第2話
「ボツよ」
「ボツですか……」
担当編集の
「確かに行為中の描写は上達したわ」
「ほ、ほんとですかっ!」
「でも」
と、読んでいた原稿を机に置き、背もたれにもたれかかると言った。
「でも、それは最低限のラインより上になったってだけ。というよりも、行為中の描写っていうのは語彙の選択とか、プレイとか作家の個性が最も出るところだから最低限の描写さえクリアしていれば、一概に良いとか悪いとか言えないわ」
「そ、そうですよね……」
「そもそも、あなたにはそれ以上の問題があるわ!」
「といいますと?」
「キャラの書き分け! 全部同じようなキャラクターばっかじゃない! みんな、おっぱいが大きくてお尻がデカくて、あはんうふんみたいな人妻。そんなのが4人も出てきて、主人公が『ああ……ぼくっ……もう!』って言いながらイカされちゃうだけ! ショートカットっ!ボブっ!ミディアムっ!ロングっ!って違うの髪型だけじゃない!」
ぐっ…… なんの反論もできない。
「君、童貞でしょ」
「はい……」
俺は前世でなにか悪業をしでかした大罪人なのだろうか。
妄想を曝け出し、それを分析され、あげく童貞だと言われ。
さっきからずっと項垂れて下を向きっぱなしだった。
「ずっとそう思ってたのよね」
「だったらすぐに言ってくれたほうがまだよかったですよ! 俺たちもう知り合って3年くらい経ちますよね?!」
「あの時まだ、大学生だったじゃないあなた。わたしはてっきり、学生のうちに卒業するものだと思っていたわ。それなのに、懲りずにでっかいおっぱい、でっかいお尻、『ぼうや初めてなの? わたしが教えてあげるわ』だものね」
穴を掘ってでも入りたいっ!
「あなたは女を知らなすぎよ。あなたの小説に出てくるのは、一人の女性じゃなくて、あなたの妄想を具現化した女という概念よ」
「それが、でっかいおっぱい、でっかいお尻……」
「そういうこと」
「いっそ本当にわたしが教えてあげようかしら」
「へ?」
「嘘よ。あなたも妄想ならともかく、現実のおばさんなんて興味ないでしょ」
そう言われて、俺ははじめて目の前の秋山香織という女性を一人の女性として見た。
これまではずっと、担当編集、それも妄想全開の官能小説を見せるという、おそらく異性に対してやらない行動ナンバーワンを行う相手であったため、彼女を女性として意識したことはなかった。
でも、
(すげえ美人だよな……)
切れ長の吊り目にツンと澄ました鼻、薄い唇。強気な性格が顔にも現れている。綺麗な人というよりも美人という言葉が似合うと思うのは、彼女の重ねた年のもつ色気のゆえにだろう。そして……
(結局、でっかいおっぱいと、でっかいお尻だ! くそっ!でもみんな大好きだろ、でっかいおっぱい! というと、神聖なる貧乳愛好会の信徒たちに宗教戦争を挑まれることになるだろうが、彼らは彼らでちっさいおっぱいとちっさいお尻が好きなはずだ! もう、わけがわかんないよ……)
頭の中で、でっかいおっぱいとちっさいおっぱい、でっかいお尻とちっさいお尻が手を繋いで輪を作り、らんらんと踊り始める。
いかんいかんと頭を振って、もう一度、香織さんを見る。
「うん。やっぱりすげえ美人だ」
「なっ!」
「えっ…… あ、いやっ……これはっ!」
やべっ、口に出てた!
香織さんは顔を真っ赤にしているが、それが照れなのか、はたまた怒りなのか、残念ながら女性経験の皆無な俺には皆目検討もつかなかった。
ただここで、怒ってますか、それとも照れてますかと聞くのが悪手だと気がつくほどには分別を持ち合わせていた。
彼女はごほんと咳払いをして気を取り直す。
「ま…… まあ、その…… ありがとうとだけ言っておくわ。若い子に褒められて嫌な気持ちはしないから」
「あ…… その…… はい」
くそっ。ここで気の利いた一言も出てこない自分が恨めしい。
「ぷふっ はははっ なにそれっ」
「いや、だって……」
「まったく」
そういいながら、香織さんは頬杖ついて、俺を見つめながら、
「そういう時は、黙ってキスするものよ」
今度は俺が顔を真っ赤にする番だった。
彼女の綺麗な瞳に真っ直ぐ見つめられて、身動きが取れなくなる。
だが、
「それは絶対嘘ですよね!」
俺は、ばんと机に手を置き立ち上がって突っ込んだ。
童貞の俺でもさすがに分かる!
香織さんは年甲斐もなく楽しそうに笑っている。
こいつっ!
「あははは 君ほんと面白いわ。さっきの仕返しよ」
「さっきの?」
「そ、さっきの」
いつのだ?
「ともかく! あなたの宿題よ! 女を知りなさい!」
「そ…… そんなこと言われても!俺だって知りたいですよっ! というか、そんなことができるなら、俺は宿題なんか出される前に勝手に自分で予習してますって! できないから困ってるんじゃないですかっ!」
こんな情けない抗弁を一体誰が聞いたことがあるだろうか。
「あら、官能小説家って経費で風俗行けるわよ」
「ま…… まじですか?」
一度は俺も考えた。
だけど、なんだか気恥ずかしくて行くのを躊躇っていた。
でも、「経費で」なんて言われると、そんな気恥ずかしさもどこへやら。キャストの人に、「え、こんな若い人が? どんだけモテないのかしら」なんて思われても、仕事のためにという無敵の鎧がそんな被害妄想を跳ね除けてくれるっ!
「よ…… 予想以上に真剣に悩むのね…… わたしが言い出したことだけれど若干引いてるわ」
おいっ!
「でも、まあそれは本当に最終手段ね。やっぱりお金じゃなくてちゃんとした恋愛の先にあるセックスをしてほしいわ」
香織さんを女性として意識してしまうと、彼女の口から「セックス」だとか「おっぱい」だとか出るたびに、なんだかこうむずむずしてしまう。
思い返せば、もっとエグいことをこれまで何度も彼女の口から聞いてきてはいたのだが。
「あなたの周りに気になる女性はいないの?」
「気になる女性ですか……」
うーん。そもそも周りに女性がほとんどいないからな。
百合子さんは、恋愛とかそういうのじゃなくて、憧れとしてって感じだし、林原さんは妹みたいな感じだ。多分、現実に妹がいるやつからしたら、本物の妹はこんなんじゃないと言いそうだが。
「その様子だといなそうね」
香織さんがすこし呆れたような顔をして見せる。
「わかったわ。今度の日曜日、デートしましょ」
「はああああ?!」
大声を上げた俺を、周りで作業していたほかの編集者の方々がじろりと見る。
「ちょっ…… 驚きすぎよ!」
「そ、そりゃいきなりそんなこと言われたら誰でも驚きますよ!」
「ごめんなさい、わたしの言葉足らずだったわ。わたしとじゃなくてね」
「え、じゃあ誰と? まさか最終手段…… レンタル彼女とか?」
「諦めが早いわね。わたしの友達にね、少し前に離婚しちゃって今は独り身の人がいるの。なんだか言い出す機会がなくて、職場の人とかにも別れたこと言ってないみたいなんだけど。小学生の息子がいて、別れてからあまりゆっくりお出かけとかできてないみたいなのよ。だから、日曜日わたしが子供を預かってゆっくり羽でも伸ばしなさいって」
「えーっと。一ついいですか? すっごい情けないこと言いますけど」
「なにかしら?」
「女の人とデートなんかろくにしたことのない俺が一緒に出かけても、不快にこそすれ楽しませるなんて無理なのではないでしょうか」
「まずはその卑屈な考え方を治すところからね。大丈夫。向こうはあなたの大好きな大人の女よ。むしろ、若い子とデートなんかした方が、あなたがアワアワするのが目に浮かぶってものよ」
一言どころか、二言三言くらい多くなかったか?
「そ、それなら…… まあ」
「あ、でも…… いくら、あなたが大好きなでっかいおっぱい、でっかいお尻だからって、セックスまではなしよ」
この後、俺はこの日二度目の叫び声を上げ、見かねた他の編集者に俺たちはこっ酷く怒られた。あなたが大声をあげるから怒られたじゃない、などと言っていたが、絶対に俺は悪くないはずだ。
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