第4話 疑いの目


 さくらは屋敷へ戻るといつも通り、掃除を始める。


 学校から帰ってくる時間は大抵掃除の時間とかぶっていたので、他のメイドたちと一緒に掃除にいそしむことが多かった。


 各々おのおのの持ち場で掃除に精を出していると、メイドたちの視線が一斉にある場所へと注がれた。


 彼女たちの視線の先にいたのは聖だった。もちろんさくらも彼のことを視線で追っていた。


 長い廊下の向こうから歩いてくる彼の手には分厚ぶあつい本がある。

 たまにページをめくり、何かつぶやきながら歩く様は知的な感じが漂い、彼の魅力をさらに引き立てているようだった。


 メイドたちがうっとりと聖に見惚みとれていると、突然さくらの脳裏に映像が入ってきた。


 本を読んでいた聖が廊下で足をすべらし転んでしまう。

 さらにその振動で側にあった柱時計はしらどけいが倒れてきて腕を怪我してしまうという映像だった。


 まさにこれから起こることではないのか。

 そう思ったさくらは急いでその映像にあった廊下の場所を探しに向かった。


 先ほど映像で見た場所を発見したさくらは辺りを見渡す。

 足元の床が少しだけ濡れている個所がある、きっとここで足を滑らせるのだ。


 さくらは急いで水を吹くと、側にある柱時計はしらどけいを見上げた。

 滑らなければ倒れてこないはずだから、とりあえずこれでいい。

 さくらは物陰ものかげに身をひそめ、聖を待った。


 しばらくすると、向こうの角から聖が姿を現した。

 本に夢中で前を見ていない、あのまま濡れた場所を踏んだら転んでしまうだろう。


 さくらが息をみ見守る中、聖が無事に問題の個所を通り抜けた。


 ほっと胸をろした、そのとき、


「おまえ、こんなところで何してるんだ?」


 後ろから声をかけられ振り返ると、そこには誠一が腕組みをしてこちらをじっと睨んでいる。


「せ、誠一様! えーと……ちょっとここら辺が汚れているなあ、と」


 なんでもない床を指差しだんだん尻すぼみになっていくさくらを、いかにも怪しんだ目で誠一は見つめてくる。


「なんか怪しいんだよな……おまえの言動って」

「そ、そうですか?」


 とぼけて顔を背けるが、誠一にはまったく効果はなさそうだ。

 ここをどう切り抜けるか、さくらが頭をフル回転させていると。


「まだここにいたんですか?」


 さくらと誠一の前に旭が姿を現した。


「さくらさん、ここを掃除しろとはいいましたが、いつまでかかっているんですか? やることは他にもあるんですから、困ります。戻ってください」


 向こうへ行けというように、旭はさくらを見つめながら廊下の先を指差した。

 旭に指示された覚えはなかったが、今はとにかく一刻も早くこの場を離れたかったさくらは旭に従うことにする。


「はい、申し訳ありません。誠一様、失礼いたします」


 二人に一礼し、さくらは足早にその場を離れていった。


 さくらが去ったあと、旭を横目で見る誠一に対して彼はにこやかな微笑みを向ける。


「さくらに何か用事でしたでしょうか?」

「いや……」


 それだけ言うと、誠一は旭に背を向けその場から離れていく。


「…あいつはどうも苦手だ」


 誠一は誰にも聞こえない声でつぶやいた。


 誠一の後ろ姿を見送った旭はほっと胸をでおろし、さくらが去っていった方を見つめ微笑んだ。





 夕食のあとのティータイムで、またさくらの能力が発動した。


 今度は誠一が紅茶を飲もうとして、怒っている姿が脳裏に浮かぶ。

 それしか情報はない、いったい彼は何に怒っていたのだろう。


 さくらはこれから誠一に出すために用意されていた紅茶の葉を確認した。

 すると、いつも誠一に出している葉ではないことに気がつく。


 さくらは急いでキッチンに戻り、誠一用の紅茶の葉の缶を手に取ると食堂へと走った。

 食堂へ戻ると、ちょうどメイドが紅茶をカップに注いでいるところだった。


「まって、これに変えて」


 さくらがそのメイドに耳打ちすると彼女はあからさまに嫌な顔をした。

 

 新しく入ったばかりのメイドで、まだ一人一人の好みを把握できていないようだ。

 自分が間違っていることもわかっていないのだろう。仕事に横やりを入れてくるさくらを不機嫌そうな表情で見つめてくる。


 さくらが困っていると、旭がポットを持つ彼女の手にそっと触れた。


「君は下がっていいよ、あとは僕がやります」


 旭に見つめられたメイドは頬をほんのり染め、素直に頷いた。


 さくらから缶を取ると、旭は紅茶を入れ直す。

 その手際の良さに思わず見とれているさくらだったが、我に返りお礼を言う。


「ありがとうございます」

「いいえ」


 紅茶を三人へ配っていく旭。

 その身のこなしは洗練せんれんされていて無駄な動きがない。


 本当に、旭はすごい。

 彼の言動すべてが執事として完璧だった。

 主人を立て影となり、決して目立たず、しかし確実に忠実に物事を成し遂げていく。

 もちろん、黒崎家を支える以外に使用人たちのサポートも忘れず、屋敷全体のことも考えている。

 彼から学ぶべきことはたくさんある、メイドとして旭はさくらの目標だった。


 さくらが旭を目で追っていると、フォークが地面に落ちる音がした。


「すみません、フォークを落としました……さくら、新しい物持ってきてくれる?」


 珍しく聖が指名してきたので、さくらは驚いた。

 彼は普段みんなの前で誰かを指名するようなことはしない。


 しかし、さくらは嬉しかった。

 どんなきっかけであれ、聖の側でお役に立てる。それがさくらの至福しふくのときなのだ。


 フォークを持っていくと、聖の受け取る手がさくらに触れた。

 さくらはビクッと反応してしまう。


「ありがとう、さくら」


 聖は極上ごくじょうの微笑みをさくらのためだけに見せる。

 幸せで満たされ、さくらの顔はみるみる真っ赤に染まっていった。


 そんなさくらを誠一は意味深いみしんにじっと睨みつけていた。


 先ほどさくらが紅茶の缶を変えていたのを誠一は見逃していなかった。


 あいつ、さっきなぜ紅茶を変えた?

 俺の紅茶だ、飲んでみたがいつも通りの紅茶だった。ということは、先に入れていたものは違う紅茶だったということになる。

 しかし、よほど注意していなければ紅茶の葉が違っていることなんてわからないだろう。


 どうも、あいつには何かある気がする。

 まるでこれから起こることがわかっているかのような……。

 探ってみるか。


 誠一の視線にまったく気づかないさくらを尻目に、旭は誠一の視線の先にさくらの存在があることに気づいていた。


 その視線が好意的でないことが気になった旭は、誠一に注意を払い監視していた。

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