第3話 理性たちは死滅

 リオニー・フォン・フォーゲルは、一応王宮に仕える侍女である。

 元々は戦争の締結に伴い、元敵国である隣国に嫁いで行ったユリア公女、現公王陛下の姉君をあるじとしていた。


 田舎貴族の娘であるリオニーが、こうして中央で公家の侍女なんてものをしているのには、理由がある。

 ユリア公女が、戦争で被災した家の子女を受け入れ、面倒を見るという慈善事業を行っていたためだ。


 侍女とはそもそも、行儀見習い名目で宮廷に出入りし、貴族の子弟と出会うことを目的とする立場であるらしい。

 気持ち多めの給金を与え、王宮に身を置くことで、淑女らしく強かに自ら未来を切り開け、と。武闘派で鳴らした実にユリア公女らしい考え方だ。


 そうして集められていた多くの侍女たちは、たいした持参金がなくても良いと言ってくれる貴族の未婚男子を見繕って、ほとんどが無事に嫁いで行った。


 男女問わず最低限の交流を持たないリオニーは、侍女になって三年経った今でも独り身で、まだ王宮にいる。さすがに三年も経てば、ある程度顔見知りは増えてくる。

 それでも、それ以上踏み込むことはしない。


 そうこうしている間に、ユリア公女は隣国へ嫁ぎ、隣国から嫁いできたアドラ公妃に、侍女の主人が移行した。

 給金などはそのまま引き継がれ、リオニーは引き続き、王宮の片隅でのんびり過ごしている。


 主がユリア公女だった頃から、リオニーの侍女としての立場は、ある意味肩書きだけのものである。

 本来は貴人に侍る立場だが、特に名高い家の出でもなく、有力なコネもないリオニーにそういった役目が回ってくることはない。

 あくまで名目上の侍女だ。


 実際は、ユリア公女にもアドラ公妃にも、直接の面識も、言葉を交わしたこともない。向こうはリオニー個人を認識してもいないだろう。


 それでも、ごく稀に用事を言い付けられることがある。


 妃殿下から頼まれた、という名目にはなっているが、真偽を確かめる方法はない。

 ただリオニーは、言われた通り城下へ赴き、お使いを済ませてくるだけだ。


 お使いを……済ませてくる……だけ。


「……なんでだよ……」


 これから乗る馬車の前まで来たリオニーは、絶望的な気分で呟いた。


 一応妃殿下のお使いなので、馬車を用意してもらえたりする。ありがたいことである。

 リオニーとしては歩いても構わない程度の距離感だが、城門をくぐる際にいちいち衛兵の許可を得る必要もないので、楽ではある。使えるものはなんでも使うの精神で、ありがたく使わせていただこうと思う。


 ここ一年ぐらいは特に、馬車と一緒に、護衛が付くこともあったりする。


 戦後で未だ情勢は不安定だから、と言われればそうなのだろう。理解はできる。

 特に、一年ほど前、敵国から嫁いできたアドラ公妃をよく思わない者は多いと聞く。そんな公妃を主人に持つ侍女に、護衛が付くのもまあ、わからないことではない。


 万が一何事かが起こってしまえば、公家の面目にも関わるのだろう。リオニー程度では、面目に傷がついたところで、引っ掻き傷程度にしかならないだろうけど。


 護衛ということは一緒に付いてくる人がいる、ということである。煩わしいような気もするけど、だからといってリオニーが勝手に「不要です」と言えることでもない。


 勝手な判断はできない。


「護衛は不要です」


 勝手はできないと思いつつも、考えるより先に口から声が出ていた。リオニーは馬車の車内に向けてはっきりきっぱりと言い放った。


 車内で一人、物憂げに頬杖をついて同行者を待っていたらしいミュラー団長が、ちらりと馬車の外に立つリオニーを見る。


「妃殿下の侍女が城外に出る場合、必ず護衛を付けるように、との勅令です。異議があるようでしたら、陛下に直接掛け合ってください」


 そんなことできるわけねえだろ!?


「……っ……な、なんで、ミュラー団長が」


 チェンジ。チェンジで。


 下っ端でもなんでもいい。剣を持ったことのないヒヨッコ従士でも構わない。

 要人でもないリオニーのような下っ端の侍女を、騎士団長自ら護衛する必要など絶対にない。


 それとも、もしや騎士団というのは、暇なのだろうか。


「私しか空いてなかったんですよ」


 そんな馬鹿な!


 ……え、いや、そういうこともありえる……のだろうか……? 逆に? 逆にそういう感じ……?


「私では、不満ですか? もしや剣の腕を疑われているのでしょうか?」

「まさか、そんなことは……!」


 剣士としてのアルノ・ミュラーの強さは、中央にいれば誰でも一度くらいは耳にすることがあるだろう、というぐらい有名だ。

 護衛としては、おつりがくるほど、明らかに過剰だ。


「では問題ありませんね。さあ、乗ってください」


 車内から伸びてきた無駄に長い腕に、手首を掴まれた。

 抵抗する間もないまま、馬車の中に転がり込んだリオニーを、ミュラー団長の腕が抱き留めた。その美貌と繊細な印象に反し、がっしりと固い腕に心臓が飛び跳ねる。


「んな……!」


 抗議の間もなく、ミュラー団長が剣の柄で馬車の天井を叩き、鮮やかな手付きでリオニーを座らせ、自身もその正面に座る。と、同時に馬車が走り出した。


 何をする間どころか、口を挟む間すら無かった。


「気まずいですか?」


 そりゃあね!


「いえ……そんなことは……」


 心の中の威勢の良さとは裏腹に、リオニーは視線を落とした。

 狭い馬車の中では、無駄に長いミュラー団長の脚とリオニーの膝が触れてしまいそうだ。


 あの日、王宮のメインエントランスという公衆の面前で交際を申し込まれるという、謎の局面に当たって以降、ミュラー団長とこうして顔を合わせるのは初めてである。


「いつまでたってもお返事をいただけないので、もしや伝わらなかったのではないか、と危惧していましたが」


 妙に艶めかしい声が至近距離から飛んでくる。


「ひぁ」


 ミュラー団長の脚が、ドレスごしの膝に触れた。

 思わず漏れた声に、口を押える。頬が熱を持つ。


「十分伝わっているようで、良かったです。……リオニー。いけませんよ。そういう顔で男を見上げるものではありません。理性を、試されている気分になります」


 ミュラー団長が口元を抑え、喉の奥で笑う。

 性別を超越した現実味のない女神みたいな謎の生命体から、急に現実味のあるただの男に成り下がった気がする。リオニーは顔を青くした。

 

 何言ってんだよ。『騎士団の理性』だろ。理性がんばれよ!


 まだ馬車は、王宮の敷地内から出てもいないだろう。だが、リオニーは早くも帰りたくなった。

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