第7話
「で、不倫ですか?」
近くの喫茶店に連行された俺こと被告櫻井誠は、検察官、林原 芽衣の尋問にあっていた。
「断じて違うっ!」
ちゅーっとアイスココアをストローで啜ると、林原さんは、
「まあ、櫻井さんみたいな人があんな美人の百合子さんと不倫なんてありえないですよね」
「おい、ひどいなお前」
「ふんっ」
そう言ってそっぽを向いてしまう。
「ぐ、偶然近くで会ってな、それで少し話してたんだよ」
じーっと真っ直ぐ俺を見つめる林原 芽衣。
「嘘をついてますね?」
「わかるわけねえだろ!」
「知ってました? 櫻井さん嘘をつくとき右耳がピクピク動くんですよ」
「うそ……」
とっさに右耳を隠す。
「嘘です」
このやろっ!
「でも、なんか怪しいんですよね。旦那さんと息子さんがいる百合子さんが、休日に一人でお出かけ。ばったりと会う櫻井さん。うーん。事件の匂いがしますね」
「そ、それは主婦に対する偏見だ! 主婦だって息抜きの時間が必要だろう!」
離婚のことは百合子さん本人が言うまで、絶対に知られてはダメだ。
「むむ、発言には確かに信憑性がありますね」
「だ、だろ?」
「じゃあ、あの別れ際に耳元でなにか囁いていたの。あれはなんだったんですか!」
そこまで見てたなら、それを先に言ってよ林原 芽衣!
「あ、あれは、俺の耳にゴミがついてたから払ってもらったんだよ!」
再びじーっと真っ直ぐ俺を見つめてくる。
「それをやめろ!」
「ま、今日のところはそういうことにしておいてあげましょう」
今日のところはっていうのが引っかかるなあ。
「ですが、はっきりしたことが一つあります!」
「な、なんだよ……」
こ、こいつ今度は何を見てたんだ?
「櫻井さんにも暇な休日があるということですっ!」
「え?」
林原 芽衣はどうだまいったかと言うような顔をしている。
「えーっと林原さん? どういうことですか?」
「つまりですね、わたしが遊びに誘っても問題ないと言うことなんですっ!」
あ、なんだそういうことか。
「うん。ぜんぜん、いつでもいいよ」
「えっ! あっさり?!」
逆に何がダメなんだろうか。
「わたしの今までの気遣いは一体なんだった…… じゃなくて、それなら今度の週末わたしとデートしてくださいっ!」
「はあ?! デート?! なんで?!」
「いま、いつでもいいよって言ったばっかじゃないですか!」
「いや、デートとは……」
「遊びもデートも一緒ですよ! 男女が一緒に遊ぶ、それはもうデートですっ!」
こいつ、男女の友情は成立する派閥を完全に敵に回したな。
「ということで、来週の週末開けておいてくださいね」
「まあ、デートかどうかはともかく、わかったよ」
「デートです!」
「はいはい」
「………… と言った感じで、百合子さんとのデートをそつなくこなした後、なんなら新しいデートの予定も取り付けて来ました」
「でかしたっ少年!」
香織さんは俺をガバっと抱きしめた。
胸!胸!
この人、俺がそういうのに弱い童貞男子だってこと知ってんだろ!
「っと、これはちょっと童貞くんには刺激が強かったね。いや、わたしも百合子の子供と久しぶりに遊べて楽しかった楽しかった。香織ママがいいなんて言ってぐずついて、最後まで離れようとしなくて大変だったよ。わたしもつい子供が欲しくなってしまった」
うーん、一体どこまでが本当なのだろうか。
香織ママがいい? 百合子ママより?
ありえん、断じてありえん。
「おーい。今、何か失礼なこと考えてただろ」
「いや、香織さんって結婚してるのかなとふいに」
「なっ…… せ、セクハラだ! 君はセクハラ野郎に成り下がってしまったのか!」
「あ、いやそういうつもりじゃなくって!」
「どうせ、39にもなって独り身の香織さんですよ…… いいんだ、康太くんは大きくなったら香織ママと結婚するんだっていってたから」
ってことは百合子さんも39なのか……。
てか、こじらせすぎだろこの人。
俺も人のことは言えんが……。
「とまあ、茶番はこれくらいにして、で、何か成果はあったのか?」
「ふふふ、見てください。これが俺が百合子さんとデートした成果ですっ!」
俺はどんっと約10万文字分の原稿の束を机の上に置く。
「こ、これは?! 君はほんとうに書くのだけは早いな。才能だよ、これはマジで」
だけはと言う部分が多少気になりはするが、褒められて悪い気はしない。
香織さんはパラパラと読み進める。
だけは、というのではないが、正直、香織さんは読むのがめちゃくちゃはやい。そして、その批評に関しては、悔しいが全面的に同意せざる終えないほど的確だ。
「なるほどわかった。君は百合子とのデートで、百合子のでっかいおっぱい、百合子のでっかいお尻、百合子とホテルに行ってセックスすることだけを考えていたんだな」
「なんで?!」
「あんなに楽しそうにデートの報告をしていた百合子がこの小説を見たら泣くぞ……」
「そ、それだけはどうかご勘弁を!」
俺は机の上に頭をつけて深く深く
「いいか。この前は完全に純度100%の妄想全開エロモンスターがヒロインだったが、今度のヒロインは純度100%の百合子そのままじゃないか」
ぐぬっ……
はあ、とため息をついて香織さんは原稿を机に置いて話し始めた。
「百合子がすごく楽しそうに、得意げに言っていたぞ。絵画と小説は違うんだ。言葉には言葉にしか表現できないものがある。小説家はそれを求めるんだって。吹き込んだのは君だろ?」
全くその通りだ……
「それがわかっていて、どうしてバリバリ現実を模写したようなヒロインを書いてしまったんだ」
「ゆ…… 百合子さんがあまりにも……」
「あまりにも、なんだ言ってみろ」
「あまりにも…… エロかったから……」
ドSすぎる! なんて羞恥プレイだ!
「たしかに百合子はエロい。それはわかる。昔からそうだったからな」
その話、あとで詳しく聞かせてほしい。
「でも、それならお前が…… 他でもないお前と言う小説家がそれを書く意味はどこにある。もし、現実をそのまま模写することが小説なんだとしたら、この世に何千、何万人もの小説家はいらない。そのことをよく考えろ」
「き…… 肝に銘じます」
そこまで厳しい顔をしていた香織さんは、そこでふっと気を緩めると、
「ま、でも、一歩前進ってところかな」
「ほ、ほんとですかっ!」
「そんな喜ぶな。ほんとうに一歩だけだ。先っちょすらまだ触れてないくらいだぞ」
「いいんですそれでも! 今度は先っちょだけでも入れてみせますから!」
「そ、それは比喩としてだよな? いや、念のための確認だ…… 百合子にというわけではないんだよな?」
「ち…… ちがうわっ!」
「ならいいんだ。それにしても、さらにデートの約束までとりつけるとはな。なんだか急にモテ期が来た感じじゃないか?」
どうなんだろうか?
デートというか、休日に妹の買い物に付き添うような感覚なんだよな。
「どうなんでしょうね」
「いいか。人生の先輩としてこれだけは忠告しておく」
ゴクリと、俺は唾を飲み込み居住いを直して、真剣に傾聴する。
「モテ期というのは突然やってくるんだ。そうして、気がつかないうちに去っているものなんだ…… わたしなんて、ぺちゃくちゃぺちゃ ぺちゃ ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ……」
それから香織さんは、過ぎ去りし学生時代の思い出を延々と話し続けた。
この手の話を途中で投げ出すと不機嫌になることを俺は知っていたから、あくびを噛み締めながら我慢して聞いた。
わかったことはと言えば、香織さんにはもう少し同情してやらねばならないということだけだった。
(そういえば、林原さんどこ行く予定なんだろうか……)
解放されるまでの間、俺はそんなことを考えて耐えていた。
「………… というわけなんだ、わかったか? おいっ……起きろっ!」
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