ナチスドイツに転生しちゃった件

@tasaoka

第1話 ある河豚の足掻き

 この作品はすべてフィクションであり、どこかの組織や勢力を支持したり賛同したりするものではなく、ただ歴史の狭間に落ちた人が、どう足掻いたかを書いたものです。







 カイルは、絶望的な気持ちで黒い森の中を走っていた。


 

 粗末な服、痩せ細った体、誰もが彼を見て哀れとは思えど、羨ましいとは思わないだろう。

 だがこの時期の彼の同胞とも言える人びとの処遇から言えば、それはとても恵まれていたと言える。

 骨と皮だけになった体から、髪や金歯すらこそぎ落とされ、塵芥のように処分される様な人びとからすれば。


 この年、ポーランドに在住していたカイルの同胞たちのその75%が、ある最終的な解決方法によって処分されていた。


 そしてカイルは、その過程で狩り出された一人だった。

 善意によって匿ってくれていた家族が摘発されたからだ。

 彼らがどうなったかわからない。

 ただ最後の抵抗とばかりに逃げ出した彼の命運も、今まさに尽きようとしている。


 ドイツ軍の追手はもうすぐそこまで迫っているだろう。

 彼がどうすればいいと考えても、答えは出てこない。

 ただユダヤ人というだけで殺されようとしていることに対する苦しみが心をきつく縛っていた。


 財産も、身分も、人間ですらあることも奪われた一人の男が、生存のためだけに走る。

 だが、その走りもすぐに止まってしまった。

 目の前にはドイツ軍の兵士が居た。違う、それは将校だった。


「待て、ユダヤ人」


 恐ろしく冷たい声が、カイルの鼓膜を打った。

 死刑宣告のように、それは聞こえた。

 もう終わりだという諦観が体を硬直させる。

 カイルはその場に力尽きるように跪き、懇願した。

 心のままに、自殺的な言葉が口から漏れる。


「こ、殺してくれ」


 限界だったのだ。酷く疲れていた。もう嫌だった。

 今目の前にいる相手と同じ人種が、同胞を殺した瞬間を何度も見ていたのだから。

 だが、それを聞いた将校の表情は、声色と打って変わって感情のうねりを顕著に見せた。

 その顔の全体が、くしゃりと歪んだ。呆気にとられる。

 そうしている内にカイルは信じられないものを見た。

 自らの目を疑う、この将校が今にも泣きだしそうに見えたのだ。


「それは出来ない」


 どこか、震える声で将校は言った。

 将校はカイルと目線を合わせるように屈み、その細い体へと手を伸ばした。

 幼子に言い聞かせるように、ゆっくりと語りだした。


「さぁ立ってくれ、俺が部隊を呼び寄せないということを担保に信頼しろ、この先に車を待たせてある、それに乗って生き延びろ、いいね?」


 カイルは自分が何を言われているのか一瞬、分からなかった。

 さっきまでと、まるで立場が逆転している。

 将校こそが、逆に懇願するようにカイルへと頭を垂れ、生きてくれと言うのだ。

 瞬間、カイルの心に生まれたのは怒りだ。


 どうしようもない、やりどころもない怒り。

 脳裏では長い列車で運ばれていった幾多もの人びとの顔が浮かんだ。

 糞尿を垂れ流し、立ちながら死んだであろう人びとの顔、悲鳴、呻き。

 どれだけの子が。こいつは何を言ってるんだ。今更。感情たちが叫ぶ。

 だが何もすることが出来ない。

 言葉にすらならない感情をむき出しに相手の目を睨むことでしか表せない。

 将校は流れる鼻水すら拭わず、その目を真っ向から受け止めるように見つめ返して言った。


「頼む……生きてくれ……」


 将校はカイルの肩や腕を優しく支えると、彼を立たせて、小声であっちへ走れと言った。

 どうにかカイルはまだ走る力を残していた。だから走り始めた。

 感情を両足に込めて、だが、将校が裏切らないかと一瞬だけ振り返った。


 そうしてカイルは見てしまった。

 将校の両目からついに溢れだしていた涙を認めてしまった。

 カイルはイスラエルで生涯を終えるその日まで。

 森の中にいたあの将校を忘れる事が出来なかった。


 


 


 


 


 

 博打は好きだ。

 今ん所、パチンコもスロットもないから俺はこういう事で博打をするようにしている。

 チップは俺の地位と金と命。最高にスリリングだろう?

 騎手を殺すとヤジを飛ばしたり、その二本足は木の棒かと競輪場で怒声をあげなくていい分、更に良い。

 問題は多少の差別心がないと出来ないことだが、安心しろ。

 こと『現代』のドイツにおいては簡単だ。周囲を真似して同調すればいい。


「ユダ公どもは子供を人質にとりゃあいいんですよ」

「人質たあ、考えたな」

「そんな事しなくても脅しゃいいじゃないか、銃弾で一発、見せしめりゃ解決するぜ?」

「銃弾じゃあ、ユダヤ人の命より高くつきますよ!」

「そりゃあそうだ! ユダ公にはもったいねぇ! 」


 笑う、つもりで俺は口角を釣り上げた。演技も中々のものだろう。

 喉は勝手に笑いを発生させていた。

 周りの連中も大受けだ、こういうトークは脳みそを空っぽにすれば良かった。

 流れに同調するのは簡単だ。黒は黒といえばいい。

 思考を停止すること、考えるのをやめることが何よりも重要だった。

 ユダヤ人と叫んで石を投げるガキと一緒に出ていけユダ公と叫ぶ真似をしていれば嫌でも染まる。

 大して顔も姿も変わらん相手を六芒星のパッチを付けた程度で見分けた気になってな。

 それに周囲の人間と同じことをするのは楽しい事であるのを俺は否定しない。

 だがそれらを理性で括って制御するのが、人間と獣との違いじゃないか?

 俺は、周りの獣たちと一緒にそうして笑った。

 多分、俺は畜生として地獄行きだろうなぁと思いながら。



 たまに親衛隊のおえらいさんとの会食をしてると日本にいた頃を思い出すのはなぜだろう。

 ブラック会社に務めていた頃、付き合っていた反グレ連中と似ているからだ。

 俺含む、ああいう社会のゴミカス底辺共が、親衛隊という一級ゴロツキ証明書を得て成り上がった姿がこのザマだ。

 口笛吹きながら人間(相手はもちろんユダヤにスラヴやジプシー、不具を持つ人々)に発砲できる連中だ。

 うんまあそりゃあ似たようなもんだな、人間と獣は薄皮一枚で隔てられてるんだ。

 それらは容易に、加害者と被害者の立場をグルグルと変え、現代へと続き残ることぐらい俺でも知っている。

 それでも我慢ならないことは、我慢ならない。


 それだけである。


 山月記は真実の物語だ、こいつらは李徴みたいに真面目じゃないから賄賂が効く。

 酒と金と女と煙草、金だけはあるから俺はコイツらに賄賂を通して、『社会的実験』を進めている。

 ユダヤ人労働力の再利用という実験を。winwinだな、最後は俺も仲良く絞首刑か収容所の雪山だが、それまでいい夢見させやる。


「ユダ公は金の事ばかり考えては居ますが、いっちょ前に子供は大事にします、以前1組使ってみたんですが、まあけったいなことにこれがまあよく働きましたんですわ、疲れ始めたら子供の悲鳴を聞かせてやるんです、なんで今回30組ほど回収させていただきたいんですが、構いませんかねェ?」


 酒タバコ幾つかの紙幣、あのシンドラーも使っていた賄賂セットとも言うべきものをSSお偉いさん一号に無言で渡してやる。


「おぅありがとう、結構、結構、もってってくれやギャハハハハ」


 クッソ下品な笑い声を上げながらこうして簡単に人の命が俺の手の中に握られた。

 酒の席での口約束、ただそれだけでだ。

 毎日毎日簡単に殺していってるが、結局コイツラが管理してるのは数字だけなのだから軽くもなるか。

 実際に殺してるのは例えばこの前まで街のおまわりさんやってた連中ってんだから驚きだ。

 想像してみてくれ、交番のおまわりさんが特定民族だけ射殺してる姿、いっそ笑えてくるだろ。

 そんなクソみたいなことが常識の世界で俺は生きている。

 今もこうしてお偉いさんに媚びへつらいながら、何のためにやってるかって?

 人間失格にならないためだ、俺にとっての一線はそこにある。

 口からクソ垂れながらでも、あることをやってたら俺は人間なんだ。

 そう信じてる。これは俺の納得のための行動であって、人類愛じゃない。


 


 


 これが、俺の、抵抗なんだ。


 

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