第12話 動かない心

 応接室には聖、梨華、智彦、そして梨華の父親がいた。


 聖と智彦が同じソファに座り、その向いのソファに梨華と梨華の父親が座っている。

 まさにお見合いの席、という空気感がただよっていた。


「失礼いたします」


 さくらが紅茶をせたカートを押し、ゆっくりと四人の側へやってきた。


 紅茶を持ってきたのがさくらだと知り、智彦と聖は驚いたが、客前なので冷静を装う。


 しかし、聖はさくらが気になり目で追ってしまっていた。

 それを梨華は見逃さなかった。


 梨華は聖を見つめていた視線を動かし、さくらの方を見る。

 その目は、何かを探っているようだった。


 さくらは紅茶を注ぐと、カップを梨華の父の前にそっと置く。続いて、梨華の前にも置いた。


「あなた、ここのメイドさんよね。……とても可愛らしい」


 突然、梨華がさくらに声をかける。

 思ってもみない梨華の行動に、さくらは驚き戸惑ったが、メイドとして笑顔を返した。


「はい、黒崎家に仕え、6年になります」


 梨華は驚いた様子で目を見開き、口元を手で隠した。


「その若さで、既に6年も?

 小さな頃からこのお屋敷にいらっしゃるのね……うらやましい」


 梨華は少し落ち込んだように肩を落とす。

 皆が不思議な顔をして梨華を見た。


 注目された梨華は、少し照れたように頬を染めた。


 その姿は本当に可愛らしく、女性のさくらでさえ見惚れてしまうほどだった。


「いやだわ、ごめんなさい。メイドさんに焼きもちなんて」


 そう言うと、つやっぽい眼差しを聖に向ける。

 聖はそんな視線など見向きもせず、さくらばかり見つめていた。


「私、幼き頃より聖様のことが好きでした。

 この度、聖様の婚約者に選ばれて、すごく嬉しかったんです。

 ……でも、こんな可愛いメイドさんがずっと聖様の傍にいたかと思うと、心配で」


 梨華がため息をつきながら下を向く。


 この空気はまずいと思った智彦が、すぐさまフォローに入る。


「梨華さん、何をおっしゃいますか!

 このメイドはただの使用人です。使用人があるじとどうにかなるなど、許されません。

 私が許しません! 聖はあなたと結婚するのですから」


 智彦は梨華さんに微笑みつつ、さくらに下がれと合図を送る。

 指示に従い、さくらは静かにその場から立ち去った。


 その姿を横目に見ながら、梨華が口を開いた。


「そうですよね、私ったらごめんなさい。変なこと言って。

 聖様が素敵な方だから、誰かに取られないかと不安なんです」


 梨華は聖に熱い視線を送る。しかし、聖はまださくらを見つめ続けていた。


 智彦が聖をひじで突き、コホンと咳払せきばらいする。


「ほら、おまえ梨華さんに何か言うことはないのか。梨華さんはおまえのことを好いてくれているんだぞ」


 聖は梨華を見た。

 梨華は何かを期待するような目で、聖を見つめてくる。


 疲れたようにため息をついた聖は、はっきりとした口調で断言した。


「僕はあなたと結婚する気はありません。

 申し訳ありません、梨華さん。他にいい方を見つけてください」


 それだけ言うと、聖は立ち上がり梨華に一礼する。


 皆に背を向け、その場から立ち去る。

 扉の側に控えていたさくらの手を取り、聖は二人で一緒に出て行った。


 その一部始終を見ていた梨華が、ショックで泣き出してしまう。

 すぐに梨華の父の怒りが爆発した。


「黒崎さん、これはどういうことですか!

 このような態度は、梨華を侮辱ぶじょくしたも同然! これがどういうことかわかっているのか!」


 娘を侮辱ぶじょくされた父親の怒りほど恐ろしいものはない。

 智彦はどうにか相手の怒りをしずめるように、努力することしかできなかった。


「申し訳ありません、どうか穏便おんびんに。

 聖にはよく言って聞かせますので。どうか今回はお許しを」


 智彦は頭を下げ、謝り続ける。


 しかし、梨華の父の怒りが収まることはなかった。





 その夜、聖は智彦に呼び出された。


「……おまえ、どういうつもりだ?

 梨華さんは泣き出すし、御父上はお怒りで。もうこちらの話を聞いてくれない。

 北条家との関係が悪くなったらどうしてくれるんだ! 北条家と繋がりを持てるなんて幸運なことなんだぞ!

 梨華さんだってあんなに美しくて優しそうな方じゃないか。何が不満なんだっ」


 智彦がいくら言い聞かせても、聖は聞く耳をもたない。

 もう心は決まっている、というように。


「さくらか……。あの娘がおまえをまどわすのだな」


 智彦が少しの間、黙って何かを思案しているようだった。


 そして、決定的な言葉が放たれた。


「ならば仕方ない。さくらはこの屋敷から出ていってもらおう」


 今まで黙っていた聖が急に叫んだ。


「父上! そんなこと、私が許さない!

 そんなことをしたら、私はこの家と縁を切ります」


 聖は冗談ではなく本気で言っているのだと、智彦にもすぐにわかった。

 しかし……。


 眉を寄せ、大きな息を吐いた智彦は聖を見つめる。


「わからん、そこまでしてあの女と一緒になりたいのか?

 父を裏切っても? この家を捨ててでも?」


 智彦の問いに、しっかりと頷き返す聖。

 その瞳には、何にも屈しない信念が見え隠れしていた。


 そんな聖を見て、智彦は深く考え込む。


 しばしの沈黙のあと、智彦の表情が少しだけゆるんだ。


「負けたよ、おまえの想いがどれほどか……。

 婚約のことは破棄はきしよう、さくらのことも好きにすればいい」


 今まで鋭い目つきで智彦を睨んでいた聖の表情が、途端にやわらいでいく。


「本当ですか?」

「ああ」

「本当に?」

「ああ」


 聖の表情は喜びへと変化した。


「ありがとう、父上!」


 聖は智彦におもいきり抱きついた。


「おおっ、おまえに抱きつかれたのなんて、何年ぶりだ?」

「だって、認めてもらえるなんて思わなかった! 父上、大好きですっ」


 智彦は聖を愛しそうに見つめ、大切そうに頭を撫でる。


「私はおまえを愛している。おまえのためなら、なんだってする」


 聖を見つめる智彦の表情は硬く、どこか冷めていた。

 しかし、浮かれていた聖には、それに気づくことはできなかった。

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