第5話 例え報いが訪れるとしても

俺は、宗教が嫌いだった。






ああ、そうだ。

ずっと嫌いだった、日本人として生きていた頃から。


元々、崩壊していた家庭だった。

より最悪となったのは父の浮気、破綻した母親があるカルト宗教に入信した時からだった。

帰るのが嫌だったのだろう、家を空けがちな父は俺を守ってはくれなかった。

俺は、母親の生贄になった。逃げることは思いつけなかった。

参加したくもない行事に参加させられ、同じ境遇のガキからイジメられた。

きっとそのガキたちも不満が溜まっていたのだろうと、今なら思う。


そのカルト宗教の教義によって学校行事への不参加をまず強いられた。

仲が良かった友達とも疎遠となった、孤立する気持ちを俺はそこで初めて知った。

きっとそうなったほうが、よりその宗教へとハマるからだろう。

後年知った技術にも、それに類似したものがあった。

対象を既存のコミュニティより孤立させ、自分たちに依存させる。

悪辣なことに、それらを教義として固めていたのだった。

自己を増殖するための本能のようなものが、カルトを一個の生命体にしていた。


何より我慢ならなかったのは、身体的な虐待が教義によって加えられたことだった。

母の精神は信仰と狂気の狭間へ転落して、一層ヒステリックさを増していった。




あの女の感情の捌け口の先には俺しかいなかった。


皮のベルトによって、何度も背中を打ち付けられたことがある。

理由は……何だったか、机の上にお絵かきノートか何かを出しっぱなしたからだったか。

初めてそれをやられた日、俺は背中が爆発するかと思って腹ばいになりながら床を濡らした。

制止の声も、何時かは行った遊園地の思い出も、どこかで食べたハンバーグも全ては無為に。

教典で言うところの愛や救いや勝利は、真っ暗闇の押入れ天井のどこにも見つからなかった。




あの日から、俺の人生というものの行く先が変わった様に思う。

そういった物を一緒くたに嫌いになり始めて、心底、軽蔑しては唾棄した。

誰も助けてくれなかったのならば、自分が自分を救うしか無いと感じて。

そして、あの環境から抜け出すために俺は勉強をして、勉強をして、勉強をして…………。














「クソ……最悪な事をやる前まで気分を最悪にしてきやがって……」

「車の後部座席で寝るのはやめたほうが良いですぜ、夢見が悪い」

「だろうな……だろうな、ボーマン!」


それからどうなったかと言うと……”こう”だ。


今生の最初はどうしようもない苛立ちが原因で当たり散らしそうになった。

よりにもよって地球上で最悪な時期の最悪な場所の最悪の国に産まれ落ちたからだった。

アフリカの少年兵、ジャガイモ飢饉のアイルランド、ホロドモール中のウクライナ。

最悪なところなんてどこの時代にもあったなんてわかりきった事、言うなよ。

今この場にいる俺にとっての最悪とはここだ、この現実が最悪だった。


わかっている、今生の両親に罪はない。

あの二人は……俺にもったいないくらい立派な人だった。

豊か、裕福、そういった物が精神を柔らかくしていた。

だが俺は子育ての楽しみすらあの人達から奪っていただろう。

きっとつまらなかったのかもしれない。


幸せになってもらいたかった、こんな親不孝者を立派に育てようとしたからな。

ボーマンが俺の顔色を伺いながら聞いてくる。


「どうします? 向かいますか」

「無論だ、これは俺の仕事だ」

「……社長は、難儀ですな」

「代わるか?」

「遠慮しときます」

「なら最後まで、俺に任せておけ」


今日は第一リサイクル工場への補給だった。

最も古く、最も過酷な場所での業務に就いた者たちへ、俺は届けるものがあった。







工場の門を抜け、喧騒の中へと俺はボーマンと進む。


ここを見る労働安全管理がいたら、その場でショック死して労災事案に載るだろう。

今の時代、どこもそうかもしれないが、此処は群を抜いて酷い。

一種の処刑装置のように稼働する工作機の海と熱波の中で、次第に何かが見えてくる。

細身の体、変色した肌、玉のような汗をビッシリと纏い付かせながら動く。

動いているのは単純機械たちだ、此処にいるのはだいたいがj式である。

この国の書類上で見るのなら地面の穴へと繋がる何処かへ運ばれるべきだった貨車の積み荷たち。



何処かのドキュメンタリーの話だ。

ホロコースト生存者たちが口々に語っていた。

あの大それた処刑に掛けられていたコスト、エネルギー、物資、人員。

それを全て軍事力に回していたら、第三帝国の寿命はもっと伸びていただろうと。

だがそれでも、史実の彼奴等はそれをやった。

ナチス党の根本にあった命題を熟すために淡々と。

WW1世界大戦で味わった苦渋の全てを押し付けるために。

背後の一撃を行った犯人たちへの正当な復讐として。


俺は本当にこれで良かったのかと、思う。


その流れを、俺は一部で捻じ曲げた。

政治的、金銭的、そういったパワーによる強引なねじ込みによって確立した再利用局。

その建前はもったいないだ。『彼ら』を極限まで利用するために。

便宜上、彼らは人間ではない事になった。自ら考え動く単純機械。

人間だった存在は死んだことになったために。員数外の工業補助のために投入される。


そして俺は大量の人間を移動させる事ができる権限を手に入れた。

誤魔化すための大掛かりな仕掛けたちが、再利用局の正体だった。


だから俺は、それらを束ねる制御装置にその時が来たと伝える。

班ごとに別れ、ローテーションで離脱させる。

工場の奥にはスペースが設けられている。

壊れた機械の搬出口の隣で、俺は制御機械にそれを渡した。


「皆元気だ、引き続き文字と数学も教えている」

「伝える言葉があれば、数字を伝えろ、隣のものが書き留める」

「悔いのないように、悔いのないように」


それぞれに手渡すのは写真と1枚の手紙、もしくは文字が書けない子は絵を。

紙とペン、番号札で持って識別し、地下へ俺が届ける流れだった。


ここで初めて機械たちは人間に戻る。

声が聞こえる、聞くに耐えない声だった。

これで良かったのかという幻聴も聞こえる。

どうしても生贄を捧げなければいけなかった。

シンドラーより規模を大きく、隠蔽の度合いを上げるためには誤魔化しを行わなければならない。

機械なんて事は方便である、危ないギャンブルには今のところ全て勝っていた。

全員が子どもの安全と教育と戦後の移送をエサとして従事させている。

独身者も複数いた。不平等な契約を彼らはすんなりと飲むか、肩代わりのため志願し、此処にいる。


「そうか……27ヘンリー44パウルか……」

「はい」

「1時間だ……俺が面倒を拘束する、正式に弔ってくれ」

「はい」


感情を未だ取り戻すことのない瞳で、ラビの制御機械が俺に告げた。

当然犠牲は出る、それは何らかの事故か過労死によって。

その死体を弔わせ、後に成果として提出して一時しのぎとする。

数千の死体が灰となる場と比較してこの機械はこれだけ生産して使い潰しました、と。


第一リサイクル工場は、その見せ札だ。


この地にも神はいない。

それでもラビは、正式な儀式を行おうとしている。

失われたものへと報いるために。










あんなに祈っている彼らが救われないのだから。

やはり俺は…………宗教が嫌いだ。

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