第14話
「で、不倫ですか?」
「断じて違うっ!」
「断じて違うわよっ!」
このやりとり前にもしたよな。
「じゃあなんで百合子さんが櫻井さんの部屋にいるんですか。そして、これはなんなんですかっ!」
そう言って芽衣はドンっと机の上にローションを置く。
「そ……それは」
「二人で何をしてたんですか櫻井さんっ!」
机越しに、ずいっと顔を近づけて詰問してくる。
なんで俺はバイト先の後輩にオナホに使おうとネットでポチったローションを突きつけられて、その使途を詰問されてんの。
「そ……それは俺が個人的に楽しむために買ったものだ文句あるかっ!てか、その前になんでお前は俺の家を知ってるんだよ?!」
まるで芽衣に説教でもされているかのように俺と並んで正座している百合子さんがそれを聞いて、「だから隠したのね、納得」と目で訴え、手をあわせる。
そんなの今はいい!
それより、本当になんで俺の家を知っているんだ。百合子さんは香織さんに聞いたっていってたからわかるけど、それ以外に俺の家を知る方法なんて、バイト先の事務所の金庫に入っている履歴書を見るくらいしかないのではないか、と思っていると、芽衣は平然と、
「以前、バイト終わりに何とは無しに櫻井さんのあとをつけたらここに辿り着いたもので。あ、別にストーカーとかではなくて、ほんと、何とは無しにですよ」
「何とは無しに」はストーカー行為の免罪符にはならないぞ……。
「つぎ、なんでお前がうちに来たの」
とりあえず先に進もうと、諦めて次の質問をする。
「むむ、さっきから質問に質問で返すとは小癪ですね。ずっと俺のターンってわけですか?せっかく櫻井さんが体調を崩したっていうから心配してきてあげたというのに」
「俺が体調を崩したってのはどこから知ったの?」
「それはもちろん、この部屋に設置してある盗聴器とカメラから……」
「こわいこわいこわいっ!」
衝撃の事実に無意識に立ち上がってしまう。
「嘘に決まってるじゃないですか。試験勉強のための教科書をバイト先に忘れてたんで、さっき取りに行ったら店長が心配してて、次のシフトは出られそうか聞いといてくれないかっていわれたんですよ」
笑いながらそういう芽衣。
心臓に悪い冗談はやめてほしい。
「なんだそういうことか……」
「はい、そういうことです」
ん? こいつが俺をストーカーして家を突き止めたことは何も解決していないのでは?
「そんなことよりですよ、櫻井さん。ど・う・し・て、百合子さんと二人きりでローション片手に一つ屋根の下にいたんですか!」
芽衣お得意の、抗議の机バンバン(音が出ないようにギリギリで止める)を発動しながら、話を引き戻してくる。
「ローション片手には余計だ!」
そんな俺のツッコミを封殺する目力で圧をかけてくる芽衣に百合子さんが、
「朝、仕事中にすごく体調悪そうにしてたから心配でわたしも見に来たのよ。ほら、一人暮らしだって聞いてたから」
「なるほどなるほど。ところで、お二人ってそんなに仲良かったでしたっけ?」
「え?」と芽衣の素朴な質問を受けた二人は目を合わせた。
百合子さんは「小説のこといったらまずいわよね」と目で訴えてくる。
別に言ってもいいのだが、そうすると変に百合子さんも巻き込みそうだ。
そう考えて、
「じ……じつは二人に共通の友人がいてな。その人を通して仲良くなったんだよ」
「なるほど。櫻井さんが百合子さんの旦那さんの友人で、寝取られ趣味のある旦那さんが櫻井さんにお願いしたと」
「なんでそうなるのよ芽衣ちゃん!」
「お前はエロ漫画の読み過ぎだ!」
「違うんですか?」
その、さもそういう話の流れが当然ですよねみたいな返事やめろ。
そこで、意を決したように百合子さんが、
「あ……あのね芽衣ちゃん、わたしね…… そ、その…… 離婚してるのよ、もう」
「そ、それって、櫻井さんとの密会がバレて……?!」
「違うに決まってるだろ!」
全く騒がしいやつだ……。
「そうだったんですね……。わたし知らなくて、ごめんなさい」
こうして素直に謝るところをみると、きっと深刻な話をしたふうにしたくないと思っているであろう百合子さんを慮って、こいつなりに重い空気にしないように冗談を言ったのだろう。
全くおちゃらけているのか、大人なんだかわからないやつなのが林原 芽衣という女なのだ。
彼女が言っていることをどこまで本気で捉えればいいのか俺はわからないことがあるが、今回のはきっとそういう意味だろう。
たぶん……。
そうだよな?
「いいのよ。わたしも言い出すタイミングがわからなくて職場のみんなには言ってなかっただけだから」
百合子さんは気にしていないというように、芽衣に微笑みを向ける。
とはいえ、これで誤解は解けたはずだ。
「それじゃあ、わたしは百合子さんに話があります!」
「な、なにかしら芽衣ちゃん……」
芽衣は俺に目配せをしてから、意を決したように話し始める。
こ、こいつ何を言うんだ……?
「さ、櫻井さんは、年上の女性が大好きで大好きでしょうがない人なんです! だ、だから、百合子さんは櫻井さんともっと適切な距離感を保たないとお、襲われるかもしれません! これは別にわたしのために言ってるわけではないんですよ? 決して決して、百合子さんみたいな美人な人が櫻井さんのそばにいるのがとか、そんなヒロインをいじめる悪女みたいな嫉妬深さから忠告してるんじゃないんです! 百合子さんの身を案じて助言してるんです!そ、そうしないとあんなことやこんなことされちゃいます! わたし読んだんですからね例のあの名前を言ってはいけない本! ゆ、百合子さんみたいな美人な女性がよ、四人も……!さ、櫻井さんの餌食になってしまうのはわたし一人で十分です! わたしが百合子さんのことは守ってみせますから!」
と一息で捲し立てた芽衣ははぁはぁと息を切らして、言い切ったとでもいうかのように、額の汗を手で拭うようなそぶりをしてみせる。
それをみた俺と百合子さんは、もちろん何が起こったのかといったような顔をしていたのは言うまでもないだろう。
大きな声になったり、かと思えば途端にごにょごにょしたり、今度は早口でぺらぺらと話したりと、なかなか聞き取ることはできなかったが、どうやらこいつは『人妻は美人四姉妹』を読んでしまったために、俺が百合子さんを現実で、性的な対象としてそのうち襲ってしまうのではないかと思って彼女に忠告しているらしい。
なんてやつ!
だからあれほど読んでくれるなと言ったのに!
というか、こいつの中で俺はどんだけ信用ないの。
現実で官能小説をやるほど童貞ではないって。いや、童貞ではあるんだけども。
「あ、あの…… 芽衣ちゃん?」
「は…… はひっ!」
そんな忠告を受けた百合子さんは、まるですべてわかっているとでもいうかのような表情で芽衣に話しかけた。
芽衣はあんなところを見せたからだろうか、テンパった返事をしてしまう。
何を話すのだろうか、と二人を凝視していると、
「櫻井くんは耳塞いでてね」
「え? な、なんでですか……?」
「今から話すのは女同士の秘密だから」
お、女同士の秘密?!
それは是非とも、と思ったが、百合子さんはそんな俺の心を見透かすかのように、その美しい瞳で「ダメだよ」と語りかけてくるのだった。
俺は大人しく両の人差し指を両耳に突っ込む。
百合子さんはその様子を確認すると、芽衣の耳元に近づいて何かを囁く。
百合子さんから何かを耳打ちされた芽衣は、顔を真っ赤にし、チラチラとこちらを伺うかのような眼差しを投げかけてっくる。
そんな彼女に、百合子さんはあの優しい微笑みで答える。
(い、一体なんの話をしてるんだ……?)
「もういいわよ」
二人のやり取りは一分あったかないかのほんの短い時間だった。
俺は、百合子さんのその声に、耳につっこんでいた指をはずした。
「やっぱり、耳塞いだくらいじゃ普通に聞こえるわよね」
「あ」
「ふふ 耳打ちにして正解だったわ。ね、芽衣ちゃん」
いつもなら元気よく「はい!」とでも答えてから、耳を塞ぎながら在らん限りの聴力でもって盗み聞きをしようとしていた俺に軽口のひとつでも言ってきそうな芽衣だが、もじもじとして俯いたまま返事もしなかった。
こいつどうしちゃったの?
「それじゃあ、そろそろわたしは康太の迎えに行くわね」
百合子さんはそう言って、ハンドバッグを手に持って、立ち上がる。
「あ…… あの、今日はありがとうございました。なにからなにまで」
「何度も言っているけど、気にしなくていいのよ」
そんな会話をしながら、俺は百合子さんを玄関まで送る。
すると、後ろから、
「わ、わたしもそろそろお家に帰ります。そ……その、今の状態でさ……櫻井さんと二人きりというのは、さすがのわたしでも……」
え、それどういう意味?!
今の状態って?
俺に襲われるかもしれないってこと?
いや、確かに、ナチュラルに百合子さんを見送っていたけど、冷静に考えたら、そうなった場合、この家には後に残された俺と芽衣の二人きりということに。
「それもそうね」
百合子さんはそれに同意して、くすくすと笑う。
え、俺って信用ない?
「わたし車できてるけど、お家まで送ろうか?」
「あ、いえ、すぐそこなので……」
「そう?」
「それに、少し夜風で顔を冷やして帰りたいです……」
帰り支度をして玄関にいる百合子さんの近くまでくる芽衣。
百合子さんはそんな芽衣に密着するようにして、なにやらコソコソと話をしている。
な、なんで急にそんなに仲良くなってるの……。
俺も同じ空間にいたはずなんだが……。
「じゃあ、まだ病み上がりなんだからあまり夜更かししないようにするのよ?」
「…………」
ドアを開けて、外に出ながら最後の挨拶をする二人に、
「ありがとうございました。気をつけてくださいね。あ、あと香織さんにもよろしく伝えておいてください。助かりましたって」
百合子さんは「わかったわ」と返事をする。
「芽衣もありがとな、心配してくれて。またバイト先でな」
芽衣はただこくりと頷いただけだった。
そうして、二人の姿が見えなくなるまで玄関先で見送ってから扉を閉める。
「はあ…… なんだか嵐のような1日だった……」
そうして二人の去った部屋の中の静けさはいつもより深く感じられた。
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