第48話 最終回 甲子園へ

 夏だというのに、涼しかった。

 朝晩は肌寒いほどだった。

 第1危険生物研究所は山中にある。

 高度はよくわからないが、低くはない。

 研究管理棟6階の窓から外を眺めると、眼下に山並みが連なっている。

 富士山も見える。


「ここはどこなんだろうね」ときみは言う。

「S県内のような気がするけれど、確信は持てないな。Y県かG県かもしれない」と僕は答える。

 ここに来てから4日が過ぎていた。

 到着翌日に僕たちは、腕の皮膚をほんの少し採取された。

 人間か変身生物かを判定する特殊な検査をされている。

 その結果はまだ聞かされていない。


「変身生物の研究所は日本にいくつあるんだろう?」

「ここが第1だから、たぶん第2研究所はあるんだろうね」

「境川先生はどこかにいるのかな?」

「いるとしたら、ここのような気がするけれど」


 ここには千人近くの変身生物がいるらしい。

 食事の時間に多くの人を見たけれど、全員の顔はまだ見ていない。

 境川先生がここにいる可能性はまだ残されている。だが、別に会いたくはない。

 きみがいればそれでいい。


 きみと僕は運動場でときどきキャッチボールをする。

 ピッチング練習をすることもある。

 きみはたまにスプリットを投げ、僕は受ける。

 相変わらずきみの変化球のキレは良い。

 甲子園で多くの人に披露できないのが惜しい。

 きみはこんなところで埋没してはいけないと思う。広い世界で活躍するべきだ。

 だが、きみは人ではない可能性が高い。僕も人ではないのかもしれない。

 変身生物なのかも。

 甲子園に出場し、人間と同じ舞台で戦ってはいけないのかもしれない。

 きみと僕がキャッチボールをしているときに、白衣を着た40代半ばくらいの男性に声をかけられた。誰かに似ている気がする。 

 

「空尾凜奈さんと時根巡也くんかな?」

「はい」

「話がある。けっこう大事な話だ。一緒に来てくれないか?」


 断れるはずもない。

 僕たちは囚人みたいなもので、白衣の人たちは看守もしくはその上の立場にいる。

 話を聞くしかない。

 大事な話?

 もしかしたら、検査結果が出たのだろうか。


「私の名前は志賀千里しがせんりという。ここの副所長を務めていて、千佳の父だ」

 白衣の男性が研究管理棟へ足を向けながら言う。

「えっ?」

 千佳? そうか、この人には志賀さんの面影があるんだ。

「千佳ちゃんのお父さん?」ときみは驚く。

「ああ、きみたちには千佳が大変お世話になっているようだね。どうもありがとう」

「千佳ちゃんは元気ですか?」

「へこんでいるよ。きみたちが行方不明になって、ものすごく落ち込み、毎日探している。私はきみたちの居所を知っているが、守秘義務があり、娘に教えることもできない」

「そうなんですか。つらいですね」

「つらくても、きみたちほどではない。甲子園出場が決まったその日にこんなところへ連れてこられて、苦しいだろう?」


 僕は複雑な心境だ。もちろんつらい。だが、きみと恋人になれたばかりとあって、しあわせでもある。

 志賀千里さんは、僕たちを研究管理棟2階の小会議室に連れていった。

 そこに驚くべき人がいて、きみと僕は言葉を失う。

 天上共栄のエースピッチャー、潜水円華さん。


「こんにちは、時根くん、空尾さん」と潜水さんは穏やかな笑みを浮かべて言う。

「潜水さん? きみも収容されちゃったの?」

「いやあね。私は収容なんてされていないわ」

「じゃあ面会に来てくれたの?」

「まあそんなようなものね」


 潜水さんは天上共栄の制服を着ている。上は白いセーラーブラウスで、下は濃紺のプリーツスカート。

 僕たちは青十字高野球部のユニフォーム姿のときに捕まった。いまはこの研究所で支給されたジャージを着用している。

 会議室の中にきみと僕と志賀さんのお父さんと潜水さんがいる。いったいなにが始まろうとしているのだろう。


「まずはそちらの用件を済ませてください」と潜水さんが言う。

「ではお先に」

 千里さんは椅子に座り、きみと僕にも座るようにうながす。

「最初に検査結果を伝える。空尾さんと時根くんはふたりとも変身生物であることが判明した」

「そうですか」と僕。

「やっぱり」ときみ。

「あまりショックではないようだが?」

「覚悟はしていました」

「時根と同じでよかったです」

 そうか、と言って千里さんは微笑む。


「まあショックを受ける必要はない。いまや日本国民の半分は変身生物かそのハーフかクオーターなのだから」

 今度の言葉は衝撃的だった。

「そんなに多いんですか?」

「推定だけどな。まあ変身生物がありふれた存在なのはまちがいない。もはや人間の姿をした変身生物は、人間同然であると言ってよいと私は考えている」   

「ピッチングがすごく上手いとか顔が特別に良いとか、なにか特徴のある少数の人が変身生物なのかと思っていました」

「そういう変身生物がいることは確かだが、平凡な能力しか持たない変身生物もいる。変身生物のはっきりとした特徴は、細胞レベルの治癒力が人間の数倍から数十倍高いことだ。検査ではその細胞の力を確認している」

 きみの右手の中指の負傷がすぐに治ったのは、やはり変身生物の能力だったのだ。


「さて、ここからが本題なんだが、きみたちふたりは研究所から出所できることになった」 

「えっ、変身生物なのに、出られるんですか?」

 嬉しい。だが、驚愕の方が大きい。いったいどうなっているんだ?

 この世界はどのような仕組みになっているのだろう。変身生物がありふれた存在で、でも人間と変身生物は暗闘していて、僕たちはここから出られないはずだったのに、出所できるという。わけがわからない。


「ただし条件があるんだ」

 条件ね。そうでしょうとも。

「たいした条件ではないよ。きみたちがここにいたことは秘密にしてもらいたいんだ。守秘義務を負ってもらいたい。きみたち以外の変身生物は、まだ出られないからさ。空尾さんと時根くんは特別扱いなんだ」

「まだ、というと?」

「研究所は外出できる施設になるかもしれないんだ。そういう法律の立案が進められている。仮称変身生物保護法という。これは近いうちに成立する見込みが立ってきた。変身生物の人権を認める憲法改正も検討されているが、これは実現の見込みが立っていない」

「実現すると良いですね。それはともかく、僕たちが家に帰ったら、家族からここ数日どこへ行っていたんだとたずねられると思います。なんて答えればいいんですか? 自衛隊の人員輸送車に乗せられたところを目撃されていますよね。どう説明すればいいんでしょう?」

「もし訊かれたら、テロリストだと疑われ、自衛隊のS県I基地に留め置かれていたと答えてもらいたい」


 僕は仰天した。

「ええーっ、そんな適当な」

「それで押し通してくれ。もう政界官界すべて根回し済みなんだ」

「なんのテロ?」

「甲子園爆破計画」

 きみも仰天した。


「うわあ、日本政府適当すぎる……」

「きみたちの甲子園出場決定を知っていた起案者が考え、起草し、決定してしまっているんだよ」

「じゃあもうそれでいいです。それより、肝心なことを教えてください。どうして空尾と僕は特別扱いなのですか?」

「きみたち抜きの甲子園なんて考えられないからだよ」と言ったのは、潜水さんだった。


「潜水さん?」

「ここからは私が話しますよ、志賀副所長」

「よろしく」

 潜水さんは妖しく微笑んで、きみと僕を見た。


「実はね、この世界はいまやほとんど変身生物が支配しているんだよ」

 彼女は信じていた世界が引っくり返るようなことを、さらっと言った。陰謀論かと思うような台詞だった。

 日本、そして諸外国も、ほとんどすべて、と潜水さんは言った。

「日本政府内部で政変があって、ここしばらく主導権を人間に握られていたけれど、それも終わったよ。変身生物が権力を取り戻した。いま現在の日本の権力者は、だいたいが変身生物かその関係者だ。だから、本当は研究所にいる全員を家に帰してあげたいんだけど、どうしても手続きに時間がかかるんだってさ。急にここから出すことはできない」

「なぜ僕たちだけが?」

「私がきみたちの甲子園での雄姿を見たいから」

 僕は呆然とした。


「潜水さん、きみはいったい何者なんだ?」

「私自身はただの高校生だよ。ただ、父親が日本政府の黒幕というだけでね」

「きみもきみの家族も変身生物なのか?」

「ご想像に任せるよ」

 認めたも同然だ。


「私はきみたちの失踪を知った。自衛隊の人員輸送車に乗せられたという情報はすぐにつかんだ。研究所に連れ去られたということも、さして時間が経たないうちに判明した。父に頼れば、たいていのことはすぐにわかる。きみたちの出所も父にお願いした。そして、私はいまここにいるというわけだよ」

 変身生物の権力恐るべし……。

「僕たちを出所させなければ、7人しかいない青十字は出場を辞退し、次点の天井共栄が出場ということもあったのでは?」

「準優勝校が出場なんて、父の権力を使わなければ無理だよ」

 権力使えばできるのかよ。

「それにそんなつまらないことはしたくない。秋の大会で青十字を倒し、正々堂々と春のセンバツ甲子園に出たい」

 潜水さんが良い人でよかった。


「そういうわけで、空尾さんと時根くんは出所できる。千佳も喜ぶというわけだ」と千里さんは言った。

「じゃあまたね」

 とても上手にウインクをして、潜水さんは会議室から去っていった。


 千里さんはリモコンのようなものを使い、僕たちの左手首にはめられているブレスレットをはずしてくれた。

「宿舎に戻り、帰宅の支度をしなさい」


 彼は立ち上がり、ドアを開けて、きみと僕に出ていくよう促した。

 その後、千里さんが運転する自動車で自衛隊I基地まで送られた。

 僕たちは口裏を合わせるためにI基地の見学をさせられた。軟禁されていたというシナリオの部屋をじっくりと見ることになった。

 それが終わってから、僕らは自衛隊の車両に乗り、自宅へ帰ったのだった。


 8月6日、高浜監督と青十字ナインは東海道新幹線に乗っていた。

 明日から甲子園球場で、全国高等学校野球選手権大会が開催される。

 僕たちは前日に現地入りするため、いま電車内にいる。


「おまえら、絶対に甲子園でテロすんなよ。洒落にならん」と監督が言う。

「しませんよ。わけわかんないですよ、その話」と僕はごまかす。

「時根となら、なにをやってもいいよ」なんてきみは言う。

 志賀さんが涙ぐむ。

「凜奈さんと時根くんが釈放されて、ホンマによかった」

「火のないところに煙は立たずという。計画ぐらいはしていたのか?」と雨宮先輩が言う。

「してません。その話、もうやめてください」

「早く投げたい。監督、あたしを先発させてくれ! テロリストをマウンドに上げちゃだめだ」と草壁先輩が言う。

「先輩の左腕にテロしてやろうか」ときみが凄む。

「あのあの、わたしが甲子園でピッチャーデビューを飾るというのはどうでしょうか」と能々さんが言う。

 誰も相手にしない。

「甲子園テロ。怖ろしい物語なのじゃ。そんなオチだったとは」とネネさんが言う。

「だからもうやめて!」

「そうよ。もうそんな物騒な話はやめて、夢のある話をしましょう。わたくしたちは甲子園で優勝するのよ!」と方舟先輩が言う。

「それこそ最高の物語なのじゃ」

 胡蝶さんは騒がず、スマホを見ていた。

「変身生物保護法案が閣議決定され、次の国会で提出予定ですって」とつぶやく。

 彼女はきみと僕を見つめた。

 胡蝶さんは僕たちを変身生物だと見抜いているのだろうか。

 でも、推定で日本国民の半数が変身生物なのだ。

 胡蝶さんだって変身生物かもしれない。

 甲子園に出場する選手の多くが変身生物かもしれない。

 僕は全力で戦うつもりだ。うしろめたく思う必要はない。この世界は変身生物だらけなのだ。


 人間も変身生物も等しく愛し合おうよ、と僕は車窓から富士山を見ながら思う。

 僕はきみを愛している。きみが人間だろうと変身生物だろうと関係ない。

 僕はきみがきみだから、きみを愛しているのだ。



 世界の敵と愛し合え! 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界の敵と愛し合え! みらいつりびと @miraituribito

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ