第3話

『十時半に駅前の広場のモニュメントの前。服装は、白のブラウスに花柄のレースのスカートよ』


 そう香織さん連絡があったのは、約束の日、当日の朝だった。


「まずは名前を教えるだろ普通…… 意外と適当なところあるからなあの人……」


 俺は、家の中にいても落ち着かず三十分前には指定の場所についていた。

 人生初めてのデート、というときには男は多分、新しい服を買ったり、美容院に行って髪を切ったり、そのほか俺の考えもつかない努力をするのだろう。

 いや、俺ももちろんやりたかった。でも、金がなかった!

 「お父さん、お母さん。あなたの息子は人生で初めての女性とのデートを控えています。それだから、どうかお金を融通していただけはしないでしょうか」

 恥を忍んでそう頼んでみた。

 すると、「その年になって自活できない男に女の子と付き合う資格なんかない」と言われてしまった。あまりにも正論すぎて泣くしかなかった。

 

 「にしても、休日はやっぱり人が多いな」


 ぼーっとあたりを見渡す。

 仕事柄、家に引きこもっている時間がどうしても長い。

 たまには気分転換を、と思ってもそんなことにお金を使うほど余裕もない。


「はあ…… そりゃモテねえわ」


 手を繋ぎながらキャッキャウフフするカップルや、子供を間に挟んであるく夫婦を見て、俺は休日の残酷さを見に沁みて味わっていた。


「いや、俺だって今日デートなんだっ! デート…… だよな?」


 どうなのだろうか。

 香織さんの友人で、元人妻というのだから30代後半くらいだろうか。

 そんな人と何を話せばいいのだろうか。やっぱりあの人、ちょっと適当なところがある!

 しかも、初対面の人とって結構ハードル高くないか?


 そんなことを考えてナーバスになっていたが、俺は近くに見知った顔を発見する。


「あれ、百合子さん?」


「?!」


 百合子さんは急に名前を呼ばれて、身体がびくんと跳ねた。

 決していやらしい意味ではなしに。


「え、櫻井くん?!」


「あ、やっぱり百合子さんだ。偶然ですね。誰かと待ち合わせですか?」


「え、ええまあ、そうなの」


 なんだか歯切れが悪いな。

 プライベートのことを詮索するのは不躾だったかな?


 「さ、櫻井くんも誰かと待ち合わせなのかしら?」


「え、ええまあ、そんなところです」


 官能小説の上達のためにこれから年上の女性とデートなんですよ、なんて言えるか!


「へ、へえ。そうなのね。何時に待ち合わせなのかしら」


「え、あ、俺ですか? 十時半にここの前で」


「……?! そ、そうなのね…… そうしたら、あれよね、十時半までここにいるわよね」


 な、なんだその質問……。今日の百合子さん少しおかしいぞ。


「ま、まあそうですね。十時半に待ち合わせですから」


「そ、そうよねえ…… あは、あはは……」


 も、もしや! なんか、俺に見られるとまずい相手と会うのか?!

 瞬間、官能小説的妄想が頭の中で繰り広げられた。

 

『やあ、待ったかい?』

『もう、おそいわよ』

『はは、ごめんよ。さあ、行こうか』

『もう。どこへ連れて行かれちゃうのかしら』

『そんなの決まってるだろ?』

『どこへでもついて行くわ』

『でっかいおっぱい』

『でっかいお尻』


 ってちがうっ!!

 香織さんが変なこと言うから!


「あ、あれ。百合子さんは何時に待ち合わせなんですか?」


「わ、わたし?! わ、わたしは…… そ、そうね、もう少しよ」


 こ、これは、多分、本当に俺に知られたくないやつ!!

 詮索してはいけない。ここはスマートに引き下がった方がいい!

 待ち合わせ時間を少し遅らせられるか香織さんに電話してみよう。


「俺、ちょっと電話あるんで。あの、また……」


「え、ええそうね。わたしも、少し電話かけるつもりだったから」


 百合子さんに背を向けて、俺は香織さんに着信を入れ続けるが、全く出る気配はない。

 くそっ! 仕事とプライベートの区別がうますぎるっ!


「な…… なんで出ないのよぉ」


 ああ、やばい! なんだか後ろで百合子さんが泣き言を言っている。

 きっと不倫相手(仮)に待ち合わせ時間をずらしてもらうように連絡を入れているんだ。

 あーもうっ! なんて運の悪い!

 いっそのこと、俺が遅刻したことにして適当にそこら辺に隠れておくか?

 いやでも、それは相手に失礼……。

 秋山香織!秋山香織が電話にさえでればぁぁあぁぁぁああああ!


「か……かおり〜〜〜 どうしてぇ?」


 え?

 かおり?

 かおりってかおりだよな?

 いやいや、なんで百合子さんが?

 

 俺は百合子さんの方を振り返る。

 うん、やっぱり綺麗だ。

 白いブラウスの上からでもわかるでっかいおっぱいに、花柄のレースのスカートを膨らませるでっかいお尻。

 でっかい…… じゃない!

 白いブラウスに花柄の…… レースのスカート……?

 

 『十時半に駅前の広場のモニュメントの前。服装は、白のブラウスに花柄のレースのスカートよ』


 「うそだろ……?」


「ああ…… もう、こうなったら…… まことくんって子には悪いけど遅刻したことに……」


「ゆ、百合子さんっ!」


「は、はいっ! 百合子です!」


 テンパリすぎておかしくなってる!


「百合子さん」


「さ…… 櫻井くん……?」


「桜井誠」


「え……?」


「し……白いブラウスと花柄のスカートの女性を待っている……桜井誠です」


「う…… うそ……」


 百合子さんは絶句、と言う言葉がぴったりと当てはまる顔をしていた。

 そして、彼女の瞳に映る俺の顔も、負けず劣らず同じような顔をしていただろう。





「ま…… まさか、櫻井くんが香織の言ってた男の子だなんてねえ」


 あは、あははと俺たち二人はとりあえず近くの喫茶店に入り、コーヒーを啜りながら乾いた笑いをする。

 おそらく、デートの段取りもクソももはやないだろう。


「せ…… 世間って狭いですよねえ。はは」


「あの子、まことって名前しか教えてくれなかったから全然気が付かなかった……」


 百合子さんに名前を覚えてもらえてなかったという微かなショックも、いまさらどうでもいいことのように思えた。

 だが、顔に出てたのか、百合子さんは、ほらわたし櫻井くんの櫻井くんって呼んでるから、と頑張ってフォローしてくれた。


「俺になんか名前すら教えてくれなかったですよ……」


「ふ……ふふ。あの子らしい」


 今日はじめて百合子さんが笑ったところを見た。

 普段から、バイト先で見ていたが、私服姿で外にいる百合子さんの笑顔はやっぱり普段と違って見えた。


 そして、二人ともコーヒーをすすり、しばしの沈黙。


(そりゃそーだ! どんな顔して、職場の人妻とデートすればいいのか俺だってわかんねえよ! あ、そっか香織さんの友達が百合子さんってことは…… もう人妻じゃないのか。いや、だとしても! 百合子さんにしてもなんかあれだろ、バツが悪いと言うかなんというか! そういうのがあるはずだろ!)


 ここはもうお開きにしよう。

 そう俺が決心しかけたときに、百合子さんはコーヒーカップを両手で包むようにして持ちながら、俯きがちに、


 「さ……櫻井くんは、このあとどうするの……?」


 (な…… なんて言おうか。解散しましょう! なんてのは失礼っぽいし、香織さんに電話して事情を…… ってあの人、絶対出ないだろうな。子供預かってるって言ってたから、一緒に遊んでるんだろうし……)


 と考えていたら、


「って聞かなくてもわかるよね…… こんなおばさんが来るなんて、櫻井くん思ってなかっただろうし……」


 そ…… そんな


「おばさんだなんてっ!」


 とそこまで、勢いで口にしてしまったが、そのあとはどんどんデクレッシェンドしていき、


「ゆ…… 百合子さんは、すごい美人だし、俺になんかもったいないっていうか…… その…………」


 最後の方はほとんど俯きながらゴニョゴニョもぐもぐしていた。

 勇気を出して顔を上げると、百合子さんは驚いた、と言う顔をしてから、


「ふふ。ありがと櫻井くん。わたし本当はここで解散にしたほうがいいかしらって思っていたけど、なんだか自信がついたわ」


「そ…… それはよかったです」


 なにはともあれ、百合子さんに元気が戻ったようでよかった。


「そ…… それに……」


 「それに?」


 百合子さんは言葉を選ぶようにしながら、こう言った。


「れ…… 練習しなきゃなんでしょ?…… その…… ほら、そういう小説を書くために……」


 そ、そうだった……。

 このとき、俺がコーヒーカップを手に持っていなかったことが唯一の救いだった。

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