第24話 坂本龍馬 4/5
店の裏の路地で地べたに座り込み、しばらく沈黙が続いた。桂は思い切って以蔵に質問をしてみた。
「何か機嫌が悪そうだな。何を怒っている。龍馬というのは、坂本龍馬殿のことか。ひょっとして、坂本殿と仲が悪いのか」
「相変わらず遠回しにものが言えんやき、おまんは。龍馬とは幼馴染で仲は悪くないきに。わしが人斬りをしちゅうことが気に入らんきに、人斬りをさせんように、わしを江戸に追いやった張本人ぜよ。でも恨んでなんかいやーせんぜよ。わしが気に入らんのは、あの女将ぜよ。あの女と話しちゅうと、いつも何やら上から見られちゅう気がしてならんきに」
「それはあなたの偏見ではないのか。」
「いやほがなことはありゃーせんきに。あの女はそういう女ぜよ。おまさんみたいな育ちのええ人間にゃ、虐げられて生きてきたもんの気持ちなんぞ、わかりゃせんぜよ」
「またそんなことを言うのか。私は上士の生まれではないと、言っているではないか」
「もーええぜよ。わしはどうせ下級武士で、汚い野良犬みたいな人生しか送れん、しょーもない人間ぜよ」
「何を子供みたいに拗ねているのだ」
二人が険悪なムードになってきた時に、龍馬が戻ってきたと、裏口までお登勢が知らせに来てくれた。以蔵は足早に寺田屋の間口へと向かった。
「おー以蔵やき、江戸にいたがやないがかえ。何で京に戻ってきたぜよ。おまんは江戸におったら安全やったきに。捕まったら殺されるぜよ。それに、何なが、その乞食みたい恰好は。まあええ、上がって茶でも飲んで行くがかえ。お登勢、茶を運んでくれるかえ」
龍馬はわざわざ危険な京に舞い戻ってきた以蔵を咎めつつも、約二年ぶりの再会に顔をほころばせ、寺田屋の二階にある自分が寝泊まりしている部屋へと案内した。乞食風の男を二人も座敷に上げることに、お登勢は苦い顔をしていたが、龍馬はお構いなしだった。
「おまんが江戸に行かんといかんように仕組んだがやき。まぁ、ほがなことはどうでもええ。頼みがあるぜよ」
龍馬の部屋に座り込むなり、以蔵は不満気に言った。
「久しぶりに会うたと言うがやき、いきなり何なが」
龍馬は以蔵の不躾な態度にむっとして言った。しばらくして、お登勢が急須に入れたお茶を運んできた。
「こん人を知っちゅうがやき」
以蔵が連れて来た人物を、龍馬はまじまじと見た。
「さてどなたやったかえ、どこかでお会いしちゅうがかえ」
桂の顔を見ても、龍馬はかつて激闘を繰り広げた好敵手・桂小五郎だと、すぐに思い出すことができなかった。
「お久しぶりです。桂小五郎です。江戸で対外試合をしたことを覚えておられますか」
桂は自分から名乗った。
「おぉー桂さんかえ。懐かしいぜよ。けんど、何ながその乞食みたいな恰好は・・・。まぁ酒でも飲んで行かんかえ」
龍馬は以蔵をそっちのけで、以蔵にはお茶を出しておきながら、桂には酒と肴をもってくるようにお登勢に頼んだ。龍馬は桂との再会を喜び、自分の仕事は後回しにして、酒を酌み交わそうとした。しかし、桂たちには、その余裕はない。
「龍馬、わしらは急いじゅうがやき。のんきに酒を飲んじゅう暇がないがぜよ」
「何なが両人とも久しぶりに会うたっちゅうきに、わしの酒の相手をする暇もないほど、何をほがーに急いじゅうがかえ」
焦る以蔵を前に龍馬はのん気そうに言った。しばらくすると、お登勢が酒と三人分のお猪口を持って龍馬の前に置いて行った。
「おまんらぁ、人に頼み事するには道理ってもんがあるがやき。わしが頼まれれば、なーんちゃでもすると思っちゅうがかぇ。その前に桂さんに聞きたいことがあるがぜよ」
龍馬はそう言うと、猪口に入れた酒を飲み干した。桂は龍馬の言わんとすることを悟り、背筋を伸ばし神妙な顔を繕った。
「桂さん、おまさん、新選組が池田屋を襲撃した時に、その場におったそうな。何で仲間を見捨てて逃げたがかえ。わしの大切な仲間も、そこで死しでしまっちゅうがよ。わしが知っちゅう桂小五郎は、どがな相手にも逃げんで、真っ向勝負をする男じゃったが、いつからほがな卑怯もんになってしもうたがぜよ。ほがな自分の仲間を見捨てて、自分だけ助かろうとするような人が、さらの日本を作って、武士だけやのうて、町民も、農民も、日本人全員を幸せにすることなんてできるがかえ」
龍馬は桂に食って掛かるように言った。
「龍馬ぁ、その話は後でええがやき」
龍馬の質問に以蔵が割って入った。以蔵は、望月亀弥太という龍馬が可愛がっていた土佐藩士が、池田屋での集会に参加して新選組の襲撃に会い、命からがら難を逃れて長州藩邸に助けを求めたが相手にされず、藩邸の門の前で腹を斬って自害したことを知っていた。龍馬が桂に言いたいことが、以蔵にはよくわかっていた。しかし、そんな議論をしている時間は、彼らにはなかった。
「いや、龍馬殿のおっしゃる通りだ。誠に私は卑怯なことをしたと思っております。申し開くことは何もございません」
桂は言った。
池田屋で新選組の襲撃が開始された際に、実は桂も抜刀して、他の浪士たちと共に戦闘態勢に入っていた。しかし、その場に居合わせた長州、土佐脱藩浪士たちが、自分たちの身を守ることも厭わず、数人で桂を羽交い絞めにして、池田屋の二階の物干し場へと連れ出し、池田屋の屋根へと放り投げたのである。他の浪士たちは、桂が逃走する時間を稼ぐべく、全員で新選組との戦闘を始めた。だれ一人逃げることなく、真正面から戦いを挑んだ。
「逃げろっ、私たちに構うなぁ、後のことは頼みましたよっ」
一人の藩士が桂に言った。
「桂さん、日本を、日本を頼みます。新しい日本を必ず作ってください」
もう一人の藩士が、そう言いながら、桂が被ってきた編傘を投げ渡してくれた。皆、桂を笑顔で見送ると、抜刀して奥座敷に駆け戻って行った。
「馬鹿なぁ、私も戦う!」
桂は叫んだ。
「おれたちの死をむだにするな!」
「行けっ、振り返るなぁ!」
「桂さん、おれたちの夢、あなたに預けたぞ、行けっ!」
姿は見えない。建物の中から声だけが聞こえた。残った浪士たちは、刀を構えながら桂を逃がそうと必死に叫んだ。やがてその声も聞こえなくなった。
「すまないっ、すまないっ!」
桂は気が狂ったように、まるで迷子になった子供のように泣きわめきながら、屋根の上を走り出した。騒ぎを嗅ぎ付けて集まってきた町人たちの目を憚ることなく、大声で叫びながら走った。
このことは生き残った桂以外のだれも知らない。憤る龍馬をなだめ、一刻も早く幾松の援助を龍馬に承諾させなければならないこの場面においても、桂は何一つ言い訳をすることはしなかった。
「一つだけ言わせていただきたい。私も死ぬ覚悟はできております。成すべきことを成し遂げれば、改めて死んでいった同志たちの跡を追います」
桂は龍馬にその一言だけを告げた。しかし、龍馬はこの一言を聞いただけで、全てを悟った。そこには、剣を交えた者にしかわからない感覚があった。
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