第10話 職務中のアルノ・ミュラー

 停止した馬車の外で、乱雑な複数人の足音が聴こえてきた。


「団長」


 クラウゼ副団長が、緊張を孕んだ声でミュラー団長を伺う。

 答えるミュラー団長は、静かに頷いた。


「問題ありません。お前はお前の役割を全うなさい」

「承知しました」

「可能な限り、表には出てこないように」

「……承知しました」


 クラウゼ副団長が、馬車の扉を開く。ちらりと見えた外には、見慣れない男性が複数、馬車を取り囲むようにしている。


 クラウゼ副団長の巨大な身体が入口を塞ぐ。その隙間から滑るように、ミュラー団長が馬車の外に出ていった。


 途端に、馬車の外が騒めいた。

 アルノ・ミュラー、とその名を呟き、慄く声が聴こえてくる。


 クラウゼ副団長が、馬車の扉を静かに閉めた。


「私をご存知のようで、話が早くて助かります。ご存知の通りヴァイス公国第二騎士団を預かっております、アルノ・ミュラーです。ご覧の通り、団服を着用しています。公僕として職務に当たっている最中であると認識してください。その私が乗っているこの馬車は王宮のもので、あなた方は今その馬車を取り囲み、行く手を遮っているわけですが、委細承知の上での行為と見なして問題はないでしょうか。もし異論等があるようでしたら、手早くどうぞ」


 外からミュラー団長の声が聞こえてくる。いつも通り、気負ったところのない、穏やかで柔らかな物言いだった。


「――いかに騎士団の団長とはいえ、多勢に無勢だ。公妃の侍女が乗っていることはわかっている。身柄を渡してもらいたい」


 見知らぬ声が、一方的な要求を口にした。リオニーを抱きしめたままのララの腕に、力がこもる。


 公妃の侍女と、そう聞こえた。疑うまでもなく、それはリオニーのことだ。要求されているのは、リオニーの身柄。


「……一応、理由を伺いましょうか」

「公妃のために損なわれる命があることを、知らしめる」


 ふざけんな!

 という気持ちと、それとは別の怒りが湧く。


 そんな馬鹿なことが、あるだろうか。


 公妃とは、リオニーの名目上の主、アドラ公妃のことだ。

 アドラ公妃は、この国が五十年も叩き続けた隣国から、戦争の締結に伴い嫁いできた、いわば和平の象徴である。


 まだ十五歳。それでも、彼女は生まれた国を出て、一人で敵国へやってきた。並々ならぬ決意があったに違いない。


 そんな彼女を良く思わない者達がいることは、リオニーも知っている。

 その多くは、敵国の姫と、憎しみを露わにする声。


 そして、もう一つ。

 戦争の終結を自体を、よく思わない者達によるもの。

 五十年も戦い続けて、まだ戦い足りないなどと言う大バカ者たちだ。


 有利も不利もなく得るものもなく、双方の合意の下で終戦がなった。


 推し進めた公王陛下を「腰抜け」と揶揄する声がある。

 和平の象徴としての公妃殿下を「売国奴」と嘲る声がある。

 罵る彼らは今もなお、戦争の継続を望み声を上げ続けている。隣国を打ち滅ぼすべきだと。


 妃殿下を害すれば、隣国も黙ってはいないはずだ。そんな恐ろしいことが囁かれていると聞く。

 そして再びの開戦を、求め続けている。


「なんのために?」

「あ?」

「知らしめるのはわかりました。それで? 町のごろつきが昼間から飲んだくれて良い気分で盛り上がりでもしたのでしょうか。万が一にも素面などということがあれば、あまりのことにかける言葉もありません。せめて酔っていて欲しいと願うばかりです。とはいえ、私の見立てによれば、あなた方に必要なのは酒ではなく、虫ケラ以上の存在になるための知性です。いえ、失礼。知性、知能、品位、まともな思考力、人を人たらしめる全ての要素が不足しているようですね。手の施しようがないように思えます。なんと哀れな生き物かと同情を禁じ得ませんが、その同情を差し引いても、勢い以外の本来あるべき何もかもが感じられないゴミ以下のアホみたいな計画で私の手を煩わせるだけに飽き足らず、塵未満の戯言を聞かされたのは不愉快以外のなんでもありません」


 いや。煽るな。

 同意っちゃ同意だけど、急にすごい喋るじゃん。そういう輩を相手に言い過ぎでは。


 思わず身を寄せ合うララと顔を見合わせ、二人でクラウゼ副団長を見た。

 クラウゼ副団長は、深くて重い溜息を吐いてごつい片手で顔を覆っていた。


「心の底から哀れに思います。同時に微塵も理解できません。そんなことをしたところでどのような効果があるのか、どのような期待をしているのか、その浅はかな思考を知りたいとも理解したいとも思いませんが、損なわれる命があることを知らしめるのであれば、自らその喉を掻き切ってしまえば良いのですよ。その方がよほどこの国のためにもなりましょう。お手伝いいたしましょうか?」


 流れる水の如く淀みなく、よくもまあこれだけすらすらと丁寧で柔らかな声音で相手を罵倒できるものだ、といっそ感心する。


「……あの、ミュラー団長は、なぜこのような……ええと」

「なぜ相手をこのようにけちょんけちょんにするかですね。無駄に煽り倒すようなことはしなくても良いのでは、ということですよねわかります。私も常々疑問には思っております。あえて団長本人に問いただしたことはございませんが、考えあってのことではないと思います。強いて言うなら、趣味……というか、今はその、相手の狙いが……本当に、良くない……」


 潜めた声で尋ねたララに、クラウゼ副団長がものすごく迷いに満ちた表情をした。


 どうかしている。


「貴様らのような時流もまともに読めんクズどもが蔓延っていなければ、この国はあと十年は早く戦争を終えていたんですよ。その十年でどれだけの命が損なわれたのか考えたことはありますか? ないでしょうね。ないに決まっている。こんなところで婦女子一人を襲わんなどと考える見下げ果てた腐った根性しか持たない能無しの下衆どもが。戦場を知らない者に限って戦争などと軽々しく口にする。うんざりです。大変気分が悪い。なるだけ綺麗に片付けようと思っていましたが、少々手元が狂ってしまいそうです」

「貴様! 愚弄する気か! 調子にのるなよ、騎士団長などと言ったところで、この人数を一人でどうにかできるつもりか!?」

「三流以下のなんの捻りもない台詞をどうも。もちろん私一人でどうにかするつもりですよ。愚弄し軽蔑し侮蔑し侮辱し嘲笑した上で皆殺しにする気です。――もう、気は済みましたか?」

「はあ?」

「もう死んでも構わないかと聞いているのです。まあこの場で果たせる未練などしれていますしね」


 ミュラー団長の声は、相変わらず穏やかで、その口調も柔らかい。


「もう、いいですよね」


 静寂が、あった。


 次に聴こえてきたのは、声にならない悲鳴のような何かだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る