童貞官能小説家は人妻とデートができない。

@mignon08280

第1話

 一人暮らし——大学を卒業した後は、定職につかずフリーターをして暮らすと言った俺に対して、両親が突きつけた条件がそれだった。

 俺はこの時、やろうと思えばこの条件を跳ね除けて、実家暮らしを続けることもできただろう。

 なぜなら、不定期とはいえ別の収入源があったから。


「でも、親に向かって言えねえよなあ。官能小説を書いて、お金を貰っているなんて。しかも、彼女ひとり作ったことのない童貞の俺がだぜ。恥ずかしくて死にたくなると思う」


 俺、櫻井誠は、大学在学中に、自らの女性に対する憧れを、モテようとする努力とは正反対の方向に全力疾走して、官能小説を書くことによってその中で実現していた。そうして完成した作品を、櫻井公威というペンネームで応募すると、たまたま賞を受賞し、あれよあれよという間に書籍として出版されることになった。

 とはいえ、女性経験の皆無な童貞男の妄想の力が奇跡的に一回だけ実力以上のものを発揮して、それなりの作品を書くことを許されただけで、その後は鳴かず飛ばず、いまでは編集部とのご縁によって雑誌の「えっちな体験告白」やノベルゲームのシナリオなんかの仕事を細々とやっている。

 作家としての収入だけでは、今の俺の実力ではさすがにそれだけでは生活が立ち行かないので、引越し先の近くのファミレスで、朝の仕込みと調理のアルバイトを始め、今はお店の鍵を開けながら、我が半生を振り返りため息をついていたところだ。


「おはようございます櫻井さん!」


 ちょうど、同じように、朝の時間帯のホールスタッフ林原芽衣が出勤してきた。


「おはよ林原さん」


 返事をしながら、店のセキュリティを切り、ぱちぱちと電気をつけていく。


「聞いてください櫻井さん! わたし受かりましたよ!」


「おお! おめでとうっ! すごいな!」


 彼女は声優や舞台俳優を目指している18歳の女の子で、いまは練習生として事務所に所属していて、そこでのオーディションに合格するとはれて正式に芸能活動をすることができるようになるという。全部で一次、二次、三次、そして最終と四段階に分かれていて、この間、俺は彼女に二次審査の合格発表が近々あるのだと聞いていた。


「じゃあ、次は三次か? 三次は何やるの?」


「歌とあとはその場で渡された台本を読む、だったと思います」


「林原さんなら絶対に受かるよ」


「へへへ、ありがとうございます」


 そう言って笑う彼女を見ていると、俺も頑張らないとなという気持ちになる。

 まあ、彼女に面と向かって、俺もえっちな本を書くのがんばるね、とはもちろん言えないのだが。


「あ、そういえば俺も林原さんに聞いてほしい話があるんだよ」


 と、俺も伝えなきゃいけないことがあったのを思い出す。


「え、なんですか? もしかしてお仕事やめちゃうとか?」


「やっと慣れてきたところだからやめさせないでくれ。そうじゃなくて面白いって言ってたアニメ見たよ」


 すると林原芽衣はずいっと身体を寄せてきて、


「やっとですか! あれほど言い続けて、やっと見てくれたんですね! どこまで見ました? 面白かったですか? どのキャラクターが好きでした?」


「ち、ちかいちかい……」


 あまりにも彼女が身を寄せるので、女性特有のほのかに香る甘いミルクの匂い鼻をくすぐる。

 青春を官能小説の執筆に費やした俺にはすこし刺激的すぎる。


「ご、ごめんなさい…… つ、つい興奮しちゃって……」


 林原さんは少しシュンとしてしまう。


「いや、嫌だったとかじゃなくて…… あ、いやそうじゃなくて…… 面白かったよ!」


 だめだ。こんなことで、ドキドキしている自分が恥ずかしい。


「よかった! で、でも櫻井さんも悪いんですからね」


「え、俺?」


「そうですよ! わたしがどれだけおすすめし続けたことか! いっつも、ごめん忙しかったとか、昨日はちょっと予定がとか…… だから、興奮しちゃってわたし」


 確かに、ノベルゲームのシナリオを書くのに追われていて全然時間が取れなくて、ついこの間まで見ることができないでいた。


「ごめんな仕事が忙しくて……」


「それ! それですそれ!」


「ごめん。どれです?」


「櫻井さん!」


「はい!」


 授業中に突然さされた生徒のような反応をしてしまう。


「櫻井さんは一体なんのお仕事をされてるんですか?」


 …………。

 

「えーっと…… ほら、掛け持ち…… 的な?」


「ふーん」


 林原さんは疑うような目つきで俺を見る。


「まあ、ほら、さっさと着替えて仕事はじめよっ」


 これ以上、話し続けるとボロが出そうなので、俺はそうそうに切り上げようとする。


「掛け持ちなんかしないで、ここのシフト増やしてくれれば、もっと沢山会えるのに……」


 林原さんはさっさと更衣室に入ろうとする俺に向かってもごもごと小声で何か言った。


「ごめんなんて?」


「そ……それは、まさか……」


 林原さんはわざとらしく大袈裟にリアクションする。

 ノリいいな。


「ははは、教えてもらったアニメのセリフ。まさか現実で使うことがあるとわ思わなかったけど」


「もう」






 それから俺は、ランチのピークを超えられるだけの食材の仕込みを始める。

 主に、野菜を切ったり、肉を漬け込んだりと、正直レンジやオーブンを使って簡単に調理できるのだと舐めていたら、俺の働くファミレスは意外にも本格指向だった。


「まあ、一人暮らしで料理もしないとだから、こういうところで慣れることができるのはいいことだけどな」


 仕込みの合間に、料理を作ってカウンターに乗せ、ホール担当の林原さんがそれを客席まで運ぶ。

 朝の九時まではこの二人体制だ。九時になると、ランチのメンバーが出勤してくる。

 黙々とプチトマトを切っていると、


「櫻井くんおはよう」


 と、深沢百合子さんが出勤してくる。

 

「おはようございます」


 平日のランチは基本的に主婦の方たちが中心だ。


「どう?仕込み終わりそう?」


「はい。どうにか。今朝はあまりオーダー多くなかったので」


「ふふ。もう仕事完璧ね」


「どうにかお陰様で」


 と少し会話を交わして、彼女は更衣室のある休憩ルームへと向かう。


「綺麗な人だよなあ……」


 俺は部屋に入る百合子さんの後ろ姿に見惚れながら独り言する。

 接客業という職業ゆえ、やはりどうしても綺麗な人はホールに出てお客様のお相手をということになりやすい。

 その原則に従えば、百合子さんは間違いなくホールで働くべき人だ。

 しかし、本人たっての希望でキッチンで働いている。学生時代に調理師免許を取得したとかで、どうやら調理に関わっていたいというのが理由らしい。

 まあ、そのおかげで、あの美人人妻と会話ができるんだから俺はむしろ幸せだった。

 いつも休憩ルームに向かうときに見える服の上からでもわかる大きなお尻。くびれから骨盤にかけての美しいライン。そして、仕事を教えてもらってる最中、絶えず視界に入る豊満な胸。タブレットを見ながら、調理工程を教えてもらうときなど、無意識だろうが密着してくるたびに俺の肘がぶつかりそうになってドギマギしたものだ。

 そして何より、あの柔らかな表情。そして、美貌。若い頃ももちろん美しかったのだろうが、重ねた年がむしろ色気を増して見えた。ぽってりとした唇に、切れ長の目尻、そして右目の端にある涙ぼくろ。

 俺のAVコレクションには、百合子さんと出会ってから明らかに人妻ものが増えていた。


「櫻井さんって年上好きですか?」


「うわっ?! びっくりした…… 急にどうした?」


 キッチンの冷蔵庫に用事があった林原さんが、百合子さんの後ろ姿の名残を瞼に焼き付けているのを見てそう言ってきた。


「いや、好きっていうか…… ねえ……」


「へえ……」


 明らかになにか嫌悪感を抱くものを見る目をしている。


「ちなみに、まだ聞いてなかったですけど、あのアニメで誰がいちばん好きなキャラクターでした?」


「それは主人公の叔母…… げほっ!」


 林原さんは肘で俺の脇腹を突っついた。


「なんで?!」


「櫻井さんが悪いんですよ」


 俺なんかした?


「でも、まあいっか。櫻井さんがどれだけ百合子さんのこと好きになっても百合子さん人妻だし」


 林原さんはいたずらっ子のような笑い方で俺を揶揄う。


「そういうんじゃないからっ!」


 へへーと言いながら林原さんは仕事に戻る。

 年下の子に揶揄われているようじゃ、俺には女の子との縁なんてまだまだありそうにないな。

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