第14話 世界で一番大切な人
固まるリオニーから一歩の距離を置いて、ミュラー団長は足を止めた。
美しい顔にはいつもの穏やかな笑みが浮かんでいて、そのくせ妙に眼光だけが鋭い。
「では、あとはお二人でごゆっくり。しばらく人払いをしておきますので」
そう言って微笑んだララ、もといアドラ公妃はふいにじっと、ミュラー団長を見詰めて、なるほど、と呟いた。
「確かに、眼光が鋭いですね。目が笑ってない、という風に見えるかも。ね、リオニー」
なんで、今ここでそれを言うかな!?
「きっと好きな女の子の前では緊張してしまうのね。思ってたよりも、ずっと可愛らしい方ですね」
「え?」
楽しそうに笑って去っていたララをわけもわからず見送って、なんとなく、ミュラー団長を見上げると、ふい、と顔を逸らされた。
「……私だって、緊張ぐらいはしますよ」
もしかして、本当に緊張しているのだろうか。アルノ・ミュラーが?
「――好きな、女の子の前では、って。ララが……」
ミュラー団長は、どこか憮然とした様子で、正面に向き直った。
だって、という言い訳が過る。
だって、考えもしなかった。
そんなわけないって思ってた。
でももしかしたら、リオニーが臆病過ぎて、信じることができなかっただけなのかもしれない。
「そうです」
「あの」
「はい」
「あの、もし見当違いのこと言ってたらごめんなさい」
「はい」
「もしかして、本当に、わたしのことを好きだって、思ってるんですか?」
「は?」
めちゃくちゃ怖い顔をされて、思わず半歩後退る。
「……そう、申し上げたはずですが?」
地を這うような声音が怖すぎる。
「揶揄われているか、女避けとか、なんかそういうのなんだと……」
「……女避けは初耳ですが、そういえば、そんなことを言ってましたね」
「だって、なんでわたしなのか、とか……全然心当たり、ないし……別に美人ってわけもないし……」
「私には、十分可愛らしいです」
「はあ……」
あまりにも、気のない返事になってしまった。
でも、この顔の人にそんなこと言われても。
すごく長い沈黙があった。
「――我ながらどうかと思うし、引くと思うんですけど」
「え?」
ミュラー団長が、ものすごく重い口を見るからにしぶしぶ開いた。
「私には、剣しかありません。実家は商いをやっていて、兄弟姉妹たちは皆、それぞれ商才が備わっていました。私だけ何をどうしても商売に向いておらず、そもそも人を相手にするのが苦手……というより苦痛で、騎士になるしかありませんでした。向いていたのだと思います。斬れば良いという解りやすさも、私にはちょうど良かった。九年前、初陣で、たくさん殺しました。初めて人を斬って、それでも心は動かなかった。そんな気がしました。そう、言い聞かせたのかもしれません。こんなものかと、そう思うことにして、自分の中ですり減るものがあることには、見て見ぬ振りをしました。でも、戦いが終わって、小さな女の子が、涙でぐしょぐしょになった顔で、私にお礼を言いに来たんです」
「え……それ……」
「その時から、リオニーあなたが、私が騎士として生きる理由です」
だって、それは九年前も前の話だ。
クラウゼ副団長がそんなようなことを言ってはいたけど、それだって、良くあることなのかもと、軽く流した。
九年も前の、その時限りの。結局リオニーは、助けられたお礼を言いながらも号泣して、困惑させただけだと思ってた。
怖いと思ってた。夢に見るぐらい、ずっと恐ろしかった。
お礼を言ったのだって、半ば義務感。
助けてもらったら必ずお礼を言う、そう、両親に言われて育ったから。
一年前、戦争が終わって戦場から戻った騎士たちの中で、ミュラー団長を見付けて、一目であの時の人だとわかった。でも、それだけだ。
一目惚れだとか言われても、本気になんてしなかった。
「一年前、王宮であなたの姿を見かけて、一目であの時の少女だとわかりました。その後のどんな戦いのときも、誰かを助けたというその事実が、私を支え続けた。私が、戦場に立ち続けた理由です。その子が、大人の女性になって目の前に現れたのですから、それだけで十分です。他にどんな理由が必要になりましょう」
神々しい微笑みに、胸が詰まる気がした。
「なので、すぐに素性を調べ上げました」
――う、うん?
「どうやら私は怖がられているらしい、ということはすぐに分りましたが、どうすれば良いのか、なかなか妙案が浮かばず」
――あ?
「一度心を許してしまえば情に脆いということはわかりましたし、擦り込みでどうにかなるような気はしたのですが、今ひとつ決め手には欠けますし、ガードの堅さがなかなかどうして」
――おん?
「時間をかけるしかないかと思っておりましたが、昨日の話を聞くに、どうやらそういうわけではないようです。ならば、作戦の変更が必要でしょう」
少しの悪びれたところもなさそうなミュラー団長が、リオニーの頬に触れた。
「私は絶対に、君を置いていなくなったりしません」
身を捩ろうとして、目を瞠る。
それは、リオニーの心の、柔らかい部分に触れる言葉だった。
「戦争は終わりましたし、今後私が危険な前線に立つことはないと考えていいでしょう。何が起こるか予想がつかない戦場と違って、平和な王都で生きていれば、この私が対処できないような危険などそうはありません。一対多数でも普通に余裕で勝てるぐらい、私は強いです。殺されるようなことはまずありません」
ミュラー団長の長い腕が、何かを確かめるように肩に触れてくる。
「だから、心配なんて止めてしまいなさい。身も心も、私に委ねてしまうと良いと思います。一緒に、焼きたてのパイを食べに行きましょう」
抱き押せられて、ミュラー団長の胸に、頬が当たった。
鼓動が聴こえてきた。
温かくて、強くて、最強の騎士様だ。
「疑いますか? でも、私とてなんの根拠もなく言っているわけではありません。昨日で分かったはずです。まあ少々不手際はありましたが、そこは大目に見てください。私は、ちゃんと全員守りました。私自身は傷一つ負うことなく、全員無傷で、ちゃんと守ったでしょう?」
そんなことして、良いのだろうか。大丈夫なのだろうか。
好きになっても、良いのだろうか。
世界で一番、リオニーを愛してくれるのだろうか。
「この世界の誰よりも、あなたを一番に想っています。永遠に想い続けるし、大切にすると誓います」
強く、強く抱きしめられた。
「だから、私を愛してください。この世界の常識に、私をちゃんと繋ぎ止めておいてください」
泣きそうな気がして、奥歯を強く噛み締めた。
「――大切な、私のリオニー」
リオニーの心に甘く響く、優しい囁きが降ってきた。
<完>
下っ端侍女と騎士団長様のハートフル徒然日録 ヨシコ @yoshiko-s
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