下っ端侍女と騎士団長様のハートフル徒然日録

ヨシコ

第1話 溺愛っていうか

 目の前に差し出されたのは、薔薇の花束だ。

 たいして花に興味のないリオニーには、それが大輪の薔薇の集合体であることぐらいしかわからない。一輪一輪しっとりつやつやと輝く薔薇の、ひと抱えもあるブーケがリオニーの鼻先にある。


 眩暈のようなこの感覚は、薔薇が放つむせ返るような甘い芳香のせいか、それともこの状況のせいだろうか。


「リオニー・フォン・フォーゲル、あなたに恋をしています。私と、お付き合いしていただけないでしょうか」


 その美声を「天上の調べ」などと呼んでいたのは誰だったろうか。

 その天上の調べが、蕩けるような甘さを含んだテノールの声が、意味不明なことをのたまった。


 そんな馬鹿な、というのが真っ先に浮かんだ感想である。


 そんな馬鹿な発言に合わせ、周囲から「きゃあ」とか「わあ」とか声にならない悲鳴その他諸々が上がったような気がした。


 いや、気のせいではないだろう。

 なにせここは王宮の入口であるメインエントランスである。オーディエンスに不足はない。


 昼日中、城で働く人間に加え、王侯貴族が闊歩する時間帯。

 衆人環視の中、真っ赤なでっかい薔薇の花束だけでも目立つのに、それを掲げ持ち、跪いてそんなことを言えばどうしたって目立つ。

 どこを取っても、目立つ要素しかない。


 花束を差し出された相手役が、地味の粋を極めた地味な女でも。いや、むしろ気配を消して生きていきたいと切に願う地味女の、衆人における解像度を、勝手かつ無理やり引き上げてしまうほどの強引な目立ちっぷりだ。派手の極みだ。勘弁して欲しい。


 リオニーに高価そうな薔薇の花束を差し出し、そんな馬鹿な台詞を口にした主人公と思わしき人物は、人物単体で見ても煌びやかな派手さがある。


 ヴァイス公国の誉れある騎士団に所属する騎士の一人。

 五ある騎士団の一つを預かる、アルノ・ミュラー第二騎士団団長。


 王宮のお喋り好きな女たちによる甲高い声が、いちいち耳に届くせいで知ってしまった個人情報によると、御年二十九。リオニーとちょうど十歳差で覚えやすかったせいで、脳に情報としてこびりついている。


 ミュラー団長は、十歳の歳の差などまったく感じさせないどころか、同じ人間とは思えない容貌をしており、冗談まじりに傾国などとも称される、超絶人外美人である。


 薔薇の花も霞むほどの美しさだ。

 実に絵になる。黙ってリオニーから遠く離れた位置にでも立っていてくれれば、感嘆の息を吐くほどに芸術的で美しい。


 その背はすらりと高く、パッと見では、線の細い華奢な印象を受けるのに、印象に反し実は結構厚みがある。ギャップというやつがすごい。


 黒と白を基調とした騎士の団服に、肩に掛けるサッシュは、第二騎士団の所属を示す鮮やかなオレンジ色。腰には実践用の武骨な剣。そして、その出で立ちに何よりも華を添えているのは、団長位にあることを示す証、肩章と金の飾緒にマント。


 青みがかった薄い色の髪を肩から胸元に垂らしている。束ねた髪はさらりとして癖がない。まるで絹糸のようだ。

 長い髪と、顔にかかる前髪だが、軽薄な雰囲気はなく、美しく儚げで、幻のように脆く壊れそうな雰囲気を醸している。

 整った鼻梁に切れ長の瞳、そしてその唇も、全てが完璧に整った形で、完璧な配置がされている。


 貴族の屋敷か王宮にでも飾られていそうな、芸術的美しさを持つ人形のような美貌だと思う。

 頼むからその辺に飾られていて欲しい。動かず喋らずいて欲しい。


「――リオニー?」


 リオニーの願いも空しく、自由意思を持ったミュラー団長は、胸に手を当て跪く、という芝居がかった格好で首を傾げた。

 その辺の適当な人物がやれば噴飯ものであるだろうに、彼がやると老若男女の腰を砕いてすり潰しそうな、いっそ「ありがたい」とすら感じられる神々しさだ。


 薔薇の花束が僅かに距離を詰めてきた。


 その意図するところは「早く受け取れ」だろう。


 受け取って即座に床に叩きつけたい衝動に駆られるが、そんなことをすれば、次はリオニー自身が床に叩きつけられることになるだろう。

 アルノ・ミュラーを好ましく思う人間は老若男女唸るほど存在している。


 どこぞの馬の骨以下の下級侍女風情が、アルノ・ミュラーの思いを無下になぞしようものなら、どんな目に合うことか。恐ろしくて震える。


 しかし、無下にしても危険だが、受け入れることもまた、危険を伴う恐れがある。いや、確実に危険だ。


 だって、神と人は付き合えない。


 それくらいのことは理解していて欲しいものである。


 罵声や陰口を浴びる程度で済めば良い。だがしかし、女の嫉妬は陰湿で残虐なのだ。

 ましてや性別を超越し、女神のごとく崇められていそうなアルノ・ミュラーが相手なのだから、しゅに近付く不届き者として、女に限らず見ず知らずの誰かに成敗される恐れがある。


 現時点でもう、針のような視線が痛い。身体が穴だらけになっている気がする。体中の至る所から血が吹き出るのは時間の問題だ。


 そろそろ全方位から向けられる視線が痛過ぎるので、とりあえず花束を受け取ってみた。

 腕がもげそうなほど、ずっしりと重い。

 ミュラー団長は片手で軽々と持っていたのに。馬鹿力め。


「あの、ありがとうございます」


 口元が引き攣ったが、なんとか笑えた気がする。


「どういたしまして」


 優美な微笑ながら、「で?」という無言の圧を感じる。

 お付き合いしていただけないでしょうか、の返答を寄こせ、ということだろう。


 いつの間にか周囲が静まり返っている。

 固唾を飲む人々が待っているのは、他でもない、リオニーの返答だ。


 特筆するような美人でもなく、特殊能力があるでもなく、地位も財産もない辛うじて貴族で王宮勤めの侍女……「っていうか、あれ誰?」などと今まさに囁かれているリオニー・フォン・フォーゲルが、誰もが知る有名人で第二騎士団団長、傾国のアルノ・ミュラーからの交際の申し出に対し、どのような返答をするのかを。王宮のメインエントランスに居合わせた、全ての人間が待っている。


 断れば死。受け入れても死。


 いっそ消えてなくなりたいと念じるも、リオニーの身体は確かな質量を保持したまま、この辛い現実の中に実在し続けている。


 じり……と踵を引く。


 ミュラー団長の目がほんの僅かに眇められた。その艶やかな微笑は維持したままで。


 跪いている分、通常ならあり得ない角度からミュラー団長を見下ろしている。

 切れ長の目を縁取る睫毛は冗談みたいに長く、白皙の頬に影を落としている。


 その睫毛が持ち上がる。


「ひっ……」


 思わず悲鳴未満の声が漏れてしまった。

 もう一歩、後退する。


「……と」


 泡沫のように繊細かつ柔和な雰囲気をぶち壊す、斬りつけるように鋭く冴え渡る眼光が、リオニーに向けられた。


 抱えた花のいくつかが、腕の中で潰れる音がした。


「と……といれ……っ、トイレ行きたいので……っ、ごめんなさいいい!」


 リオニーは、花束を抱えたまま走って逃げた。

 そうするしか、なかった。


 アルノ・ミュラーという男が、リオニーはとても恐ろしい。


 あいつ、目ぇ笑ってねえんだよ、と重い花束を抱えて走りながら、リオニーは思った。

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