第7話 女子会と焼きたてパイ
今日はもうやることはないかな。
などと考え、いつもの裏庭に向かおうとしていたある日の昼下がり。リオニーは顔見知りの侍女に呼び止められた。
相手は有力な貴族のご令嬢で、公妃殿下に仕える本物の侍女である。
城下の店に行って、商品の引き取りをしてきてくれないか、と。
代金は納入済みと言いながら、硬貨をいくらか渡された。
お礼に美味しい物でも、という優しさと、まあ口止めのようなものか。
その商品とやらは、公妃殿下は少しも関係ない、侍女の個人的なものなのだろう。
くれるものならもらうし、その程度ならいくらでも口を噤む。
大通りにできたという、焼きたてパイの店が気になっていたことだし。
甘いパイもいいけど、食事系のパイも捨てがたい……などと考えながら、いざ行かんとしていたところに、背後から追加の情報がきた。
「馬車の用意もしてあるから」
一瞬、聞かなかったことにしようかとも思った。
でも、何かあったときに迷惑を被るのは、リオニーの今の家族である。
何もないとは思うけど、絶対ではない。あったら困る。すごく困る。
万が一何かが起こって、リオニーが言いつけを守らず馬車を使用せずにいたから、とかそういう話になったら……。
「じゃあ、よろしくね」
「あー……」
リオニーの返事を待たずして、侍女は行ってしまった。
まあ、必ずしも騎士団の団長が馬車とセットになっているわけではないだろう。
そもそも普通は、団長が侍女の護衛などしない。
騎士団をまとめる団長ともあろう者が、そんなに暇を持て余しているはずもない。多忙なはず。多忙であれ。
強い気持ちで城下に焼きたてのパイを食べに行こう。
そう決意して、手早く支度を済ませ馬車の用意がされているという外へと向かう。
廊下を歩いていると、窓の外にリオニーのために用意されたと思しき馬車が見えた。
御者台には既に鞭を持った御者が座っている。馬車から少し離れた位置には、大小二つの人影があった。
大小と言っても、あくまで比較して、だ。実際は二人共でかい。
アルノ・ミュラーと、オスカー・クラウゼ。
第二騎士団の団長と副団長が、並んで立ち、何やら二人で話し込んでいる。
騎士団は、やっぱり暇なのかもしれない。
思わず窓から身を隠すようにしゃがみ込んでしまった。
いや、全然やましいことはないんだけど。
ほんのちょっと、ミュラー団長と顔を合わせにくい気持ちなだけで。
もしかしたら、たまたまそこに居合わせただけなのかもしれない。しばらく待ったら、去って行くかもしれない。
そう思っていたら、廊下の先、リオニーと同じような不審な動きの人物を発見した。
地味なドレス姿で、頭からすっぽりとフード付きのマントを被っている。なんとなく、見覚えのある姿だ。
「ララ……?」
リオニーの呟く声に、ララは肩を跳ねさせた。
「リ、リオニー……えと、ごきげんよう」
中腰の態勢で、それでもにこやかに振舞おうとするその志は立派だと思う。
不審者丸出しだけど。
「何してるの?」
「なにも」
「どこかに出かけるの?」
「いいえ」
「なんで顔隠してこそこそしてるの?」
「こそこそなんてしてないです」
言いながら、ララは周囲に視線をやり、顔を隠すようにフードの端を引っ張った。
「誰か見つかったらまずい人がいる?」
「……少しだけ」
観念したように小さく呟いたララが、より俯いていく。腰が曲がった老婆みたいになってしまった。
「少し、城下を見てみたい、と思ったんですけど……」
リオニーは城に勤めてる人と交流はほとんどないし、王宮にはたくさんの人が勤め、出入りをしている。
そういえばララが王宮のどの辺で働いているのかも知らないし、人間関係を把握しているわけでもないけど、もしかしたら怖いお局的な先輩侍女でもいるのかもしれない。
「……あの、ちょっと、思い余っただけなので。……すみません、戻ります……」
ララの声が尻すぼみに小さくなっていく。なんだかものすごく可哀そうな感じがする。
見つかったら怒られるとか、意地悪な人でもいるのだろうか。
「ねえ」
「……はい」
「よかったら、一緒に城下に行かない? 馬車があるから、人目にはつかないと思うけど」
「え」
「お小遣いもらったから、大通りにあるっていう焼きたてのパイの店に行こうと思ってるの。ごちそうするから、一緒に行かない?」
言いながら、ものすごく名案な気がしてきた。
行かないという選択肢も、馬車に乗らないという選択肢も、リオニーには存在しない。
でも、もう一人誰かを同行させることに問題はない気がする。
ララがいたら、馬車にミュラー団長と二人きりで気まずい思いもしないで済むし、何よりきっと楽しい。
ララは、王宮で初めてできたリオニーの友人だ。知り合って約一年、これまで一緒に出かけるような機会はなかったけど、ララと一緒にカフェでお茶をするなんて、考えるだけでもすごく楽しい。
「行こう。わたしララと行きたい!」
「え、ちょ……」
驚いて目を見開いたララの腕を握る。
行こう行こう、絶対行こう! そう言いながら、ララの腕を引いて歩き出す。
「リ、リオニー、待ってくださ……そういうわけには……!」
フードをしっかり押さえたララが、あわあわと何かを口にしているけど、リオニーは聞こえないふりとして、馬車の方へとずんずん歩いて行った。
リオニーに気付いたミュラー団長と副団長が顔を上げる。
「ごきげんよう!」
友人の存在が、一人じゃないのがものすごく心強くて、リオニーはかつてないほど元気に挨拶をした。
二人の視線が同時に、リオニーに引っ張られるようにしてついて来るララへと移動して、二人揃って目を瞠った。
リオニーに友人がいることが意外とでも言う気か。
確かに、たった一人の貴重な友人だけど。他にはいないけど。
「……そちらは」
ミュラー団長が、珍しく戸惑った様子で口を開いた。
ララがびくりと肩を震わせ、フードを口元まで下げる。布が伸びてしまわないか、ちょっと心配になる。
「こちらは友人のララ。一緒に城下に行きたくて。いいでしょ?」
「……ご友人、の……ララ……殿」
「大通りに新しいお店ができたって、すごく評判なの。焼きたてのパイを食べさせてくれるんだって。すごく美味しいって、ララと食べに行きたいの!」
我ながら、たぶん今一点の曇りもない晴れやかな笑顔をしている自信がある。
友人とカフェに行くと思うと、それだけですごく楽しい。知らなかった。今後もこの楽しい機会を積極的に作っていくべきかもしれない。
そんなリオニーの様子を見てか、ミュラー団長が口元を抑えて珍しく無表情になった。
「――団長」
「ねえ、いいでしょ? お願い」
「団長!」
何故か黙り込むミュラー団長に、隣で焦ったようにクラウゼ副団長が声を上げた。
「なんですかうるさいですよ聞こえてます」
「なんですかじゃない。団長、さすがに拙いです」
「……」
「聞こえないふりはせんでください!」
騎士の二人はリオニーに背を向けて、何やら二人でごにょごにょと言い争いを始めてしまった。
問題ないと思ったけど、やはり王宮の馬車に許可のない人を乗せるのは駄目なのだろうか。
「あの、リオニー……やはりわたくしは」
「クラウゼも焼きたてパイが食べたいので同行するそうです」
「だんちょおおお!」
リオニーの袖を控えめに引きながら言った消え入りそうなララの声に、くるりと向き直ったミュラー団長の何を考えているのかわからない声と、クラウゼ副団長の悲鳴のような声が重なった。
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