第14話 弔鐘は遠く

男が一人、歩いている。


ドイツの黒き森、そのものを体現したような場所を一人で。

男は、自らの護衛を森の入口に置いて歩いていた。

年を取った護衛はそれを理解し、静かに頷いて佇んだ。

毎年この日になると、どんなに忙しくとも男は森に入っていたのだった。


数十年前のある裁判において、海外へ逃げるものが続出する中で男の友は自ら出頭し、確固たる資料を幾つも提出した。

それは道連れとして多くの党員や幹部を吊し上げる様な物で、連合国側の戦犯リストは大きく膨らんだ。

だが救いがたいことに、ユダヤ人や迫害された人びとへのホロコーストの肯定を”わざとらしく”繰り返し、友は罪状を更に重ねた。

一方で証人として挙げられた人びとは、彼への肯定的な意見も、否定的な意見のいずれも述べなかった。

裁判官らは統制にも関わらず僅かに溢れてしまった助命嘆願を考慮に値しないものとして握りつぶしていた。

有罪とすべき証拠があまりにも多すぎたからだった。(それは被告自身が自身の有罪の証拠を提出していたのもある)

当然のように、死刑が確定した。

記録によれば友は判決が下った際に、一転して安堵したようにゆっくりと息を吐いたという。

それが、人びとが知れる中での彼の最期の様子であった。


「クソ、寒いな……」


男は、自らの友が眠る場所を知らなかった。

手を尽くし混乱期の情報を集めても、その場所が具体的にどこかはわからなかった。

ただ、この森のどこかである事しか。

絞首刑の後、他の戦犯の遺灰とともに撒かれたという僅かな証言だけが頼りだった。


男は歩く。


昔であれば何ともなかった森の獣道も、かなり苦労するようになった。

片手には、友人がよく呷っていた酒が2本入った袋を下げていた。

男の名はサウルという。

彼の遺した遺産と企業を引き継ぎより巨大化させた、新しい王だった。

慈善活動家としても、その名を有名にしていた。

戦後復興に忙しいドイツだけでなく、極東のある国でも活動しつつある。

中東の某国にもその手を差し伸べながら、しっかりとした地盤を作り始めていた。


「面倒くさいところにしやがったな……」


毎年のように吐く恨み言に熱はあれども、やはり寒かった。

歩き疲れた所で、やっとこさ森の中を通る小川へとたどり着いた。

そこが一応の、彼の墓とも言うべき場所だった。

なんてことはなく、ただサウルが勝手に決めただけである。

あの馬鹿には……勝手に一人で背負い込んで逝ってしまった馬鹿には。

雑にそれぐらいしてもいいだろうという気持ちがサウルにはあった。

手頃な場所に腰掛け、袋の中身をサウルは取り出す。

2本あった瓶の内の1本はサウルが開けた。

もう1本も開封したが、それを飲むものはこの世の何処にも居なかった。

ただ一人、語りかけるだけだった。


「今年で、地下の子供たちは皆、大人になった」


聞かせる相手も居ない、この世の何処にも居ない相手への言葉が紡がれ続ける。

事故などを除けば、地下の子供たち、353名は全員が無事に大人になれた。

その中で少なからずの子が、親とも再び再会を果たすこともできた。

戦後の混乱期を思えば、それは何らかの奇跡が働いたとしか思えないような物だった。

実際のところ、遺産を使ったサウルや医師団、職員たちが這いずり回った結果ではあったが。

これでようやく約束を果たせたという事を、サウルは伝えたかったのだった。

そして今も残り続けた重すぎる枷を、外す時が来たという事も。


「トミオにはアメリカの子会社を任せてな……奴は立派になった、いつか跡を継がせたいと思っている……」


だが彼が書き残した未来のインターネットとやらの発達は自由陣営の盟主となるであろうアメリカでも遅すぎる、とサウルは知っていた。

情報の伝達に恐ろしく寄与することになる技術は、まだその萌芽を見せ始めたばかりであった。

それに普及を待って悠長なことを考えていられないと、サウルは前々から考えていたのだ。


友の最後の約束に対する、サウルなりの反抗を。

サウルは一息に自分の酒瓶を飲み干し、口火を切った。


「なァ……考えなかったのか……俺達がどんなに悔しい気持ちになるのかを」


それは遺されてしまった人びとの総意であった。

命を救われた人びとは、なにも子供たちだけに限らず大勢居た。

莫大な遺産は今も恵まれない人びとや計画のために使用され続けていた。

未来の知識は喪われるはずの命を救うための力を人類に与えている。

死してなお、友の命は走り続けている、なのに。

それを成し遂げた友にして恩人は、歴史書に悪鬼として刻まれ貶され続けている。

建国間もないある国が掲げた『諸国民の中の正義の人』にすら、その名前はない。

邪悪として名前が囁かれる時、サウルの心はその度に痛んだ。

映画の中には、彼が悪役として登場したことすらあった。

サウルの腸が煮えくり返ったが遺言のために沈黙を守った。

だが。


「俺は……もう止まらんぞ……」


しかして、その決心はこの地にてすでに綺麗さっぱり無くなっていた。

何時ぞやの、冷え切った便所のタイルの上に零していた彼の言葉を借りるのであれば。

これがサウル自身の”クソッタレな遺言に対する抵抗”だった。


「……ボーマンやヘルマ、死んじまったモーゼスさんにも同意は取った」





泣いているような笑みを浮かべながら、サウルは宣言する。


「お前の人生を丸ごと映画にしてやる!!!」


「本にもだ! あらゆる証言を纏めて、お前の悪名を世間からふっ飛ばしてやる!!!」


地下で言葉を教えられ学んだ子供たちは、ある少女の提言によって日記をつけていた。

それらは大事に、今日のような日のために保管されていたのをサウルは知っていた。

誰も彼もが彼の汚名を濯ぎたかったのである、気持ちは皆同じなのだった。

親を失った子たちであろうとも、自らの命が救われたことに異論はなかった。

グループの傘下には勃興激しい映画会社や出版社が当然のごとく含まれていた。

彼らの力を大いに活用する時が来たのである。


「きっとお前なら自分はそんな人間じゃないって言うだろうな……だがな! それが俺達を苦しめた罰ってやつだ!」


「お前が裁判で自身の罪を全て白日のもとに晒したとしても、お前がどんな思いで俺達を助けたか、ナチスの豚どもにゴマすりしながら唾を吐いていたか、心にも無い演説をぶち上げて一人便所でゲロを吐いていたか……!」


「ナチスの名前なんざ知らない奴らだろうと、ポップコーン片手に、永遠にスクリーンで見られるようにしてやる!」


「アメリカから逃げてきた連中はそのために確保している、その中には映画監督だっているぞ、子供たちの中には俳優を目指しているやつだっている、スポンサーは全てお前の会社だ……お前はもう何処にも逃げられやしない まいったか!? チクショウめ……」


言い放った後、サウルは粗くなった息を吐きながら座る。

息は白く、天へと昇り続ける。果たして届いただろうか?

ならばと、サウルは空を見上げて一言だけ呟いた。



「許せよ……親友…………」
















未だ戦火の傷跡深く、戦争の記憶が浅からぬ時代だった。


主演となる『彼』を演じる俳優の選考は大変だった。

ナチスの親衛隊将校が主役で、その半生を肯定的に描くというのだから在野ではやりたがるものはいなかった。

だからこそ赤狩りから逃れ、廃業を考えていたドイツ系の俳優が選ばれる事となった。

当時の合衆国政府に中指を立てるようなものだが、ユダヤ系の政治力が物を言った。

スポンサーはある企業グループのみで行うという、あまりにも豪気なものである。

制作費用も湯水のごとくあり、また当時の関係者らは手弁当で映画に参加し、人びとを演じた。

制作陣は赤狩りの鬱憤を晴らすように、しかし史実を守るよう厳命され画を作っていった。

そして数ヶ月の撮影期間を経てクランクアップし、試写が行われた。

映画の内容を見たスポンサーの社長は、暫くの間、一人で試写室を借り切ったという。


放映はスポンサー傘下の映画館のみならず、格安で全世界の映画館に権利を売り払われ、封を切られた。

制作費と比べれば得られる収益はすり減っていただろうが、最初から興行収入なんてものはスポンサーは気にしていない。

ただあまねく人々の目に届くことだけを目的とした、ある種の戦いだった。

同時に、出版社では地下で生活した者たちの証言を纏めた本が翻訳され出版される。

俗にホロコースト研究史の中で『告発の日』と呼ばれる一日は、そうして始まった。

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