第11話
芽衣とデートした数日後……。
「へっくしゅんっ!」
一人暮らしのメリット、それはいつ何時でも自由にAV鑑賞ができること。
ワイヤレスイヤホンの恐怖である、Bluetoothがつながっていると思っていたのに…… なんてことや、ノイズキャンセリング機能が凄すぎて気がついたら隣に母親が立っていただとか、そういった肝を冷やすような体験をすることが無い。
対して一人暮らしのデメリット、それは……
「やべ…… 風邪ひいたかな……」
病気のとき誰も助けてくれない。
ここ最近、短期間で小説を書いたり、百合子さんや芽衣と出かけて慣れない外出をしたりしたせいだろうか、朝起きたら、頭がぼーっとして身体が少し重たい感じがした。
とはいえ、俺の仕事は朝が早いので、この時間に連絡して代わってくれる人を探すというのは無謀だ。
「まあ、そんな長時間でもないし、ちょっと仕事して、帰りにドラッグストアに寄って薬でも買って家で大人しく寝るとするか」
とりあえず、何か口に入れるものをと思い冷蔵庫を開けてみる。
一人暮らしのデメリット二つ目は、気を抜くとすぐに冷蔵庫が空っぽになっている。
「これはひどい……」
そして、独り言も増える。
アルバイトを始めてから、料理の基本的手順のようなものを理解できるようになり、少しは自炊にも挑戦するようにはなって、正直いまの時代は料理男子だろなどと思ってもみたのだが、忙しくなると面倒臭すぎてテイクアウトやコンビニ弁当で済ませてしまう。
本当に日夜、一生懸命に働いている人からすれば、俺の忙しさなんてのは甘えるのも大概にしろとお叱りの言葉をいただくレベルだろうが、なんともまあ怠惰な星のもとに生まれついてしまったものだ。
とりあえず、歯磨きと洗顔を済ませ、パジャマ代わりに着ている甚平を手早く脱ぐと、どうせ向こうに行ったら店の制服に着替えるのだからとラフな格好をして外に出る。
バイト先までは幸いなことに、というよりもそうなるようにバイト先を決めたのだが、歩いて五分もかからない。
今朝のホール担当は芽衣ではなかった。
もし芽衣だったら、無理にでも家に帰されそうだし、かと言って、元気よく話しかけてくる彼女に体調が悪いのを気づかれないように相手をできる自信もなかった。
途中のコンビニでウイダーゼリーだけ買って、それを飲み、仕事に取り掛かる。
こんな日に限ってめちゃめちゃ忙しく、開店と同時に入客があり、ランチのメンバーがやってくるまでそれがコンスタントに続いた。
身体を動かすにつれてだんだんと体調も悪くなっていく。
頭はぼーっとするし、瞼は重いし、鼻はなんだかぐじゅぐじゅしている。
「うわ…… 仕込み全然おわらねえ…… 今日のランチは…… 百合子さんだ……」
あの後、ときどきバイト先で百合子さんと顔を合わせる機会はあったが、ほとんどすれ違いで俺が仕事をあがっていたのでほとんど会話をする機会がなかった。
話す機会があまりないからこそ、仕事を頑張ってすこしでもいいところを見せようなどと浅はかな考えでここ最近は頑張っていたので、仕事を残して百合子さんに交代するのは申し訳なかったと同時に歯痒い思いがある。
『あら…… 櫻井くん、今日はお仕事さぼっていたようね…… ちょっと見損なったわ』
「うう……百合子さん」
朦朧とする頭の中で、妄想百合子さんが俺をなじる。
『これは…… お仕置きが必要みたいね?』
「え…… お仕置き?」
『あなた…… もしかして、お仕置きしてほしくてわざとさぼってるんじゃないでしょうね?』
「ち……ちがうんだ……百合子さん」
「な…… なにが違うのかしら、櫻井くん」
返事をしたのは現実の百合子さんだった。
重たい頭を動かして壁にかかっている時計を見ると、時間はすでに九時十分前だった。
(もうそんな時間か……)
頭がぜんぜん働かない。
ともかくなにか挨拶をしないと……
「あ…… 本物の百合子さん…… おはようございます」
「お、おはよう。に……偽物の私がいるのか疑問なのだけれど……大丈夫? 元気なさそうだけど……」
百合子さんに心配はかけたくなかった。
「ちょっとオーダーが多くて、疲れちゃっただけです。仕込みがまだ終わってないので、すこし残ってやっていきますね。あ…… お仕置きしてほしくてわざとさぼってたわけじゃないので安心してくださいね……」
「おしお…… まあ、いいわ…… その、大変そうだから私も急いで準備しちゃうわね」
「ありがとうございます…… でも、ゆっくりで大丈夫ですよ」
百合子さんはすごく心配そうにスタッフルームへと入っていった。
頭が回らなすぎて普段どうやって会話していたが忘れてしまったけれど、まあたぶんこんな感じだっただろう。
時折、怪訝な顔をする百合子さんの表情が気になりはしたが、たぶん俺の視界がぼやけてそう見えただけだろう。
「なにはともあれ、あと少しだ。そしたら家帰って……」
と包丁を握って野菜を切ろうとした時、急に視界がブラックアウトして、身体からガクンと力が抜ける。
手に持っていた包丁がからんと音を立てて床に落ち、そのあとを追うようにして、俺が手にかけたインサートが崩れ落ち、まるでドラが鳴り響いたような音が店内に響いた。
「大丈夫?!」
スタッフルームに入ったばかりの百合子さんが引き返してきて、俺の元へとやってくる。
「す…… すみません、ちょっとふらっとして……」
そういってしゃがみ込んだ姿勢の俺に百合子さんは近づいてきて、俺の額に手を当てる。
横から覗き込むようにする彼女の豊満な胸の感触が、密着する右腕に広がる。
(こ…… こんな時でも、俺はそんなことを考えて……)
もし俺が童貞を捨てた暁には、こんな密着にいちいちどきりとすることなどないのだろうかと思った。
そんなしょうもないことを考えているなど露ほども思わない聖母百合子さんは、
「すごい熱…… もう大丈夫だから、早く病院行きなさい」
「あ…… ありがとうございます。すみません、全然仕事進んでなくて……」
「もう、そんなの気にしないでいいから、どう? 一人で行けそう?」
「はい。それは流石に……」
「立てるかしら?」
そう言って百合子さんが肩を貸そうとすると、いかにもバインっバインっという効果音が鳴り出しそうなくらいに、俺の体の右側面を巨大な二つのマシュマロが攻撃してくる。
「ほ、ほんとに! まじで大丈夫です! ほんと…… これ以上はやばいです……」
俺は慌てて身体を離し、立ち上がった。
ここにいたらむしろ心配をかけそうだったからお言葉に甘えて、百合子さんに後を任せた。
その足で家の近くの内科を受診した。
なんてことはない、ただの過労からくる一過性の体調不良で、解熱剤を服用して安静にしていなさいと言われた。
喉が少し痛かったので、コンビニで再びウイダーゼリーを買って、薬を飲んですぐに寝ることにした。
「おれ…… 身体弱すぎだろ……」
単なる過労——それもおそらくそれほどではない——からここまで体調を崩す自分の情けなさに打ちひしがれながら家路についた。
『わたしは強くて頼れる人が好きよ』
俺の中の百合子さんがそう言っている気がする。
「ジムで筋トレでもするか……」
人生で何度目かわからない、行動に移した試しのない意欲。
「…… そういえば、百合子さんってどんな人がタイプなんだろう」
別に、百合子さんに憧れという気持ち以上のものは持っていない。
俺はそう思っている。
だけど、ふと気になった。
「ま、考えても仕方ないか」
そうして、薬を飲んでさっさと寝て、まずは体調を治そうと思い布団に入った。
が、全然寝ることができない。
こういう時に限って、昔から俺は寝ることができなかった。
「はあ……AVでも見るか……」
体調の悪い時になぜか性欲が高まる、この感覚、他の男子にはわかってもらえるだろうか。
俺は、「これは資料」「これは資料」と心の中で念じながら、少ない給料で集めた俺のAVコレクションから、最近発見してしまった百合子さんに似た女優の作品を選ぶ。
ひとしきりナニをナニし終え、
「ふう…… 百合子さん。おっぱいの感触を思い出しながらナニしてしまってほんとうにすみません。しかし、俺は改心しました。あなたのこと、いやこの世界の全女性を、俺は今後一切性的な目でみないと誓います」
これもまた行動に移した試しのない賢者タイムの気の迷いだ。
このお祈りの文句に百合子さんの名前が入り始めたのは最近のことである。
そうして、重い身体をさらに気だるくさせてようやく眠りについた。
丸めたティッシュはゴミ箱へと捨てる元気もなく、布団のまわりに放り投げておいた。
(起きたら絶対に捨てよう…… 袋に入れて口を結んで…… 絶対にそうしよう)
ピンポーンというよりも、チリンとでもいうような俺が住む安アパートのインターホンが鳴るのに気がついて目が覚めたのは、夕方の四時過ぎ頃だった。
眠気まなこを擦り、ぼーっとしたままドアの方へと向かう。
(なんだろ…… あ、体調だいぶ良くなってる気がする……)
そんなことをつらつらと考えながら、扉を開けるとそこには、
「こんにちは櫻井くん。体調どう?」
妄想ではない、本物の百合子さんが俺の家の前に居た。
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