けられた即席のお茶席。といってもテーブルについているのは、彼と私だけ。ヨゼフィーネも参加するはずだったのに、急な公務が入ったせいでふたりきりになってしまった。一応、侍従侍女は周りに数人控えているけれど。
お互いの結婚から約一ヶ月後。彼は新婦のお披露目のために式の翌日から領地に戻っていて、昨日都に帰ってきたばかり。本来ならば私が行っていたわけで、その代わりにと、グスタフは領地の名産品を買ってきてくれた。王宮で会っているのは、彼がカーマン邸は訪れにくいというから。それはそうよね。
お土産ついでに、お互いにひと月の間のことを報告しあっていたのだけど。私とディートリヒの状況を聞いたグスタフは、心の底から安堵したような笑みを浮かべたの。相当に心配してくれていたみたい。
「結婚が決まったときは身の毛がよだったのよ。まさかこんなことになるとは思わなかったわ。あのディートリヒが私を好きだったなんて、驚きよね」
「それは……」グスタフはちょっとだけ言葉をにごしたけれど、すぐに「そうでもないかな」と続けた。「なんとなくだけど予想はしていた」
「ええっ。どうして!?」
今まで誰ひとり、そんなことを言うひとはいなかった。
グスタフが困ったような笑みを浮かべる。
「僕はユリアーネを好きだったけど、彼女はカーマン派閥だ。嫌味以外で直接話すことなんてできない。そんな僕にできることは、さりげなく彼女と同じ空間にいて、だけどけっして視線は向けずに耳をそばだてて声を聴くことだけだった」
「両家のせいでごめんなさい」
グスタフは頭を横に振る。そして、
「あるとき、気がついた。ディートリヒも同じことをしているとね。相手は君だ。そうすると、彼が他のヒュブナー派閥に比べて、僕にだけ若干キツく当たっていることもわかってさ」
「そうだったの」
「運命というのはままならないものだと思っていたよ」
傲慢な彼がそんな地味な行動をとっていたなんて、いまいち信じられない。
「僕が『安心した』と言ったのはね」とグスタフ。「君が彼の気持ちを受け入れなかった場合が心配だったからだよ。彼は爆発して無体を働きそうに思えたからね」
「そういうことは早めに教えてほしかったわ」
「聞いたら信じたかい?」
考えてみる。
「いいえ」
「だろう?」と笑うグスタフ「君は思い込みが激しいからね。――あ、マズイ」
私の背後に視線を動かした彼の顔が、瞬時に強張る。
振り返るとディートリヒがこちらに歩いてきていた。凶悪な人相で。
「ふたりきりとは聞いていないが」
地を這うような、嫉妬まみれの声がディートリヒの口から放たれる。
「ヨゼフィーネが来れなくなったの。公務だから仕方ないでしょ」
私を見下ろすディートリヒをにらむ。
「ならば会合をやめろ」
「無茶を言わないで。グスタフにだって予定はあるのよ」
「僕はもう失礼するよ」
そう言って、グスタフは立ち上がった。
「ディートリヒの態度が悪くてごめんなさいね、グスタフ」
ハハッと乾いた笑いが返ってくる。
「私が彼よりあなたのほうがいい男と言ったことを根に持っているのよ」
彼は瞠目し、それからディートリヒを見た。
「そのときの状況がどんなものだかは知りませんが、今のローザリンデはあなたに夢中ですよ。今の時間はずっとノロケを聞かされていたんですから」
「そんなことはないわ」
「侍従侍女たちが証人だよ」
グスタフはそう言うと、挨拶をして去っていった。
ディートリヒに目を向けると、満足そうな表情で私を見おろしていた。
「俺に夢中か」
「気づいていなかったの? これだけ毎日朝から晩まで好き好き言われたら、絆されてしまうわ」
「知っているに決まっている」腰を折り私の頬にキスをしたディートリヒは、笑顔が不気味なものになっていた。
「だが俺はアレを根に持っているからな」
「だってあのときはまだ、ディーのことを好きじゃなかったのだもの」
そう答えたら、彼の笑顔がより怪しくなった。
「ローザは本当にアホだ。それでフォローしているつもりか?」
促されて立ち上がる。
あら。失敗したわ。本当のことを言うのはフォローにならないようね。
「でも今は好きよ」
ディートリヒの頬にキスをする。これで機嫌は直るはず。
そう確信していたけど、彼の笑顔は変わらなかった。これは思っていた以上に根に持っているみたい。
「ええと、ディーはいつから私を好きなのかしら」
彼に腰を抱かれてお茶席を離れながら、尋ねてみる。
苦肉の策で口をついた問いではあるものの、よく考えたら聞いたことがないのよね。
そのおかげなのか、ディートリヒの笑顔から少しだけ怪しさが減った。
「覚えていない。あまり考えないようにしていたからな」
「ヒュブナーの娘だから?」
「そう。お互いに婚約者もいたし。だが、ああこれは観念するしかないと思ったのは、ばあさまの事件だ」
「そうなの」
それは大変な事件だった。王宮の庭園で、錯乱した近衛騎士に大奥様が刺されてしまったのよね。たまたま近くにいた私は、怪我の介抱をした。
「あのときの毅然としたローザを見たら……」
ディートリヒはそこで言葉を切ると、足をとめてキスをした。
「ローザ。俺だけを愛せよ」
「もちろんよ。ところで、どこに向かっているの」
にっこり、ディートリヒ。
「帰る」
「ヨゼフィーネの公務が終わるのを待つ約束なのよ」
「知っている。彼女とレイルズに、ローザとグスタフをふたりきりにするなんて愚行を犯したならば、連れて帰ると告げてきた」
これだもの。ディートリヒの愛は重いのよね。傲慢で自分勝手ではあるけれど、私を失うことが怖くて奇行に走ってしまうみたい。
――そんな意外性を可愛いと思ってしまう。
「ディーは困ったひとね」と言って、歩き始める。王宮のエントランスに向かって。
彼が不気味で怪しい笑顔を浮かべるときに考えていることは、ひとつしかない。私に触れたくて仕方ないのよ。
こういうときはおとなしく従うしかない。彼のしたいようにさせておけば満足して、落ち着いてくれる。
そんなにも彼が私を好きで好きで、好きすぎるのかと思うと。暴挙だと思ったレイルズの王命は、実は素晴らしい采配だったのよね。
だって私も、今とっても幸せだもの。
《おしまい》
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