第4話 戦火に散った人たちがいた
ミュラー団長とリオニーを乗せた馬車が城下へと向かって走る。
一刻も早く到着して欲しい。心労が物凄い。心にめちゃくちゃ負担が掛かっているのを感じる。寿命が縮みそうだ。
膝先が触れ合いそうなほど近い位置に座るミュラー団長が、神々しい笑みを浮かべてリオニーを見ている。
現実味のある方が鳴りを潜めてくれたのはありがたいけど、これはこれで、身体中の水分が蒸発して砂になりそうで困る。
狭い馬車の中で発光するのも止めて欲しい。いや、発光はさすがに気のせいかもしれないけど。
「薔薇、喜んでもらえたでしょうか」
耳をくすぐるような美声がそんなことを言った。
「……あー……、ちょっと……量が、多かった……かな、と……」
おかげで部屋の中が香しい。花の匂いが充満している部屋なんて、優雅過ぎて落ち着けない。
「おや、それは申し訳ありませんでした。薔薇は多い方が喜ばれると聞いて、そのようにしたのですが」
誰だそんな適当こいたやつ。
「次はもう少し、量を減らしましょうか」
「いえ、そんな、お気遣いなく。もう十分です」
次とかねえよ。いらねえよ。
「私が差し上げたいのです。あなたに」
ふふ、と楽しそうに微笑むミュラー団長は、こうして近くで見てもやはり、とても美しいと思う。神様が特別丁寧に造ったんだろう、という感じがする。
リオニーは別に神様の存在なんて信じてないけど。
「……本当に、困るんです」
リオニーが絞り出した声に対する返答は、しばらく間があった。
その間が、ヒヤリとする緊張を伴った気がする。
「――困る、とは?」
「……あんなにたくさんの花とか、人前で揶揄うみたいなのも」
「揶揄う」
「だって……だって、そうでしょ。あなたみたいな人なら、より取り見取りじゃない。あなたと付き合いたい人なんていっぱいいるでしょ。なんでわたしなの。困るの、嫌なの。そんなキラキラした顔でいられたら目が潰れそうだし。わたしは静かに暮らしたいのに、あなたみたいな目立つ人に目を付けられたら、平穏じゃいられないじゃない」
「キラキラ」
思わず口から漏れたのは、声に出すつもりなんてなかった卑屈で身勝手なものだ。いや、どうだろう。身勝手なのは、リオニーの方なのだろうか。
よくわからない。よくわからない現実から、目を反らすように視線を落とす。
とにかく、漏れてしまったものはしょうがない。
そう、開き直ることにしてドレスの膝辺りを握りしめる。
馬車が揺れる度、ドレスごしにミュラー団長の脚が触れてしまうから、脚にぐっと力を入れた。
そうだ。良い機会だ。
どうせちょっと漏れたし、半年に渡る『付きまとい』に今日、今ここで終止符を打つ。打つしかない。
気合いを入れて、顔を上げる。
視線の先にあったのは、予想外に生真面目な表情だった。
「この顔が駄目ですか」
「え……いや、そればっかりじゃ、ないけど……」
「そうですか」
せっかくの決意が、出鼻を挫かれた。
何かに納得した表情のミュラー団長が、マントの下に手を入れた。
取り出したのは小さなナイフだ。
「……は?」
「私自身も、煩わしいと感じていましたから。丁度良いかと」
「……え?」
噓でしょ!?
ミュラー団長が、迷いなくナイフの刃を自分の顔に向けた。
「なっ、なにやってんだ!? てめえ!」
思わず腰を浮かし、掴みかかって止めたと同時に馬車が大きく揺れた。
バランスを崩したリオニーの腰に片腕を回したミュラー団長と、吐息がかかるほど近い位置で目が合う。
がばっと身体を引き剥がし、背後の壁にぶつかるようにして再び席に着く。衝撃で背中をちょっと強めに打ち付けた。
でも、そんなことを痛がる気持ちも、照れる余裕も、湧いて出ない。
「この顔が、気に入らないのでしょう? 傷でもあれば良いかと思ったのですが」
「いいわけあるか! 頭おかしいんじゃねえのか!」
「それは、否定し辛いところです。……ところで、その言葉遣いは」
は、と気付いた時にはもう遅い。完全に素が駄々洩れていた。
落ち着いた表情で、ミュラー団長はリオニーの答えを待っているように思う。
「……こっちが素なんだよ」
もういい。いっそ幻滅でもしてくれれば話は早い。
今さら、取り繕っても無意味だとは思いつつ、一呼吸置いて猫を被り直す。
「……わたしは、元々貴族ではありませんし、港町の、下町生まれですから」
荒くれ者が多い港町で暮らし、一時は浮浪者に混じって路上生活を送っていたリオニーは、どうしても当時の言葉遣いが抜け切らなかった。
油断すると、貴族令嬢が絶対に口にしないような言葉が口から飛び出す。
養ってくれた今の家族のため、普段はとても気を付けているのだ。絶対にボロが出ないように。
リオニーの話に何を思ったのか、ミュラー団長は結局何をすることもなく、ナイフをしまった。
「養子、でしたっけ」
なんでそんなこと知ってんだ。
「……そうです。血の繋がった方の家族は、戦争の巻き添えでみんな死にました」
両親と三歳下の妹、親類縁者と近所の人たち。みんな戦火に吞まれて死んでしまった。
今も、時折夢に見る。
家が焼け落ちて、家の中にいた家族が皆、リオニーを一人残して死んでしまった、あの時を。
「……ですから、暴力は、好きではないです」
暴力は、怖いものだ。戦争も、嫌だ。
人は脆くて、みんなすぐに死んでしまうのに。わざわざ殺し合いなんてする意味がわからない。
「そう」
ミュラー団長の返答は簡潔で、否定も肯定もしない。
「では、暴力の権化のような私を、きっと今でも恐れているのでしょうね」
……そりゃあ、そうだよ。
怖いよ。
怖いに決まってる。
リオニーの大切な人たちは、理不尽で圧倒的な暴力によって、みんないなくなってしまった。
みんな死んだ。
みんな死んでしまった。
でも。
「そんな方の前で、やることではありませんでしたね。軽率でした。申し訳ありません」
ミュラー団長の、落ち着き払った声がそう詫びて、静かに目を伏せた。
「――ですが、あなたの嫌うその暴力が、この国を生かし続けてきたのです。戦場に散っていった多くの騎士や魔法士たちの働きによって、今のこの国があるのです。どうか、それだけは……忘れないでください」
そんなこと、十分知ってる。
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