第13話 間違った判断

 その日は夜も遅く「明日さくらに伝えなさい」と智彦に説得された聖は、素直に次の日を待つことにした。


 朝が来て、さくらの喜ぶ顔を想像しながら聖は彼女を探した。


 メイドの朝は早い、もう起きて仕事に取り掛かっている頃だろう。

 今の時間は厨房にいるかもしれない、そう思った聖は厨房へと急いだ。



 厨房では、朝食の支度をするコックやメイドたちが忙しそうに走り回っている。


 声をかけづらい雰囲気に、どうしたものかと考えあぐねいていると、


「聖様、どうされましたか?」


 旭が声をかけてきた。


「旭、さくらは何処だ?」

「はい、私も探しているのですが、見つからなくて。部屋にもいませんし、いつもならもうここへ来ているはずですが」


 旭の心配そうな表情を見ながら、聖はなんだか妙な胸騒ぎを感じた。


 まさか、そんなわけないと思いながらも、聖の足はある場所へと駆け出した。



 隣の部屋ではメイドたちが忙しなく、朝食の準備を整えている。

 その音を聞きながら、智彦はいつものようにソファにゆったりと腰かけ、新聞に目を通していた。


「父上!」


 聖が血相けっそうを変えやって来ると、そのことをわかっていたかのように智彦はいつも通り対応した。


「何か用か?」


 智彦は聖を見ようとしない。

 聖はさらに嫌な予感が膨らんでいくのを感じ、ゴクリと唾を飲み込んだ。


「……さくらは、さくらは何処ですか?」


 智彦が新聞をたたんんで、机に置く。


 ゆっくりと聖に向き直ると口を開いた。


「この屋敷に、さくらはもういない」


 聖には、その言葉の意味がわからなかった。


「どういうことです!」


 聖が叫ぶと、智彦は冷酷れいこくな目と声で告げる。


「さくらはこの屋敷から出て行った」


 その瞬間、聖はすごい速さで智彦の側まで近づいていく。

 そして智彦の胸ぐらを掴み、立たせる。


 聖の瞳は怒りに満ちていた。


「さくらに何をした? なんで! 昨日許してくれたんじゃなかったんですか!」


 聖が智彦をめ上げると、智彦は苦しげに少しき込む。


「聖様!」


 急いで駆け込んできた旭が、聖を智彦から引きがす。


「落ち着いてください!」

「落ち着いていられるか! 父上はさくらを追い出したんだぞ!

 許さないっ、僕は絶対あなたを許さない!!」


 憎しみのこもった目を智彦へ向けた聖は、そのまま飛び出していってしまう。


「……旦那様、本当なのですか? さくらを追い出したというのは」


 智彦は乱れた衣服を整え、旭から目をらし答えた。


「ああ……これも黒崎家と、聖のためだ」


 智彦の声には、複雑な感情がふくんでいるように旭には思えた。


 哀愁あいしゅうただよう背中に向かって、旭は静かに語りかける。


「差し出がましいようで大変恐縮ですが……進言しんげんいたします。

 旦那様は、本当に大切なものを見落としていらっしゃるのではないでしょうか。取返しのつかないことになる前に、考え直してください」


 旭は一礼すると、聖のあとを追って出て行った。



 一人残された智彦は、不覚項垂うなだれる。


「私が間違っているのか……」


 その声は虚しく、静かな部屋の中で反響していた。





 聖はあれから懸命にさくらを探したが、その姿を見つけることはできなかった。


 来る日も来る日も、聖はさくらを探す。

 しかし、その努力もむなしく、彼女を発見することはできなかった。


 日に日に憔悴しょうすいしていく聖の姿に、皆が心を痛めていた。


 だんだん食も細くなり、外出もしなくなっていく。


 智彦と誠一のことを避け、聖は一人部屋に閉じこもることが多くなっていった。



 梨華もそんな聖をはげまそうと、毎日屋敷へとおもむいていたが、ただ隣にいるだけで話しかけても何の反応もない。


 そんな聖の態度に、だんだん梨華も疲れ、屋敷への足が遠のいていった。

 次第に梨華は、屋敷へ訪れることはなくなった。



 そんな聖の姿を見て、智彦は悩み苦しんでいた。


 自分の判断は間違っていたのか、そんな思いが頭を巡る。

 智彦は、黒崎家の当主として、聖の父親として、最善の判断をしたと自負じふしていた。

 しかし、今の聖の姿を見ていると、自分の判断に自信が持てなくなってきていた。



 誠一は、そんな智彦を複雑な心境で見つめていた。


 あなたはいつも、聖のことで頭がいっぱいなのですね。私の入る隙間なんかない。

 そう感じながらも、誠一は智彦のことがどうしても放っておけなかった。


「父上、後悔なさっているのですか?」


 誠一の問いに、深いため息をつきながら弱々しく首を振る智彦。


「誠一、私はわからないのだ。何があの子の幸せなのか……。

 人を想うのは、苦しいな」


 肩を落とした智彦を、優しい眼差しで見つめる誠一。


「そうですね……。

 しかし、苦しんでいるということは、もうすぐ答えが見つかるのかもしれません。

 何かが生まれる前というのは、苦しいものです」


 誠一の言葉に、智彦は久しぶりに笑顔を見せた。


「おまえ、いいこと言うな」

「いえいえ、まだまだですよ」


 そう言うと、誠一は嬉しそうにはにかんで見せた。

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