第9話
「櫻井さんってえっちいける人だったんですね」
パラパラと本を捲りながら芽衣は言った。
「え、櫻井さんはえっち出来る人だったんですねって言った?」
「言ってません!」
聞き間違いか。
「なんかこう抵抗あるかなと」
「えっち嫌いな男なんて居ないだろ」
いや、バイト先の後輩と並んでえっちな本を物色してるこの状況は、さすがに俺もどうかとは思うけどな。
「櫻井さん…… 真剣な話です。ひとつ聞いてください」
あれ、デジャブ?
さっき俺が同じようなこと言ったよな。
「男性がみなえっちを好きだと勘違いしてませんか?」
あれ、俺は今なんの説教をされてるの?
「ち、違うのか?」
「断じて違います! いや、断じて、否!」
言い直した!
「男性はもっとえっちに対して真剣になるべきなんです! 彼らは手っ取り早くオナニーするための対象としてしかそれを見ていません! ですけど、えっちとは本来もっと尊くて繊細な細部に宿るのです!それは消費されるものとは違う、一つの芸術、アートなんです! 見てくださいこの女の子の表情! 見てくださいこの子の霰もない姿! この一筆一筆の運びこそがえっちなのです! そう、えっちは細部に宿るのです!」
お…… おお!
「はぁはぁはぁ……どうです? わかりましたか?」
「あ……ああ! お前すごいえっちなやつなんだな! げほっ……!」
芽衣は俺に強烈な肘鉄を喰らわせた。
「わたしは別にえっちじゃないんです」
アニメイトを出て、ぶらぶらと歩きながら、芽衣はそう言った。
「いや、お前はえっちだよ」
ぶんっと再び、芽衣の肘鉄が飛んでくるが、俺は華麗なサイドステップを踏んでそれをかわす。
二度も同じ攻撃を喰らうか。
「くっ……小癪なっ…… じゃなくてですね」
華麗なノリツッコミだ。
「わたしは決して現実でえっちなわけじゃないんです。一つの創作としてえっちを楽しんでるんです」
「言わんとすることはわかる」
「ほんとですか?」
「ああ」
芽衣は疑わしそうな目つきをしながら、
「お…… 男の人って、えっちなことになると現実と創作の区別ができなくなるじゃないですか。ほら、AVみたいなえっちしようとする男とか……」
えーっと……
「そ…… そういう経験がおありになるので?」
芽衣は分かりやすく顔を真っ赤にする。
正直これは、照れと怒りの両方のせいだと断言できた。
「み、みくびらないでください!」
「どういうリアクションだよ!」
「は……話に聞いたことがあるってだけです! 私はまだ立派なおとめです!」
そこまでは聞いてねえよ!
ただ、AV模倣男との経験があるかどうか聞いただけのつもりだったんだけどな……
「そ…… そういう櫻井さんは」
と、芽衣らしくないもじもじとしたような雰囲気で、
「け…… 経験あるんですか?」
「はあ?!」
「あるんですかっ!ないんですかっ!」
な…… なんだそれ!
「あ…… あるに決まってるだろ…… もう大学も卒業してるしな……」
なんでだろうか。素直に童貞だと言えないこの気持ち。
「へ…… へえ…… あ、あるんですね」
「なんでお前が聞いといて微妙な反応してるんだよ……」
「そ…… それは、彼女さんとかで?」
な、なんかめっちゃぐいぐい聞いてくるな。
ま…… まさか、俺が嘘をついていると疑って、ボロを出そうと?
くっ、その手には乗らないぞ林原 芽衣!
「当たり前だろ。俺がそんな軽薄そうに見えるか?」
「ふーん。か…… 彼女、いたことあるんだ…… 意外……」
どう言う意味だよ。いや、いたことないから君の感覚は正しいのだけれどね。
「どこが好きだったんですか?」
「え?」
「だから、か…… 彼女さんのどこが好きだったんですか?」
な、なんでそんなグイグイ質問してくるの!
恋バナ?恋バナがしたいお年頃なの?
どこが好きだったって、そんなん知らないよ、いたことないんだもん。
どこ どこ どこ……
「でっかいおっぱい……」
はっ!
「ちがうっ! 今のはちがくて!」
どこが好きって言うから、つい百合子さんを。
いや、それだとまるで俺が百合子さんのでっかいおっぱいを好きみたいだ。好きだけど!
「あ…… あの芽衣さん?」
絶対にキレられる! と思っていたら、芽衣は消え入りそうな声で、
「でぃ……Dカップは、さ……櫻井さん的には、で…… でっかいおっぱいに入りますか? あ、で、でも…… まだ成長してるから…… だから、もしかしたら大きくなるかも…… です」
最後の方はほとんど聞き取れない、声にもなってないような声だった。
「うーん、Dか。どうなんだろう。カップ数で言われてもあまりピンとこないんだよね。あ、実際に見せてくれたら答えられるよ」
男が想像するDカップは実際のGカップ、なんてのはよく聞く話で、正直カップ数を言われても正確な答えはできない。
画像か何かを見せてくれれば、もちろん主観ではあるが答えられるだろう。
えっちな質問には真摯に答えようと思ってしまうのは、官能小説家としての矜持のようなものだろうか。
と思っていると、芽衣は顔を真っ赤にしてプルプルと震えている。
「櫻井さんのえっち!!!!」
なんで?!
聞いて来たの君じゃんという俺の声が、心のなかで何度も何度もこだました。
「あ…… あんなこと言った後でカラオケにわたしを連れてくるなんて、櫻井さんまさか……」
「だからそれは誤解だったじゃん……」
芽衣は、見せてくれという言葉を、俺が芽衣の胸を見せてほしいと言ったのだと思ったらしい。
なわけないだろ、と言っても、いまのは櫻井さんがわるいの一点張りだった。
「しかもっ! カラオケに連れて来たのは俺じゃなくてお前の方だ! いやだいやだ行きたくないって駄々を捏ねていた俺を引っ張ってな!」
「あーあれは正直ドン引きでした……」
「大人が恥を忍んでそうまでしているのに、それを容赦無く引っ張っていくお前に俺はドン引きだよ」
「なんでカラオケ嫌いなんですか? 楽しいじゃないですか」
そ……そんなこと言えるやつは、この世で選ばれた人間たちだけなんだ……
「いいか、何度も言う。俺は音痴なんだ」
「わたしも何度も言ってるじゃないですか、そんなに上手くないですよって。歌ってストレス発散したいだけで、点数とかは別に気にしてないんですよ」
と言っていた芽衣だったのだが、
「89点か〜。あと一点なんだけどな」
「めっちゃ気にしてんじゃねえかっ!」
「あと一点だったらやっぱり90点取りたくなるじゃないですか。それより、次は櫻井さんの番ですよ」
なんなら一緒に歌いますか、と笑ってマイクを渡してくれる芽衣。
それを受け取り、しぶしぶ俺は歌い出す。
初めは笑顔でのってくれていた芽衣。
だが、だんだんとその顔は暗くなり、しまいには目をそらされてしまう。
「だから言ったじゃん!」
「まさか、ここまでとはな」
くっ!
「いいか、この世には3人の裏切り者がいる。まずはユダ。言わずと知れた、イエスを裏切った使徒だ。そして次に健太郎くん。中学校のマラソン大会で一緒に走ろうと約束しながら俺を置いていった。最後にお前だ、林原芽衣。甘言を弄して俺を密室に連れ込み、それを握らせあんな声やこんな声をあげさせたその罪は重いぞ」
「言い方がえっちすぎますっ! それだとわたしがまるで『どしたん話聞こうか』みたいじゃないですか!」
芽衣は遺憾の意を表明しながら、抗議の机バンバンをする。
しかし、思うところはあったのか、
「ごめんなさい、ここまで音痴な人わたしの知り合いの中には一人もいなかったので、まさか世の中にこんな人がいるとは知らなかったんです」
謝罪の言葉が俺の心を抉る。
いや、そんな真剣に謝られるとその分、俺の精神のヒットポイントがガリガリ削られていくのだが……
「でも、ストレス発散したかったのは本当ですよ……」
だが、、芽衣はいままでにみたことのない様子で、俯きながら話を続けた。
「わたし最近ちょっと悩んでたんですよ。わたしと一緒にオーディション受けてる子は、みんなわたしより若い子ばかりで、あーわたしって何やってるんだろうって。もしこのままオーディションに合格しないで、ずるずる歳だけとっていったら、わたしがやってたことってなんなんだろうって。そんな人生ってなにか意味があるのかなって」
その気持ちは俺もよくわかる気がした。
このまま、もし一冊も小説が出版されなかったら?
それでも書き続けてる俺は何をしてるんだろう。そんなことを思ったのは一度なんてものじゃない。
「でも、今日、櫻井さんが言ってたことを聞いてわたし思ったんです。わたしは今、何かの役に立つことをしてる訳じゃない。それになんの意味があるのかって考えてました。でもそれが間違いかもしれないって。他のみんなはもしかしたら、役に立たないことを探して一生懸命走り回っているけど、わたしはもうそれを見つけている。それがわたしの人生なんじゃないかって。なんだか少しだけそう思えた気がしたんです」
もう悩みは吹っ切れた、新しい一歩を踏み出せそう、そんな前向きなセリフとは裏腹に俺のほうを向いた彼女の目には、二人のことなどお構いなしに流れ続けるカラオケの宣伝映像が反射してして、はっきりと一筋の涙が見えた。
「芽衣……」
「あれっ、わたし…… もう、大丈夫だと思ったのに…… なんで、……」
左右の手のひらの親指の腹を使って、彼女は交互に両の目から流れる涙を拭う。
しかし、そうすればそうするほど、後につづいてとめどもなく涙が溢れてくる様は、傷口をみて初めて痛みが襲ってくるように、涙に気がついて涙が止まらなくなる、そんなふうに俺にはみえた。
「櫻井さん…… わたし……」
「芽衣。いくぞ」
俺は彼女の手を掴んで、カラオケから連れ出して、ある場所へと彼女を連れ込むことにした。
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