第9話 擦り切れた心

「あのね、リオニー。わたくしもあなたが思ってくれてるのと同じように、大切なあなたに幸せでいて欲しいと、そう思ってるんですよ」


 優しく言われて、黙り込む。


  何も、言えない気がした。

 それでも、不自然に思われないように笑顔を作る。


「リオニーもちゃんと幸せでいてくださいね」

「……えっと、わたしもけっこう幸せだよ? 友達もいるし、たいして働かなくてもお給金貰えるし。のんびり暮らして、すごく、楽しい」

「それならいいの」


 馬車の中に、沈黙が落ちた。

 王宮の馬車だから、上等な造りをしていて揺れは少ない。馬の蹄が地を蹴る音と、車輪がごろごろと回る音が聴こえる。


 平民のリオニーが乗るには、不似合いなほど上等な馬車だ。


 いや、違う。平民ではない。今のリオニーは貴族だ。

 親切なフォーゲル夫妻が、養子にしてくれたから。


 生まれ育った港町が戦火によって跡形もなく消え去って、生き残った人は皆、それぞれ知人や親類縁者を頼ってどこかへ行った。頼れる誰かがいない者は、リオニーも含め近隣の町や村へと身を寄せた。

 リオニーが新しく暮らし始めたのは、隣町の孤児院。

 あまり、裕福ではなかった。はっきり言ってしまえば、貧乏でそこに身を寄せる孤児たちに対する扱いは劣悪で、風当たりも強く、最低だった。


 浮浪者に混じって路上生活を送る方がマシだったぐらい。


 悪ガキが集まって徒党を組んで、褒められた生活では決してなかった。

 言い換えれば、他に行き場のない子どもたちが、互いに身を寄せ傷を舐め合う暮らし。


 最悪な暮らしだったから、その分一緒にいてくれる仲間が大切で、大好きだった。


 でも、治安の悪い土地でそんな風に生きる子どもが、長生きなんてできるわけもない。


 惨い別れを何度も繰り返して、心は擦り切れて、涙も枯れた。


 みんな、いなくなっちゃうんだなぁ


 そんなことを思ってた。

 思ってる。

 いつも、別れがあったから。


 ずっと一緒にいてくれて、リオニーのことを世界で一番愛してくれる人なんてのは、もういないんだ。

 両親を失って、そういう存在はもう、いなくなってしまった。


 幸運なのかなんなのか、戦争で娘を失ったというフォーゲル夫妻に出会ったのは、仲間が一人残らずいなくなった頃。

 夫妻は優しくて、リオニーの境遇を哀れんで、泣いてくれて、養子にまでしてくれた。

 たくさん可愛がって貰ったけど、養子になって三年後、夫妻に息子が産まれたから、リオニーは家を出て王都に来た。


 お前なんかもういらない、そう言われる気がして怖かった。


 フォーゲル夫妻からは、そう間を開けずにずっと手紙がくる。

 「元気でやっているだろうか」

 「病気はしてないか」

 「たまには帰って来て顔を見せて」

 「あなたの弟に会いに来て」

 「大切な私たちの娘」

 「世界で一番大切な……」


 顔を見たら、何かが漏れ出してしまいそうな気がして怖かった。

 王都に来て三年経ったけど、一度もあの家には帰れていない。


 本当に、わたしなんかが彼らにとって大切な娘だろうか。

 息子ができて、いらなくなったんじゃないか。


 でももし、本当に、もし本当に、リオニーのことを愛してくれてたら。

 もし、リオニーを好きでいてくれるなら。

 リオニーのことを世界で一番、愛してくれる人たちだったら。


 いつか、いなくなってしまうのかもしれない。


 だって、みんな死んでしまうから。

 みんな、死んでしまったから。


「――泣かないで、リオニー」


 ララの細くて綺麗な指がリオニーの頬に触れた。


 リオニーの手を握っていたララの手が背中に回る。

 抱き寄せられて、背中を撫でられる。ララからは、ララみたいな花の香りがする。

 可憐で優しい、甘い香り。


「リオニー、泣かないで。わたくしの大切なリオニー」


 そんなこと、言わないで。


 みんな、死んでしまう。

 惨たらしく殺されてしまう。


 どうしよう。ララも死んでしまうだろうか。

 誰かに、殺されてしまうのだろうか。


 リオニーなんかに、関わったせいで。


「大丈夫です。リオニー、ねえ、もう大丈夫だから。もう戦争は終わったもの。もう怖いことなんて、何も起こらないわ。だから肩の力を抜いて、リオニーはリオニーの人生を、ちゃんと楽しんで」


 知ったようなこと言わないで。


 そう反目したくなる気持ちと、甘えて縋りたい気持ちで心の中がぐちゃぐちゃだ。


「――ララ殿」


 今まで黙っていたミュラー団長が、唐突に口を開いた。

 その静かで重く、固い声に、ララが身体を強張らせた。


 リオニーも顔を上げる。

 ミュラー団長が、馬車の外に顔を向けていた。その隣では、クラウゼ副団長も表情を険しくしている。


「約束を、覚えていますね?」

「……必ず、ミュラー団長の指示に従い、勝手なことはしません。何があろうと絶対に」

「結構。そのようにお願いします」


 ララとミュラー団長のやり取りに、まさか、という思いが湧いて出る。


「クラウゼ」

「はい団長」

「必ず守れ。何があっても」

「承知いたしました」


 ミュラー団長の命じる声に、クラウゼ副団長が答える。

 返答は明瞭で、リオニーにとってのこの状況だけが明瞭ではなかった。


 馬車が大きく揺れて、馬の嘶きが聴こえてきた。


 ララの腕の中で硬直するリオニーの顔を、ミュラー団長が覗き込んでくる。

 大きな手が、リオニーの頬に触れた。


「リオニー」


 頬を覆うように当てられた手、親指が目の下をなぞるように撫でられた。

 ミュラー団長の手に、リオニーの目から漏れた雫が付着する。


「大丈夫です。なんの心配もいりません」


 そんな風に言われたら、余計に心配になる。不安で、どうにかなりそうだ。


 ただ、微笑むミュラー団長を見返すことしかできない。

 リオニーが何も言えないでいるうちに、馬車が停止した。

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