第6話

「結局、ここに来るのね」


「す……すみません。俺にはおしゃれなレストランのレパートリーなんてないもので……」


 俺が連れて来たのは、美術館の近くにあったファミリーレストラン。俺と百合子さんが働いているのと同じチェーン店だ。


「まあ、いつもお店からもらえる割引券も使えるしいいわよね」


「俺は何かでデートでクーポンを使う男は許せるか、許せないか論争があると聞いたことがあるんですが」


「うーん、主婦のわたしからしたら使えるものはどんどん使ったほうがいいと思うけど、若い人はどうなのかしらね……」


「奴らには見栄ってものがあるんですよ……」


「奴らって…… 櫻井くんもその一人でしょ」


 百合子さんは綺麗にツッコンでくれる。

 ウェイトレスに席に案内してもらいながら、


「櫻井くんもそういうデート情報みたいなもの見るのね」

 

「そうですね。たとえば、こう言う場合、女性にソファーの席を譲るとか……」


 そう言いながら俺は、テーブル席の奥のソファーに向けて手を広げ、わざとらしくどうぞというアピールをしてみる。


「あら、ありがとう。他には何かあるのかしら?」


「他にはあまり自分の話をしないとかですかね。自分語りをする男はモテないって。まあ、知ってることと言えばこの二つしかないんですけどね……」


 と、俺が自嘲気味に笑うと、


「だから、あの時、絵の前で何も話さなかったの?」


「あの時?」


「ほら、なんていうのかしら。キラキラとした鎧をつけた男の人が扉から入ってくる大きい絵の前で……」


「あー」


(カウフマンの絵のことか……)


「いや、それはまあ……」


「正直に言って」


 百合子さんは真剣な顔で俺を見つめる。


「ほんとうに、これは百合子さんを責めてるとかじゃなくてですね…… 俺が自分の話を長々としたとき、百合子さんぽけえとした顔してたから興味ないのかなって。ほら、俺の趣味ってあまり世間一般の人が面白いと思うようなものじゃないから。大学生のときなんかも、それでときどき場の空気を白けさせてたものですから、あまり自分の話をするのもなって…… あ、ほんとに百合子さんが悪いとかじゃないですから気にしないでくださいね! 俺がちょっと舞いあがっちゃってただけで!」


 と言うと、百合子さんは顔を真っ赤にして、


「そ……それで、だったの?」


 まずい。怒らせたか?

 今のじゃまるで、あなたのせいで俺は黙ってたんだっていってるように聞こえてしまう!

 とんだモラハラ野郎だと思われた……


「…… っこいいと思ったからよ……」


「ごめんなさい。なんて言いました?」


 林原さん、マジでこのセリフを使うことがあったわ!


「かっこいいと思ったから…… だから、その…… 櫻井くんが言うぽけえとした顔…… してたのよ」


 百合子さんはほとんど消え入りそうな声でそう言った。


 な、なんだこれ、心臓が凄まじい勢いでドクンドクン言ってる。

 え、今、百合子さんなんて言った?

 ダメだ。すみません、確認のためにもう一度おねがいしていいですかは絶対になしだ。

 俺の記憶の中の百合子さんよ、頼む!


『誠くんっ! すきっ! だいてっ!』


 あ、やばい。多分、全然違った。


『かっこいいと思ったから……』


 確かにそう言った…… よな?


「あの…… 櫻井くん?」


「えっ?! ああいや、あはは、ええ?」


 どうした俺?!


「大丈夫……?」


「だ、大丈夫です! 落ち着いてます!」


 俺はそう言って、お冷を飲もうとしたがまだ来ていない。

 こんな時に限って!

 いや、今この雰囲気の中こられても困る!

 てか! この店セルフサービスだった!


「櫻井くん、わたしね……」


 テンパる俺は、そのとき、百合子さんの浮かべる真剣な表情を見ると、途端に冷静さを取り戻すことができた。


「わたし、最初に櫻井くんがそういう小説を書いてるって知ったとき、失礼かもしれないけど、少し…… その、変態なのかな…… って思ったの」


 ま、まあそれはそうですよね。そして多分その認識はそのままであっていると思う。


「けど、あの時、美術館の中庭で真剣な表情で小説について語っている櫻井くんをみたら、ああ、わたしなんて勘違いをしてたんだろうって。こんなに真剣に自分の好きなものを極めようとすることができるってどれほど素敵なことなんだろうって、そう思ったの。そう思ったら、櫻井くんのことがかっこよく見えて、それでわたし……。そのあと、絵の見方について話してた時もそう。わたしが考えてるようなこととは全然違ってて、なんだかそれまでは息子がもっと大きくなったらこんな感じなのかな、なんて思ってた櫻井くんが、急にわたしよりも大人なんじゃないかって、そう言うふうに見えて、だからわたし……」


 ここまで真正面から人に褒められたことは、自分の人生を振り返って、いや振り返らずとも一度もなかったと断言できた。

 あまりにも照れて、顔も見れない俺は、最初に会った時のように俯きながら、


「いや、そんな…… 全然ですよ、俺なんて。ただの変態です…… 百合子さんが最初に思ったように、変態ですよ…… それも少しなんかじゃなくて」


 そして、これはきっと俺が将来、人生を振り返った時、もっとも間違った照れ隠しとして記憶に残っていることだろう。


 しばしの沈黙が流れる、そして、


「ふ、ふふ…… ふふふふ…… あはははは」


 初め押し殺していたような笑いをしていた百合子さんは、だんだんとそれを抑えきれなくなったように笑い出した。


「ど、どうしたんですか!」


「だっ…… だって、あははは 俺は変態ですよって…… ふふふふ それも少しじゃなくてって…… ふふふ あはははは。だめ、お腹痛くなって来たわ」


 そんなに笑わなくても!


「ふふ、ははは」


 そして、俺もつられて笑ってしまう。

 確かに、自分でもわかる。

 あれは滑稽で、まったく俺らしい。


「あー笑ったらお腹空いてきたわ」


「そうですね。注文しましょっか」


「そうね。そして、食事をしながら聞かせてね。あの絵の前で櫻井くんが考えていたこと」


 俺はそれをもう躊躇しなかった。


「もちろん」




 食事を終えて、俺と百合子さんは最初に出会った、駅前の広場のモニュメントの前にいた。

 すっかり話し込んでしまい、店を出た時にはすでに夕方だった。


「久しぶりに休日を満喫したって感じがしたわ」


「俺のほうこそ! 同年代の友達とはどうしてもその、うまく話が合わないものですから…… なんだか、俺の方が百合子さんに楽しませてもらったみたいですよ」


 いや、変な意味じゃなくてね!


「ふふ。なんだかそれだと、いやらしい言い方に聞こえるのだけど」


「なっ?!」


 今までツッコまれないからセルフツッコミしてたのに!


「冗談よ。わたしはこれから香織の家に息子の迎えにいってから帰るからここでね」


「はい! 今日はありがとうございました。香織さんによろしく伝えておいてください」


「ええ。伝えておくわ。香織には感謝しないとね。櫻井くんも気をつけて帰ってね」


「百合子さんも!」


「あ、そうだ」


 駅の方に向かって立ち去ろうとしていた百合子さんは、急に何かを思い出したかのように振り返り、俺に近づいて、耳元で、


「今度はもっと遅い時間まで、ね?」


 じゃあまた職場でね、といって百合子さんは手を振って帰っていった。

 俺はその場に立ち尽くしたまま、しばらく動き出すことができなかった。


「か、からかってるだけだよな?」


 そう納得してはじめて俺は家への帰宅路に着くことができた。


「…… いさん」


 いや、にしても百合子さんエロ…… 綺麗だったな。


「…… くらいさん」


 そうだ、今晩は何食べよう。


「櫻井さんっ!!」


「うわっ?! なにっ!」


 後ろからする俺を呼ぶ大声に、驚いて振り返る。


「は、林原さん?!」


「なんで櫻井さんが休日に百合子さんと会っているんですか! 説明を求めますっ!」


 そこには、林原 芽衣が「意義ありっ」とでもいいたげに俺をびしっと指差して、立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る