第6話 いつかあった話

 リオニーが生まれたのは、隣国の国境から離れた場所にある港町だった。


 リオニーが生まれるもっと前から戦争は続いていたが、主な戦地は町から離れた国境沿い。だから戦争が、自分がいる国のことと認識はしていても、どこか遠い出来事のように思っていた。


 その頃のリオニーは、リオニー・フォン・フォーゲルなんて立派な名前ではない、ただの子どもだった。

 フォンもフォーゲルもない、貴族には縁も所縁もない、平民の子。


 リオニーの家は両親が切り盛りする町の大衆食堂で、客の大半が船乗りたち。船乗りに限らず、店にはいつもたくさんの人が出入りしていたように思う。


 家からも見える港には、外国から大きな商船がやってくることもある。

 リオニーはよく妹の手を引いて、港に停泊する大きな船を見に行った。


 青空を貫くようにそびえる巨大な帆柱と、抜けるように白い帆。

 船乗りたちの快活な笑い声と、海鳥の鳴き声。


 そこで妹と一緒に、食堂への呼び込みをして、店に客を案内する。

 美味しい料理とお酒で気分が良くなった、海を越えて遠くからやって来た彼らから、色々な国や地域の話を聞くのが何よりも楽しみだった。


 そんな話に混じって、時折国内で起こっている戦争の話を聞くこともあった。

 戦場を駆ける騎士がいて、彼らは勇敢に戦い、次々と悪い敵を屠る正義の存在だと。


 リオニーにとって、それは他所の土地の、遠くで起こっているお話だった気がする。


 でもそれは、リオニーだけの思いではなかったと思っている。両親も、周りの大人も、誰も彼もみんながそう感じていたんだと思う。

 戦争なんて、ここではないどこか遠くの出来事。騎士は、御伽話の登場人物のような存在。


 平和な港町には、戦争の影などどこにもない。


 国は戦時下にあったけど、リオニーが住んでいた港町は、戦時ではなかった。


 リオニーは十歳の子どもで、当時の大人たちの対応も思いも、わからないことは色々あって、今になって想像したところで、それは事実ではないのかもしれない。

 でも、突然隣国の兵が攻め込んで来たとき、成す術も無かったのだろうことだけはわかる。


 その港町に受けた攻撃とそこに端を発する戦いは、五十年という長きに渡る戦争の中でも、極めて凄惨な出来事の一つとされている。

 町は焼失し、あまりにも多くの民間人と、多くの騎士たちを死へと追いやった。


 家が燃えて、たくさんの人が死んで、みんないなくなった。

 海には船と家だった木片と死体が交互に漂って、陸地は人も家も何もかも燃え尽きて更地になった。


 随分後になってから知ったことだが、敵兵による第一波の攻撃の後、その直後には、ヴァイス公国の騎士たちの半分までが町に到着したらしい。


 絶対に町を占領させないという決意だったのかもしれないし、奇襲によって町や人を焼いたことに対する報復だったのかもしれない。あるいは、その両方だろうか。

 騎士たちは一切の捕虜を捕ることなく、町に踏み入った全ての敵を掃討し尽くしたそうだ。


 その渦中にいたであろうリオニーだが、その時のことはよく覚えていない。


 気が付いたら、奇跡的に生き残った町の人たちと、更地になった町を眺められる場所に集められていた。

 煙が燻り続ける町だった場所を眺め、草地の上で毛布に包まって、無言のまま固いパンを齧った記憶がある。


 どうやって助かったのかなんてわからない。


 でも、優しかった父さんも、厳しかった母さんも、三歳下の生意気だけど可愛い妹も、みんな死んでしまったことだけは理解していた。


 混乱の方が勝っていたのだろう。しばらくは涙も出なかった。


 みんなを殺した敵兵の姿を、リオニーは見ていない。


 燃える家々の間から雪崩のように押し寄せてきたのは、味方のはずの騎士たちだった。


 躍るような炎に巻かれ、彼らの手には真っ赤に濡れた白刃があった。

 興奮に見開かれた目。

 笑みの形に歪む口元。

 どこからか飛んできた炎が仲間の身体を焼いても、彼がその足を止めることはない。

 軍靴が踏みつけたものが、焼け落ちた家の破片なのか、誰かの焼けた遺体なのか、わからないまま砕かれていく。


 助けに来たんだと、そう思いたかった。

 事実、そうだったんだと思う。おかげで、リオニーは奇跡的に生き延びることができた。

 彼らは、彼は、成すすべなく殺されてしまったリオニーの家族や、町の人たちの仇をとってくれたのだ。


 わかっている。騎士たちは守ったのだ。この国を、人を、命と暮らしを。たくさんの人の未来を。リオニーも、そうして守られた一人だ。


 頭ではそう理解してる。できている。


 震えながらでも、その騎士にお礼だってちゃんと言った。

 返り血でぐしょぐしょになったその姿は怖かった。

 戦いの中では笑っていた綺麗な顔から、表情がすっぽり抜けていて慄いた。

 味のないパンを齧っているときに見つけたその人に駆け寄って、お礼の言葉を口にしたまでは良いものの、見下ろしてくるその顔が怖過ぎて、その場で声を上げて泣いてしまったけど。





 騎士たちは、この国の英雄で、誇り。

 その身を犠牲に、命を賭けて、容赦なく敵を屠りこの国を救った。

 五十年の長きにわたり、人々をその背に守り戦い続けて、守り抜いた。


 リオニーがいた港町が戦争を遠いものと思えていたのは、彼らの献身があってこそだ。

 五十年続いた戦時、ただの一度たりとも戦火が王都を脅かすことはなかった。


 平和だと勘違いして、戦争を遠いものと認識する人たちの盾となって、騎士たちはその多くが死体になった。

 戦場でどんどん死んでいったから、若い人しか残っていない。


 五十年間戦い抜いて、騎士は人々の誉れだ。

 そして、長生きできなくて、早死にした。





 リオニーの心には、刻み込まれた恐怖がある。

 それがどうしても、消えずに残り続けている。





 ミュラー団長も、いつかは死んでしまうのだろうか。

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