第9話 共犯者の回想

最初、サウルは彼の事が『何となく気に入らなかった』事を覚えている。




彼は父親が副業がてらに勉強を教えてる子供で、実に裕福なボンボンだった。

おまけに幼い頃からとても賢く、言葉の習得も恐ろしく早かったという。

サウルですら当時読めなかった難しく古めかしい本も読めてたというのだ。

最初聞いた時はただの親ばかだろと鼻で笑っていたが、父親はえらく真剣だった。


「いいかいサウル、お前には刺激が必要だ」


会う前に父親が神妙な顔をして、そう言ったことを憶えている。

このままではいけないと、父も内心で思っていたのだろう。


当時のサウルは、まぁ、きかん坊だった。

豚飼い少年たちと争ったりだとか、治安の良くない場所を歩いたりだとか。

薄っすらとした反抗心の捌け口を探していたのだろうと、今は分析できている。


父親がユダヤ人であるから生活には苦労して、ポグロムによって放浪し流れ着いたのがドイツだった。

そういった事が理由で、周りの同年代からいじめられたりもしたことがあった。

しかしその度に殴り返しては、よく喧嘩に発展して困らせた。

そうして父親がペコペコと周りに気を使っていたりする様に、更にムカついていたのだ。


なぜ自分たちはドイツ人らしく生活しているのに。

同じものを食べ、同じ言葉を話しているのに。

物を盗むとか、服が汚いとか、下品な言葉を喋りまくるとかならわかるが。

そんなどうしようもない事で区別され、いじめられなければならないのか?

そういった蟠りが、心の中に着実に溜まっていったのも憶えている。


同時にわかってもいた。

それがしょうもない、ただのガキの癇癪であることは。

愛を試すように両親に甘えていたようなものである。

だからこそ一層イライラしていた。

感情の制御が効かない自分にも嫌気が差していたのだ。


そんな事で悩めていたのが本当に平和な時代だった、と思う。


思春期の悩み真っ盛りで飛び込んできた話が、金持ちボンボンとの面会である。

父親としてはサウルに刺激を与えて、その性質が変われるかの賭けもあったのだろう。

サウルはサウルで、最初は精々気に入られて小遣いでもせしめてやろうかと思っていた。

頃合いを見て、父が失職しない程度に向こうの興味を失われれば勝ちだ。


だがそれはサウル自身の人生を狂わせる誤算であったのだ。


「あっ、よろしく、サウルだね、俺は──」


笑みとともに手を差し出してきた姿が何だか堂に入っていて、それが気に入らなかった。

こいつ本当に俺より年下だよな?と思ったほどである。

後年その疑いが事実であったことを知る事になる。

だが、現状は”なんだコイツ”であった。


初対面の時は適当に会話をしたりだとかして時間を潰した。

だがどうも、話してみると不思議なやつで様子もどことなくおかしかった。

サウルとしてはそんな事を知ってどうすんだ?とばかりに生活のことを根掘り葉掘り聞きたがってきて困った。

父に聞けと突っぱねてやりたかったが、それでは最初の計画がおじゃんになってしまう。

向こうの興味が尽きるまで相手をしてやった。あることないこと喋ったような気もする。


しかし、それがいけなかったのだ。


向こう側のボンボン親は、あの気難しげな我が子が他人に興味を持ってくれたと喜んだ。

父も、サウルの評価を改めたとでも言うようにして褒めてきて満更でもなかった。

お前あの子の友達になれと言われるまでは。


現在まで続く彼との腐れ縁はそうして始まった。


それからというもの。

父の副業に同行し、空いた時間に話したり遊んだり勉強したりといった具合に過ごした。

サウル自身も勉強を教えられる事があった。

また逆に変な所で彼は知識が抜けていたり、おかしかったりするから教えたこともある。

実際、それは良い学習にはなった。

ただ覚えるだけではなく、人にわかりやすく教えるという行為自体が勉強にもなるのだ。

結局回数を重ねても、変なやつだという印象は変わらなかったが。


そうして、サウルは段々と彼の前で素の自分を出していくようになった。

口調が砕けていくのに合わせ、向こう側も調子を合わせてくるから気兼ねしなかった。

父は雇われだが自分はそんなもの関係ないと振る舞うようになった。

籠りがちなので、気分転換にと外にも遊びに連れて行くようにもなった。

事件が起こったのは、そんな折である。


ある夏の日だった。

街に二人で行くという話になった。

今までのような厄介を起こさなくなっていたサウルは、親たちから信頼を勝ち取っていた。

なので勝手知ったる路地を歩いて本屋やらを冷やかしに行こうと、サウルが誘ったのである。

向こうも二つ返事でそれに乗り、街へと向かった。

適当なパンを齧り目的の店まで行く、そこまでは良かった。


サウルは今まで一人で行動していたのだが、今度は身なりの良い同行者が居た。

多分それがいけなかったのだろう、たちの悪い不良少年たちに絡まれたのだ。


相手は三人、こっちは二人の戦力外が一人。

圧倒的不利であり、数の差は遺憾ともしがたいものがあった。

幾つかの問答と悪罵の応酬の末、交渉は決裂した。

身ぐるみを剥がされるか、袋にされるか、あるいは両方か。

副業を失う父に内心で謝りながら、覚悟を決める。

まず前の一人を沈めようと思った時だった。


彼が、自分より先に突っ込んでいった。

とんでもない雄叫びを上げて、頭から突っ込んでいったのだった。

相手の首に噛みついて、剥がそうとした相手から殴られていた。

こんなのボンボンの戦い方じゃねぇ! 呆気にとられたのは憶えている。

向こうも同じであった、その瞬間には万金の値があった。

先に気がついたサウルが、右に居た相手の顎に一発のクリーンヒットを放つ。

沈む一人と一瞬で逆転した戦力差に、残った一人は薄情にも踵を返して去っていく。

彼が噛みついている相手も、すでに泣きっつらであった。

どうあっても離そうとないのだから、もうやめようぜ! サウルがそう言った。

言葉が届いたのか彼がようやく離れた。不良少年たちは這々の体で逃げ出していく。

そうして彼だけが相手の血に塗れていた。大丈夫か?と聞くと、泣きもせず頷いた。

これだとサウルが殴ったことになりかねないと水を買い、証拠を隠滅した。

こんなんじゃとても当初の目的を果たそうという気にもなれず、帰ることにした。


帰りの最中に彼はしこたま殴られたせいか、顔が白パンのように膨れた。

気まずい帰り道だったが、彼は腫れた頬で喋りづらそうに言った。


「気にすんなよ、俺さ……初めて友達のこと馬鹿にされてカッときたんだ」


「俺がやりたいことをやっただけだからさ、オイ……泣くなよ」


帰ってから二人の様子を見た父親から、サウルはめちゃくちゃに怒られた。

当然のお叱りであったが、そこで前に出たのは彼であった。

少し腫れが引いて喋りやすくなったのか、口八丁で父を丸め込む。

元より雇い主の息子である、その本人が良いというのだ、と要約すればこうだ。

彼の両親なんかはその武勇伝を聞き、勇敢だ!さすが!と彼を抱きしめていた。

二人して頭の中には甘いジャムでも詰まってるんじゃないかと、びっくりして涙も引っ込んだ。











あの時からコイツの本質は変わっていないのだ。

便器の前で這いつくばって吐いていても、また明日からは立ち上がる。

自分のやりたいようにやると言って、範囲を広げて……善意の押し付けにも程がある。

未来を知った上で、この様に振る舞うのだから尚の事、手に負えない。

どこかで誰かがその手綱を握らないといけないのだ。

でなければ、何時か何処かで破裂してしまう時が来るだろう


だから、サウルは答える。


「”最後”まで付き合えですと? 元よりそのつもりです、あとは経理ぐらい少しは自分でやってください」

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