溺愛メイドは予知能力あり

桜 こころ

第1話 メイドって結構大変


 その日は雪が降っていた。


 雪はしんしんと降り続き、少女の小さな体に降り積もる。

 少女は冷たい手を暖めたくて、はあっと息を吐いた。


 全身氷のように冷たくてもう動く気にもなれず、少女はその場にしゃがみ込んだ。


 なんだか眠くなってきて、そのまま寝てしまおうかとゆっくりとまぶたを閉じていく。


「大丈夫?」


 ふと声がする。とても穏やかで優しい声。

 そっとまぶたを開くと、少年がこちらを見ていた。


「こんなとこで寝ちゃ駄目だよ、お家はどこ?」


 少年のんだ瞳とその可愛らしい容姿から、天使が舞い降りてきたのかと思ってしまった。


「私に家はないの、帰るところなんてない」


 少女の瞳はうつろだった。

 生気せいきはなく、すべてを諦めてしまったかのような瞳をしている。


 少年は少女に優しく微笑みかける。


「だったら、僕の家においで」

「え?」


 突然の提案に少女は驚いて瞳を大きく開くと少年を見つめた。


「僕の家、広いから。君一人くらい来ても大丈夫。ね、いいでしょ?」


 少年は少女にそっと手を差し出した。


 その眼差し、声、仕草しぐさ、すべてが温かく優しかった。


 少女は生まれてはじめて、すがりたいと思った。

 孤独に一人で闘い続け、疲れ切った少女の心に、その瞬間温かい何かが芽生めばえた。


 少女がたどたどしく手を取ると、少年はその手を優しく握り返した。



°˖✧✧˖°°˖✧✧˖°°˖✧✧˖°°˖✧✧˖°°˖✧✧˖°



 月日は流れ……。



 あの日の少女、さくらはメイドとして忙しい日々を送っていた。


 せわしなくメイドたちが行き交う中、さくらに次々と指令が飛んでくる。


「それ、取って」

「はい」

「次、これね」

「はい」

「それが終わったら、こっち手伝って」


 次々、先輩メイドたちから与えられる命令を従順にこなしていく。


 ここは、黒崎くろさき家の厨房。

 さくらは黒崎家のメイドとして働いていた。


 さくらを拾ったあの少年は、有名な財閥家ざいばつけの息子だった。

 黒崎家は資産家で有名な財閥一族だ。あらゆる経済に精通せいつうしており、いくつもの産業は彼らの業績ぎょうせきなしには回らない。多くの企業や会社が黒崎家と繋がりをもっている。

 長い歴史を持つ由緒ゆいしょある一族だ。


 さくらはそんなすごい一族の屋敷でメイドとして働かせてもらっていた。


 今は朝食の準備にメイドたちがり出され、さくらもそれに従事じゅうじしていた。

 普段から調理は料理長やコックたちが担当し、準備や後片付け、盛り付けや配膳はいぜんなどはすべてメイドが担当していた。

 朝食、昼食、夕食の前は大忙しだ。

 他のメイドたちも料理長の指示に従い、迅速じんそくに自分の仕事をこなしていく。


「さくら、邪魔よ」

「すみません」

「ほんと、あんたはとろいんだから」


 メイド長からまたおしかりを受けるさくら。

 その様子を見ていた他のメイドたちがクスクスと笑っている。


 さくらはメイドの中でもあまり出来のいい方ではなく、いつも怒られることが多かった。

 そんなに器用でなく、どこかひかえめなさくらは上手く立ち振る舞えない。真面目にコツコツこなしていくしかない。

 そんなさくらを馬鹿にしたり見下す者も多く、厳しい環境の中、頑張っていた。


 どんなに苦しくても、くじけずに頑張っていられる理由、それは……。


「さくら、おはよう、今日も大変そうだね」


 厨房を覗いたのは、黒崎家の次男のひじり。さくらを拾ったあの少年だった。

 爽やかな笑顔をさくらに向ける。

 聖が顔を出した途端、メイドたちが色めき立った。


「聖様だわっ」

「いつも素敵―っ」

「見てるだけで癒されるわ」


 彼はメイドたちからすこぶる人気が高かった。


 決してえらぶることなく、誰でも分けへだてなく接してくれる優しい人柄。

 可愛らしい顔立ちをしたさわやかな笑顔。モデル並みの長い手足に相応ふさわしいスタイルの持ち主。

 どこかはかなげな印象も彼の魅力らしく、女性たちの人気を上げる要因だった。

 そして、黒崎家の次男……。


 人柄、容姿、家柄、すべてそろったパーフェクトボーイ。それは女性たちも放っておかないのも頷ける。


 しかし、それらはさくらにとってどうでもいいことだった。

 ただ、聖に救われた。それだけが真実。


 聖がどんな身分だって、どんな容姿だって構わなかった。

 さくらにとって聖は世界で一番大切な存在で、彼がいない世界などなんの意味ももたない。


「聖様、おはようございます。もうすぐ朝食のご用意ができますので、食堂でお待ちください」


 さくらはいつも通り、メイドとして聖に接する。


 聖は少し寂しそうな表情をしたあと、複雑そうに微笑んだ。


「うん、ありがとう。それじゃあ、あとで」


 本当はさくらともっと話したいのだが、他のメイドたちの手前、聖は引くことにした。

 さくらは今仕事中だ、邪魔をしてはいけない。

 後ろ髪を引かれる思いで聖は厨房をあとにする。


 聖が姿を消すとメイドたちが一斉いっせいにさくらを睨み、みんなでひそひそと内緒話をはじめる。


 聖が特別扱いしているのが気に食わないらしく、さくらはメイドたちから酷いいじめを受けていた。


 悪口、陰口、嫌がらせ、仲間外れ。

 どれも、最初は辛かった。しかし、さくらは耐えられた。

 聖の傍にいられるだけで幸せだったから、あとのことは大抵我慢できた。


「はいはい、もうすぐお食事の時間ですよ」


 執事のあさひが手を叩いてメイドたちをかす。


 さくらに目くじら立てていたメイドたちがそそくさと仕事へ戻っていく。


 ふと、さくらが旭の方へ目を向けると目が合った。

 旭が優しく微笑んだので、驚いたさくらはすぐに視線を外し仕事へと戻る。


 なんだかあの目で見つめられるとすべてを見透かされているようで、なんだか恥ずかしくて、居心地が悪い。


 彼は黒崎家の執事で、さくらがここへ来る前からこの家につかえていた。


 黒崎家のことを全て把握しており、彼よりこの家のことを知っている人物はいないだろうと思われる。

 彼の仕事はいつも完璧だった。

 家のこと、仕事のこと、趣味嗜好しゅみしこうなど、黒崎家のデータはすべて彼の頭に入っている。


 旭は黒崎家の完璧な執事だった。


 そして、彼もまたメイドたちから人気があった。


 執事としての仕事は完璧、周囲のサポートもそつなくこなす。メイドたちのへの配慮はいりょもかかさない。

 さらには彼もまた一般でいう魅力的な男性の部類に入る風貌ふうぼうをしていた。

 そんな彼に好意をもつメイドが多いのも必然。


 彼はなぜかさくらが困っていると現れ、いつも助けてくれる……ような気がした。


 きっとドジばかりのさくらが、旭は気になって心配になるのだろう。

 彼はさくらと違い、すべてをそつなくこなす完璧な人だから。


 しかし、そのせいでまたメイドたちからの圧力が増えていることをさくらは実感しており、ほとほと困り果てているのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る