第17話 彼らの密かな恋心


 ある日の青天せいてんの午後。


 太陽の光が燦燦さんさんと照りつける中、さわやかな風が洗濯物を揺らす。


「さくら、ちょっといいか?」


 呼び止められたさくらは、洗濯物を干す手を止め、振り向く。


 ゆっくりと近づいてきた誠一がさくらの横にそっと並ぶ。

 何事かとさくらは大きな瞳で誠一を見つめた。


「いろいろありがとう。父上のこと、聖のこと、あと……俺のことも」


 さくらは不思議そうな顔をする。


 智彦と聖のことはわかるとして、誠一に何かした覚えはない。

 さくらが目をしばたたかせて誠一を見つめる。


 誠一はそんなさくらの顔を見て吹き出した。


「ははっ、そうだよな、なんのことかわからないよな。

 ……それでいい。おまえはそのままで、いい」


 聖が優しい目でさくらを見つめる。

 なんだか最近の誠一は前に比べてすごく穏やかな雰囲気をまとうようになっていた。


「家のことは気にするな、おまえたちが結婚したって、俺がいい嫁を見つけてこの家を支えていくから。おまえらは自由にラブラブしてろっ」


 誠一が嫌味いやみっぽく笑うと、さくらは顔を赤くする。


「な、何を……」


 でもそれは誠一なりの優しさだとわかっていたので、さくらは素直にお礼を言った。


「ありがとうございます、お兄様」


 冗談で言ったつもりだったが、誠一は真顔で黙ってしまった。

 怒らせてしまったのかとさくらが焦る。


「す、すみません、調子に乗りました。最近の誠一様はお優しくなられたので、冗談も通じるかと」


 さくらが慌てている横で、誠一の頬がほんのりと赤く染まっていたことは誰も知らない。





 屋敷にはいつもの日常の風景が戻っていた。


 厨房で忙しく料理するコック、朝食の準備に走り回るメイドたち。

 その中にさくらの姿もあった。


 聖との婚約のことがメイドたちにもばれているようで、前にも増してさくらへのいじめや陰口が増しているように感じられた。


「いったいどんな手を使ったんだか」

「使用人の分際ぶんざいで信じられない」


 ひそひそとメイドたちが交わす声が聞こえてくる。

 さくらは慣れっこなので黙々と仕事をこなしていく。その態度がまた彼女たちに火をつけてしまうのだった。


 さくらが通る瞬間、誰かが足を出した。

 その足に引っかかって、さくらは転びそうになる。


 そのとき、さくらは誰かに抱きとめられた。


「大丈夫ですか?」


 旭が爽やかな微笑みをさくらに向ける。


「あ……はい、ありがとうございます」

「気を付けてくださいね、この辺りは危険ですから」


 旭は足を出したメイドを睨んだ。

 睨まれたメイドは視線を逸らし、何事もなかったかのようにそそくさとその場をあとにする。


「あ、あの、もう大丈夫ですから」


 いつまでも抱きとめたままの体制だったことに、旭は驚いてさくらを手離した。


 旭自身、無意識にさくらをずっと抱きしめていた。

 そのことに戸惑いを感じ、動揺する。


「すみません、聖様に怒られてしまいますね、あなたに触れるなんて」

「そんな……助けていただいて助かりました。旭さんにはいつも助けられてばかりで……、感謝してもしきれません。

 私が聖様とこうなれたのも旭さんのおかげです、感謝しています。

 ……私、旭さんのこと大好きです」


 さくらが可愛らしい笑顔を旭に向けた。

 そのとき、厨房の方から声がする。


「おい、さくら、何してる! これ持って行け」

「すみません、仕事に戻ります」


 旭に一礼するとさくらは急いで厨房へと向かう。


 残された旭はしばらくそこに立ったまま、顔を手でおおった。


「そうか、私は。……ははっ、気づいたところで」


 旭は自分の手に残っているさくらの温もりを感じながら、自虐的じぎゃくてきに微笑み、小さくつぶやいた。


「どうか、幸せに……」


 気持ちを切り替えるように頭を振る。

 旭はどこか寂しげに微笑むと、仕事へと戻っていった。






 休日の午後のティータイム、さくらが聖のために紅茶を入れる。


 その様子を聖が嬉しそうに眺めていた。

 ずっと見られているとどうも落ち着かないさくらが聖を注意する。


「聖様、そんなにいつも見られていては、仕事がやりにくいです」


 そう注意するも聖は全然言うことを聞いてくれない。常にさくらから目を離さない。


「だって、さくら可愛いから。

 それに、見張ってないと誰かに盗られるかもしれないだろ」


 ちょっとねたように言う聖に、さくらは眉を寄せた。


「誰が私を盗るっていうんですか?

 私を好きって言ってくれるのは聖様だけですよ。

 それに、私は誰のものにもなりません、聖様だけのものですから」


 さくらはわかっていないのだ、自分がどれほど魅力的か。


 そして、聖のライバルが近くに二人もいることを、さくらはちっとも気づいていないようだった。


「さくらは鈍いからなあ」

「私のどこが鈍いのですか?」


 少し頬をふくらませて怒るさくらに、聖は笑った。


「そういうとこが」


 聖は急にさくらを引き寄せ、自分のひざの上に座らせる。


「ひ、聖様っ」


 さくらが顔を赤らめ、聖の腕の中でもがく。


「僕だけのさくら」


 耳元でささやかれて、さくらがビクッと反応する。


「さくら、耳感じるの?」


 聖が面白そうに問いかけると、さくらが真っ赤になる。


「そ、そういうこと言わないでください!」

「なんで? これからそういうことが大切なんだよ」


 聖が楽しそうに笑っている。


 そのとき、急にさくらの脳裏に映像が浮かんだ。


 誰かの結婚式、タキシードを着た男性とウエディングドレス姿の女性。

 たくさんの人たちに囲まれ祝福されている。

 顔を確認しようとするがよく見えなかった。


 そこで映像は終わってしまった。


 もしかして、あれって……。


 さくらは勝手に素敵な想像をしてしまい、顔がニヤついてしまった。


「どうしたの?」


 様子がおかしいさくらに聖が問いかける。


「別に……」


 このことは、未来のお楽しみということで秘密にしておこう。

 さくらは一人で納得し、頷く。


 聖はいぶかしげにさくらを見てつぶやいた。


「そういえばさくら、最近あまり未来見なくなったね」


 そう言われれば、前よりだんだん未来が見える回数が減ってきている。もしかして、この能力が消える日が来るのかもしれない、とあわい期待を抱いていた。


 この能力は小さい頃、不遇ふぐうの時代を乗り越えるために生み出されたものだとさくらは認識していた。

 もう必要がなくなったから、この能力は消えていこうとしているのかもしれない。


「きっと、この能力はもう必要ないんです。

 未来に何が起ころうと、二人でお互い支え合い助け合いながら生きていく。

 ……だから未来を予知する能力なんか必要ない」


 さくらが聖を見つめると、聖は微笑み頷いた。


「ああ、そうだね。お互い協力し、支え合いながら生きていこう。

 さくらのことは僕が絶対守る。

 ……それに、さくらがたとえ能力があろうと無かろうと僕はどっちだっていいんだ。僕のさくらへの想いは変わらない」


 聖がさくらを抱き寄せた。


「さくら、愛してる」

「聖様……私も、愛しています」


 二人は見つめ合い、そっと口づけを交わした。

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