第11話 一騎当千の化け物
馬車の外から聞こえてきた音は、海で溺れた人が、喘鳴混じりに海水を吐き出すのに似ている気がした。次いで、何かが、誰かが倒れたような気がした。
そう思った時には、ララの両手がリオニーの両耳を塞いでいた。
「何も聴かないで。わたくしを、見ていて」
青褪めた顔で、それでも微笑んだララと正面から向き合った。
でも、それじゃあララの耳は誰が塞ぐのだろう。
そう思いながらも、リオニーは、ララの手を握る。
ミュラー団長は、一人で大丈夫なのだろうか。
死んでしまったりしないだろうか。殺されたら、どうしよう。
良く状況を呑み込めていないながらも、馬車の外にいる人たちが要求しているのがリオニーの命であることは理解できる。
リオニーさえ命を惜しまなければ、もしかしてミュラー団長は闘わなくても済むのかもしれない。ララも、みんな無事にいられるのかも。
誰も死んだりしないかもしれない。
惨たらしく殺されたりしないで済むかもしれない。
リオニーさえ、自分を惜しまなければ。
「リオニーさん、大丈夫です。そんな顔をしないでください。多勢に無勢と思われるでしょうが、普通に戦えば、まず団長が負けることはありませんよ。我が国の騎士団、団長という肩書は伊達ではありません。一騎当千は、あながち誇張とも言い難い、アルノ・ミュラーは本当の化け物です」
リオニーの表情から何を読み取ったのか、クラウゼ副団長がリオニーに向かって微笑んだ。
「でも……っ」
「何を考えているのかわかるような気がしています。リオニー、いけません。絶対にそんなことにはなりません。行かせませんよ。あなた一人を犠牲にすることは絶対にありえません。もし誰かが外に出なければならないなら、それはわたくしの役目です」
「……いや、それはそれでちょっと……」
ララの言葉に、クラウゼ副団長が困ったように呟いた。
「お二人のその決意は得難いものですが、団長を信じてください。我々騎士は、背中に守るものがあるからこそ、強く在ることができる。団長は、今ままでのどんな時よりも、今がきっと一番強い。リオニーさん、あなたがここにいるから」
そんなこと言われても。
不安過ぎて、心臓が痛い。外は、どうなっているんだろう。
でも、クラウゼ副団長とララの落ち着いた様子から、そう酷い事態にはなっていないという気がした。
怖がるリオニーの耳を、ララが塞いでくれている。その優しさが、ありがたいような、もどかしいような、複雑な思いがする。
リオニーがまとまらない思考で自分でもよくわからない何かを吐き出そうとしたとき、世界がたわむように大きく揺れた。
「あ」
ものすごい衝撃に、わけもわからず身を固くする。
何が起こっているのか、わけがわからない。
恐る恐る目を開けると、リオニーはララに抱き抱えられていて、そのララは、クラウゼ副団長に抱きかかえられていた。
リオニーがそれ以上のことを理解するより素早く、一見無傷に見えるクラウゼ副団長が、舌打ちをして天井を蹴り破る。いや、蹴り破ったのは本来馬車の側面に付いていた扉だ。どうやら馬車は横倒しになってしまったらしい。
「あ、まずい。――団長!」
外の様子を伺ったクラウゼ副団長が慌てた様子で外に飛び出した。
「――やめろ、それ以上やるなら、馬車ごと焼いてやる……!」
隠し切れない恐怖が滲む、震える声が聞こえてきた。これは、知らない声。
「そんなことができるなら、とっくにやっているでしょう?」
それに応える平静な声は、ミュラー団長のもの。
「団長! こちらは無事です!」
クラウゼ副団長の焦ったような声が聞こえてくる。
ひいっ、という悲鳴のような声が上がった。
「……化け物め……っ」
「てっきり、そう認識した上でかかってきたのかと思っていました。それにしてはあまりにもお粗末な戦力ですが。まあ、あなたが魔法士だったのは想定外です。首魁であろうと思えばこそ、残してたんですが。真っ先に両断しておくべきだったようです」
「くるな」
「お仲間があの世で待っていますよ。あとはあなた一人です」
「くるな……っ」
「別に近付かずとも、この位置から殺せますけど?」
「……っ」
「団長、団長落ち着いてください。全員殺すのはまずい。最低でも一人は生かしたまま捕らえなければ」
「――馬車を狙ったのは、少々いただけませんでしたね。無事であれば良い、というものではないのですよ。トラウマというものを知ってますか? 一度植え付けられた恐怖心は、そうそう消し去ることができません。腹立たしい。驕っていた自分にも、腹が立つ。許しがたい失態だ。……お前を、切り刻んでやりたい」
「団長! アルノ・ミュラー!」
絞り出すようなミュラー団長の声が聞こえる。
クラウゼ副団長の太い声が叫び、永遠のような沈黙があった。
「――私が、職務に忠実であることを感謝してください。そうでなければ、手足の先から削るように切り落としてのたうち回るあなたの皮膚を剥いで殺してくれと懇願させてやるのに」
アルノ・ミュラーのそんな声と共に、遠くから複数の蹄の音が聴こえてきた。
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