第2話 薔薇の芳香と戦場の狂気

 昨日から、リオニーの王宮での呼び名は『花摘み女』になった。


 なんであの時、咄嗟に出てきたのがトイレだったのか。今さら何をどう言ってもどうしようもないけど、とても悔やまれる。


「だって、咄嗟に何も思い浮かばなかったんだもん」


 王宮の裏庭に当たるここは、緑が濃く生い茂っており、あまり人が寄り付かない場所である。

 人目を避けてのんびり過ごすのにちょうど良い。


 芝生に座り込んで膝を抱えたリオニーは、そこに顔を埋めた。泣いてはいないが、泣きたい気持ちも多少ある。

 そんなリオニーの丸めた背を、温かい手が撫でてくれた。


「元気を出してください」


 現金なもので、優しい声でそう言われたら、少し元気が出たような気がする。


 実際のところ、リオニーには陰口を叩かれたところで気にするような細やかな神経は持ち合わせていない。

 それでも、公衆の面前で、多くの人が耳をそばだてている中で、絞り出すことができた言葉が排泄にまつわるものだとなれば、年頃の女子として、多少の思うところぐらいはあるものだ。


 そもそも、なんであんな公衆の面前で、辱めのように交際の申し込みなんぞをしてくるのか。

 虐めだろうか。思い出すと腹立たしいような気すらしてきた。


「それで、結局ミュラー団長には、なんとお返事をしたのですか?」


 顔を上げると、心配そうでありながらも興味津々といった様子のララの顔があった。可愛らしく小首を傾げている姿は、同性と言えども庇護欲を掻き立てられる可憐さがある。

 小綺麗なドレスは地味ではあるが品が良くて、可愛らしいララに良く似合っている。


 この年下の友人、ララぐらい可愛らしかったら、あるいは何かが変わっただろうか。


 などと思いかけて、即思い直した。

 いや、そういうことではない。リオニーの問題ではない。


 問題は、アルノ・ミュラーがあの雰囲気で、優し気に微笑んでいながらも、少しも目が笑っていないことにある。


 あんな眼光で愛なんぞ囁かれたところで、素直に「はい、そーですか」なんて、とてもじゃないけど言えない。

 なんで皆は平気なのだろう。距離感だろうか。距離感だろうな。

 リオニーも、近付くことなく遠くで「わー、美人」とか無責任に言っていたかった。


 そもそも、なんでリオニーなのだろう。


 特筆すべき容姿でもなく、ろくに関わったこともないのに、いきなり「一目惚れです」などと言われたのは確か約半年前だ。

 田舎娘には理解できない、中央ジョークだと思って適当に聞き流していた


 奴の目的がわからないし、気味が悪い。


「なにも」

「なにも……?」

「だって、逃げてきちゃったし」

「……でも、お付き合いを申し込まれたのですよね……?」


 確かに、お付き合いを申し込まれたような気がする。


 もしかしなくても、返事が必要なのだろうか。


 でも、真意が見えない。っていうか、目が笑ってないし、眼光が鋭利過ぎて怖い。


 結局あのまま昨日は逃げおおせて、今朝は最低限の仕事をこなし、ずっと人気のないこの場所にいる。

 噂を聞いたララが、心配して来てくれなかったら、今日一日一人でこの場所に居続けたに違いない。


 だから、返事をしに行くような機会がなかった、というのも一応本当のことではある。

 あえてその機会を作ろうともしなかったけど。


 アルノ・ミュラーは、『騎士団の理性』などと渾名されているらしい。

 確かに一見すれば、物腰柔らかな優男風には見える。王宮の廊下でいきなり抜剣したとか、誰かに斬りかかったとか、気合いの入った雄叫びをあげた、といった類いの話は聞かない。彼が声を荒げるところに遭遇したこともないので、もしかしたら理性的なのかもしれない。もしかしたら。


 曲者揃いの騎士団で比較的マシな方、程度の評なのではと思ってしまうけど。


 だが、あんな触れれば切れそうなものを、果たして理性的などと呼んで良いものだろうか。リオニーのイメージでしかないけど。


「わたくしには、とても素敵な方のように思えますけど……」

「じゃあ、ララが付き合えばいいじゃない」

「またそんなことを言って。それに、わたくしにはもう旦那様がいるんですからね」


 じっとりとした目で呟いたリオニーに、ララは腰に手を当てて唇を尖らせた。怒ってるんだと見せてくる、そんな仕草すらとても可愛らしい。


 リオニーより四歳年下の十五歳。その容姿にも仕草にも、どこかあどけなさを残しているが、ララは既婚者である。

 詳しいことは知らないが、どうやら家のための結婚で、約一年前に夫となった人とは、結婚式の日に初めて会ったのだと言う。

 それでも、そのろくに知りもしない旦那に一生懸命尽くそうとしている、健気で可愛らしい奥さんである。

 そんな彼女だが、その結婚相手との生活は巡分満帆とは言い難いらしく、時折リオニー相手にぽつぽつと不安を口にする。


 聞くにララのお相手は、あまり家庭を顧みず、折角こんなに若くて可愛らしい奥さんをお嫁さんにもらっておきながら、ろくに構いもせずに不安にさせるクソ野郎らしい。


 理性がブチギれている(想像)美術品のような男となら、どちらがマシだろうか。


「リオニーは、ミュラー団長がお嫌い?」


 嫌な、聞き方だと思った。

 好きではないかと問われたら、好きではないと答えらえる。


 でも、嫌いなのかと問われると、それはそれで答えに窮してしまう。

 別に悪く思っているわけじゃない。


 リオニーは、再び膝の間に顔を埋めた。

 ドレスには、薔薇の芳香が染みついてしまっている。


 その辺に捨てるわけにもいかなくて、しぶしぶ部屋に持ち帰った花束は、たいして広くはない部屋を圧迫し、その芳香で部屋の空気をも埋め尽くした。


 あんなに大きな花束を挿しておくほどの花瓶もなくて、挿せるだけ挿してもまだ半分以上残っていた。小分けにして部屋に吊るしてドライフラワーに。幾らかは、もったいないと思いつつも、花びらを千切ってポプリにしようと、今も部屋の床を埋め尽くすように並べられている。


 リオニーの全身から、薔薇の匂いがしている気がする。


「……答えたくない」

「わたくしは、ミュラー団長は良い方だと思いますよ」

「それは、ララに見る目がないんだと思う」

「まあ」


 だって、あの人は騎士なのだ。


 一般的に騎士といえば、義と礼節を重んじる世の人々の憧れ、なのだろう。

 確かに彼らは、その装いも煌びやかで華がある。堂々たる出で立ちに胸を高鳴らせるのは、なにも年頃の女子だけではないはずだ。


 その上、彼らは五十年にわたる隣国との戦争において、この国を守り切った英雄でもある。


 でも、リオニーはどうしても、そう好意的に捉えることができない。

 自ら望んでかどうかは知らないが、少なくとも彼らはその脚で戦場という死地へと向かう。


 とても正気とは、思えない。

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