第2話 老研究者の手記

『彼』は、ドイツ南部にある裕福な家の長男として産まれた。


両親共に地元の名士の血筋であり、その未来を期待されていた。

二人にとって極めて幸運なことに幼少の頃から彼はすこぶる利発的で、俗に神童と呼ばれていた。

信憑は定かではないが、幼い手で本を読み数式を解いたとまで言われている。

また運動神経もよく、特に水泳を好んでいた。

後年の水難事故では仇となったが、それが彼に別の道を提示したのは確かだった。


注がれた愛は凄まじいものだ。

好きなだけ本が買い与えられ、彼は書斎を本で埋め尽くしていった。

当時としては珍しい偏見の少ない両親であり、国際色豊かな家庭教師が雇われ、その下で彼は様々な事柄を学んだ。

教師の中にはユダヤ人やロシア人もおり、これが後の生涯に大きすぎる影響を与えたとされる。

彼は、そうして健やかに育っていった。


ただ一つ、この親たちにとって不服なことがあるとすれば。

それは彼の信仰心がなぜだか薄かったことだ。

敬虔な教徒であった両親からすれば非常に不可解なことである。

教会には最低限度だけ行っていた。

暇さえあればなにかに追われるように本の虫となるか勉強をする。

他にワガママを言わないものだから、余計に彼らを困らせた。

それどころか、彼にはどこか宗教に対して不信感があったとも言われている。

決して公の場では嫌悪感を表さないが、冷淡であったと周辺の人々は残している。

ひとまずそれが企業人として致命的な、彼が共産主義者である疑惑に結びつくことがなかったけれども。

しかし、それが彼のどこから生じたものであるかは、ついぞ誰も知る事はできなかった。


話を戻そう。


ちょうど彼の成長と合わせて生家では様々な事業が初められた。

そして少しの失敗と幾つかの確かな成功を収めていた。

後に成人した彼が事業の主導権を握り運営したことを考えれば、それらの新しい起業に関与していたという説はまったくの与太とは言えない。

そうした彼の企業の戦争協力への罪は決して拭えるものではないが、それらが特定の人々を隠し、迫害と死の鎌より逃れるための大きな傘になったことは現在に至っても論争を複雑にする要因となっている。

功罪は計り知れないものがあった、しかし救われた人びとは確実に存在していたことが事をより難しくしていた。


ただ結果的に、彼は裏切り者の党員であり、不忠な軍人であり、優れた企業家であり、ねじ曲がった愛国心を持っていたと言われる事になった。

そんなモザイク状の評価を持ってして、見る人によってその評価をコロコロと変えられた。


後の時代、例えば2012年のケルンにおいてはネオナチの集団により彼が興した企業の生き残りが連続で襲撃され。ショーウィンドウには六芒星やヒトラーは正しかったと書き込まれる、といった事件まで発生している。

過去、そして現代のドイツの人々は戦後の情報開示に際して、彼に対して終始複雑な印象を持たざるを得なかった。


実際にどんな人となりだったのだろうか。

彼の人格を表すには、こんな話が残っている。



ある時、彼は懇意にしていたユダヤ人秘書からこんな陳情を受けた。

彼のいたゲットーが、今年の冬を越せないかもしれないという相談だった。

この当時、ゲットー内部の惨状は筆舌に尽くしがたいものであった。

緩やかな絶滅政策の一環として物資の流入を断ち切り、封鎖が行われていた。

ガス室にはガスが、その死体を焼く焼却炉も動かすにも燃料がいるのである。

栓を止め、その場で飢えて死んでいくのならある意味で効率的に映っただろう。


それら惨状を聞いた彼は、まず最初にこの切実なる頼みを”にべにもなく”断ったという。

落胆を隠そうともしない秘書の前で、代わりにこんな言葉をぶっきらぼうに言った。


俺の企業に場所を貸すように、言い出しっぺの貴様がゲットーと交渉しろ、と。


秘書とゲットーの代表者との間で、直ちに交渉が行われた。

そして承諾が交わされたとの話を彼が聞いた、その次の日である。

親衛隊上層部への何らかの贈賄と圧力により警備兵がゲットーの封鎖を一部解いた。

合間を縫うように、密やかに数両のトラックがその狭い路地へと入っていった。

トラックはまず1日目には使い古しの麻袋を置いていった。

2日めには屠殺した際に出た鳥の羽が、3日めには期限の切れた缶詰がその場に次々と廃棄された。

それらは彼の企業から出た廃棄物であった。適切な処理をせずにそれを放りだしたのだった。

書類上ではそこに警備員が常駐しているはずだったが、生存者の証言によれば廃棄場には誰も居なかったという。


それから当然のように建物から食い詰めた幽鬼の如き人々が這い出て、あたりを見回しながらも、そのゴミを漁っては自らの場所に持ち帰った。

羽毛を麻袋に詰め寝具として包まり、期限切れの食料を貪り、餓死者凍死者を幾人も出しながらも、人々は何とか苦しい冬を越した。

後に彼は政治的パーティーに参加し、その場でこう言い放ったという。


『産業廃棄物を相応しい場所に廃棄した、なぁコンラート』




ここに一つの発注書がある。

戦火を免れたある食料品会社が保管していたものである。

豆や豚肉の缶詰の発注を、彼個人が大量に要請したものであった。

これらは彼の私有倉庫に保管され、多くの物資の行く先は誰もわかっていない。

ただゲットー生存者の証言によれば、期限切れと称されていた缶詰の多くがこれと同じ商品であったとされる。


他にも類似のエピソードが真偽もあやふやなまま、多く残っている。

彼にはそういうところがあった。


陰謀論的ですらあるが、彼は世界恐慌や二度目の大戦を予見していたという話があった。

前述の缶詰もそうだが戦前から大量の物資の備蓄に始まり、資金をどこからか調達していたという。

だが彼が所有していた財産は、戦争終結と共にどこかへと消え去っていた。

彼の遺産に関する噂が各地で囁かれるも、誰も見たことがない。


ただ全て迫害された人びとへ送られたと言う人もいる。

豪華な私生活に費やされたと言う人もいる。


私は、その何れもが違うのではないかと思うのだ。

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