第3話 生きるに値する命

深夜だった。

ふと、俺に生存権はあるのだろうかと考えた。

そういったアンニュイな考えが浮かぶのは、疲れている時に決まっていた。



ついに形となった『再利用局』は今日も大忙しだった。

商売と生産というものを錦の旗として掲げ、歯車の中へ特定人種を焚べる。

それを潤滑とするためのドサ回りを行う必要がある。

自宅の部屋でシュウェップスを飲んでたほうが100倍マシな会合の数々。

何度も何度も行ってゴマをすり、そして心のなかで中指を立てる作業。

代わりに反吐の様な文句が口から出る。

埋蔵資源をただただ埋めるのはもったいない、と。

埋めるのにだって人手や工作機械がいる、そんなものは無駄だ、と。

『もったいない』という概念を何十年も早く俺は持ち出して説いて回った。

ウチで作った化粧品の配布から、ドイツ貴族の婦人ども、そしてその旦那へ。

この啓蒙を初めて、今その実が成ろうとしている。

最悪な未来知識の活用方法の一つだ。

サボタージュも出来ないような製品を作らせ、その分だけ軍需生産を行えるようにと。

史実でもそうだったのだろう、俺にとっての現実もそうだった。



車の後部座席に沈みながら、俺は船を漕ぎそうになる。

運転を護衛のボーマンに任せ、ぼんやりと外の風景を瞳に映していた。

パーティーは現実と反比例するように豪華に、そして破滅的になっていっている。

第6軍は冬将軍、ロシアの大地と抵抗者に負けすり潰された頃だろう。

モルヒネデブは約束を守れず、ちょび髭は腕をハンドマッサージ機みたいにして。

ドイツ軍の常世と続くと思われた膨張の春が終わり、苦しく寒い冬がやってくるはずだった。


そしてまた、大勢が死ぬ。


そういった意味でも、俺は酷く疲れていた。

だから笑いながら、口からこんな事が出てくる。


「ふざけた話をする」

「はぁ」


ボーマンが欠伸とも返事ともつかない声を運転席で出す。


「俺が未来から来たってんならどうする?」


事実であり、与太話だ。

それも日本人が、ドイツ人の皮を被っているなんて思いもよらないだろう。


これでイタリアの服でも着てたら一人枢軸同盟の完成だな。

ボーマンが、俺が発狂したと判断してハンドルを道の脇の電柱に突っ込ませるバカみたいな妄想をしながら答えをまった。

当然そんな時は訪れず、返ってきたのは呆れたような声だけだった。


「そうですな、仕事を辞めるか考えます」

「ハッ、だよな」

「ユリウス・シュトライヒャーの紙くずのほうがまだ面白いですぜ、だいたい今それを言うのは唐突すぎる、伏線もない、説得力はまぁあるかもしれませんが」



ボーマンの趣味は──俺が文字を教えるがてら本を読み聞かせた事で──読書だったからか、そんな鋭い指摘が飛ぶ。

気まずい沈黙が車内に満たされた。

俺が滑ったみたいになってるな、なんとか言ったらどうだボーマン。

この時代にパワハラ概念は存在しないからそう促そうとした時だった。


「だから……アイツを助けたんですかい?」

「どこのアイツだ」



喉に刺さった棘を恐る恐る確かめるようにボーマンは俺に聞いてきた。


正直、心当たりが多くて、よくわからん。

この時代、いや現代だろうとそうだろうが陰謀が渦巻いてる世界だ。

戦争によって極限まで緩められたモラルが、闘争による殺害を厭わなくしている。

同性愛者疑惑だの事故、暗殺だの手段を問わない。

俺は見込みの有りそうな奴や、『趣味』に付き合ってくれそうなやつを早々に影から引っ張っている。

その中の誰かだと思っていたが、想像とは全く違った奴が出てきた。


「あいつです、アホのブルーノ」

「あぁ、アイツか」


そこでやっと合点がいった。



今アホのブルーノと呼ばれたのは、ブルーノ・ルトケである。

窃盗などの常習犯であり、そして……軽度の知的障害者だった。

奴は15年に渡り51人もの女性を殺害した恐るべき連続殺人者だった……らしい。


この『らしい』というのが争点だ。


戦後に捜査がガバガバだったんじゃないか?という指摘がされ始めた。

唯でさえ知的障害者は、警察の誘導尋問、自供に耐えられないことがある。

警察側の持っている正しい答えにたどり着かせるために、はいはい答えさせたんじゃないか?ということだ。

悪名高いT4作戦などで清廉潔白な、素晴らしい世界のために障害者を消していた優生思想。

それにどっぷりな刑事が担当してたのなら偽証に加速が掛かるってわけだ。

西洋の紅林麻雄も名乗っていいぞ。



史実でブルーノが捕まったのは今年(1943)。

ドイツ国民がどうもこの戦争の雲行きが怪しいんじゃないか?となり始めていた頃でもあった。

障害者を絶滅しようとした、党への信仰心をより高めるための生贄にされたのではないか?なんて話も囁かれたという。



一時期、俺は残虐な連続殺人犯の解説動画を多く見ていた。

ルトケもその中に登場して、強く印象に残っていたというわけだ。



なので俺はボーマンを初めとした者たちでブルーノを監視させた。

地道な日々だった、古式に従って足で稼ぐというわけである。

万が一というか実際はどうだかわからんので、実力行使案もあった。



ボーマンらは元フライコーアだった。

戦後の日本が統治機構を骨抜きにされて治安維持をヤクザに頼った歴史の様に。

ドイツではWW1後に兵隊崩れを大いに雇いグチャグチャの闘争を繰り広げていた。

その中で活躍したのがボーマンのようなフライコーアと呼ばれる人びとである。

荒事には慣れているという事だ、何かあればブルーノを合法的に黙らせたっていい。


作戦は決行に移された。

では、実際にどうだったのか。









限りなく、ブルーノは白に近かったのだ。


監視期間中に、都市では性的暴行を受けた女性の死体が幾つか発見された。

ブルーノにはどうやってもアリバイがある状況にも関わらず!

奴は犠牲者だった! それも殺人犯は野放しのままで!

一頻り最悪な気分になってから、俺はブルーノを『地下』に連れて行くことにした。

障害者がひとり居なくなった所で、誰も気にしない。

それが事の顛末である。



「未来から来たってんなら、アイツは本当だったらどうなってたんですか?」

「聞きたいか?」

「ええ」


俺は、奴が捕まった場合の未来を語る。

ボーマンは運転をしながら、それを一言一言、聞き続けた。

偽の自供を謳わされ、拷問と人体実験の末に死ぬと伝えきった。

妙な感覚だった、考えてみるとボーマンは特に俺の話を否定していない。

ただ俺に話をさせ、黙って聞いているだけだった。



そうしている内に、いつの間にか社宅に着いていた。

ボーマンは無言で、何時ものように車のドアを開けてくれた。


「ありがとう」

「いえ」


ボーマンは、頭を下げ続けた。


その過剰な態度に、俺は首を傾げながら早々に家に帰る。

いよいよ気が触れたんだと言いふらされてないか、落ち着いた翌朝は気にはなった。

だが、何もなく日々は過ぎていった。

いつも通りの護衛と送迎の仕事をボーマンは行い、読書の話を交わしながら。









ボーマンがブルーノの遠い親戚だと俺が知ったのは、だいぶ後のことである。

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