第7話 1割の王冠

両親が、突然思い出したように形骸化した婚姻を破棄した頃。

父親は何処へ行ったのか、俺の生活からすでに消えていた。

蒸発ってやつだった、まぁ浮気相手のところにでも行ったのだろう。

それ以降の生涯で会ったことはない。会おうと思ったこともなかった。


一方、母はますますカルトへとのめり込んでいった。

俺は自分の背中が固くなることを受け入れはじめた。


ある時、バイトをしようと思ったことがある。


金を貯めるためだ、あの家から脱出するための。

人との関わり合いというのが苦手だったが、俺なりにホールの仕事を頑張った。

初歩的な仕事を覚え、何とかやっていけそうだと思った矢先、母が職場に乗り込んできた。

あの時は人生最悪の時の一つに数えられるだろうな。

店長からは事情を隠していたことを詰られた、申し訳なかったと思う。

母親としては、俺が外のコミュニティに染まることを警戒したのだろう。

計画は頓挫した、あそこが2番目の挫折だったかな。


それからは一層、抑圧は続いた。

無給でカルトの手伝いに行かされた事もある。

互助会のようなものがあったのだ。無料で家具や衣服を与えたり、与えられたり。

信者同士が助け合い、勉強会などで教えを深めるというお題目。

ああ、マトモな所も、もしかしたらあったのかもしれない。

だがそうじゃなかった、あれは一種の権力闘争の現場だった。

より上位の家族への敬意を払い続けなければ、地位が悪くなる。

ある意味でここでの経験が今生で活きたのかと思えば、無駄ではなかったかもしれない。

そうして碌でもない少年期を俺は過ごしていった。


友だちもできたが、総じて可哀想な奴らだった。

親からは将来の結婚する相手を、別の信者の子供と定められていたもの。

まともに学校に通わせてもらえず、遠足にも行ったことがないもの。

親の信仰心に殉じさせられ輸血を拒否され、一晩中病院で苦しんだもの。

そうして俺にとっては、不幸な人びとを見る事が救いになっていった。


勉強との名目で、父が残していったPCが俺の窓口になった。

この点だけはあの男に感謝している。


自分の精神が色褪せ、生きることが苦痛となっていく度に。

俺は、ネットで色々なことを調べた。

歴史の厚みの中には素晴らしいことが1割あれば良いほうだった。

第二次世界大戦のノンフィクションを読んだ。

悲惨な民族紛争のドキュメンタリーを見た。

連続殺人鬼たちの残忍な犯行の解説動画を見ながら飯を食った。

悍ましいフィクションの映像を見ては、気絶するように眠った。


それこそが、救いだった。


自分より不幸な人びとを見ること、が。

今思えば笑えてくるくらい根暗だったな。

自分がまだマシだと信じようと……信じ抜こうとしたんだ。

愚かしく、後ろ向きな傾向を得て、俺は自己救済への道を歩もうとした。

そこでナチスの蛮行を幾つか知ったのだから……因果なものだ。

それが役に立つなんて、いや、だからこそなのか。

性根を叩き直すため、こんな場所に俺を叩き落としたのかもしれなかった。


もう十二分に、不幸な人びとを見ることになったのだから。













「トミオは、歩けるようになったのか」

「ええ、義肢屋の知り合いがいたんです」

「いた、か」

「奴は矯正具も作ってました、なので簡単なものを作ってみたんです、本人が呼べれば良かったんですがね……」

「……」

「パルチザンに参加して、暮らしていた村ごと焼かれました」

「そうか」


医師のモーゼスとベンチに座りながら荒んだ話をする。

現状では、珍しくない話だった。

いや、まだ優しい頃の話になるのだろう。

あのラインハルト・ハイドリヒが”まだ”死んでいないのだから。

死んだ後が、苦難の歴史が加速することになるのを俺は知っていた。




視線の先、トミオが変形していた足に器具をつけて歩き回っているのを眺める。

ぎこちないのだが、一本足でやっていた頃から考えれば直に走れるようにもなるだろう。

まだまだ自立に向けた最初の一歩に過ぎないが。

将来的には一人前になってほしいと考えている、彼に親はいないから、


何処からか、楽しそうな子供たちの笑い声が聞こえてくる。


たまに地下の住人をピクニックに出す事を、俺は緩やかな規則の一つにしていた。

無論、朗らかな集まりというわけでもない。

人間は太陽の光を浴びないといけないからだ。

地下に籠りっぱなしというのも精神衛生上、良くないだろうという素人考えもあった。

子供たちが森の中で遭難しないよう職員を配置して、この時ばかりは目一杯、遊ばせてやるのだ。

玩具ばかりが、彼らを慰めるのではない。

本当は両親たちがいたのならば、それが一番なのだが。


こうして地下で勉強して、力いっぱい外を走り回らせ、たくさんの友達と遊ばせることが、仮初の慰めになるのであれば……。


ああ……俺は、自分は”こうしてほしかったのかもしれない”。


「ハハハ……」

「社長?」

「いやすまない、俺は、俺の個人的な復讐に君等を巻き込んでいるのではないかと思ってな……」


モーゼスが、怪訝な顔で俺の顔を伺った。


子供たちが歌っている。幻想的な風景だった。

戦争などないように花畑の中で追いかけっこをしている。

何処からか緩やかな風が吹いて、心地が良かった。


「彼らには一生、争いや醜いものなど知らぬように生きていてほしい……」


そんな光景を見ていたせいか、らしくもない言葉が口から出てしまった。

モーゼスは少し考えた後、治らない病を告げるように俺へと言う。


「……難しいでしょうな」

「ああ、知っている……知っているとも……」


あれだけ死んだ第一次世界大戦で、人類が懲りることがなかったんだ。


大量殺戮が横行し、魔術的な幻想が機関銃にガスと鉄道によって押し消されたとしても。

第二次は、一人の子供が大人になる時間ほどしか経っていない時から始まってしまった。

たったそれだけで人は忘れてしまう、あらゆる苦しみも死も。

悟ったように思っても、喉元を過ぎてしまっては次の戦争への布石にしかならなかった。

それ以降も、地球上では俺の知っている戦争も知らない戦争も山程起きてしまう。

歴史書やWikiに載らないような小規模な争いなんて星の数ほど起こるだろう。

人類は愚かなんて一言で片付けられれば、歴史書も厚くならずに済んだだろうな。

もしかしたならばこの中にいる子供たちが、あの中東での血まみれの歴史に加担するのかもしれないと思うと、何だか俺は気が狂いそうだった。

同じ歴史を辿るのかわからないが、それだけはやめてほしかった。


「それでも……せめて此処ぐらいは……と思うのだ」


俯きながら言う、弱音が自分の中の芯を削りだしていく気持ちだった。

不幸を喜んでいた立場の人間が吐ける言葉ではなかった。


「欲張りな社長らしい考えですな……ほら、来ましたぞ」


何かに気づいたモーゼスが、自然な笑みを浮かべて言った。


トミオが足を少しカクつかせながらも、こちらに駆け寄ってきていた。

何時ぞやに見た無関心な表情が、そこからは消えている。

上手いことベンチの前に立ち止まると、モーゼスと俺に両手に持った2つの花の冠を見せた。

トミオは自らの頭を指した、そこで察しの悪いことだがモーゼスと俺は頭を下げる。

何かが載る感触があった、隣を見るとモーゼスの頭に花の冠が置いてある。


「ありがとう、トミオくん、カイザーになった気分だ」

「作ってくれたのか、スゴい、スゴいなぁ、ありがとうトミオ」


俺たちはトミオにめちゃくちゃに感謝の言葉を投げかける。

そうすると彼は一礼して、どこか気恥ずかしげに去っていった。


「こういう喜びに感謝して満足することが長生きするコツですぞ、社長」

「ああ……」

「そうして長生きしていけば、彼らの世代が作る、そんな楽園を見られるやもしれませんから……」


その慰めの言葉を聞きながら、俺は自分の頭に載っているであろう花の冠が、とてつもなく重く大事なものに思えていた。

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