小五郎は逃げない

昭真

第1話 逃げの小五郎 1/6

 京の町は豪雨に見舞われていた。丸二日間降り続いた雨は、一向に止む気配がない。夏の嵐はこれから始まる武士たちのプライドを賭けた死闘の始まりを誘っているかのようだった。


「まだ見つからんのか!」 

 大雨の音を掻き消すかの如く、新選組副長・土方歳三の怒号が鳴り響いた。新選組が池田屋を襲撃し、討幕派の浪士たちを一網打尽にしたが、最重要人物である長州藩の桂小五郎を取り逃がしてしまった。大失態である。新選組の必死の捜索にも関わらず、襲撃から二日が経った今もなお桂小五郎を見つけ出すことができないでいた。


 池田屋での討幕派浪士たちの集会に桂小五郎が現れるとの情報は、新選組の諜報員である山崎丞が事前に掴んでいた。それに張り込みをしていた山崎は、桂が池田屋に入って行く姿も確認していた。しかし新選組が斬り殺した、もしくは捕まえた浪人たちの中に桂の姿はなかった。山崎が騒ぎを聞いて駆けつけた町人たちに聞き込みをしたところ、池田屋の屋根伝いに刀を持った浪人風の男が走り去る姿を目撃していた。その男が桂小五郎であることに間違いない。新選組はすぐに見廻組や会津藩士の協力を得て、桂の捜索を開始したが、連日連夜京の町中を捜索したにも関わらず、何の手掛かりも掴めないでいた。土方の苛立ちを降り続く大雨が煽った。とばっちりを食らったのは、捜索から壬生の屯所に一時戻ってきた一番隊隊長・沖田総司だった。沖田たちは、池田屋襲撃の後から大雨の中で捜索を続け、全身ずぶ濡れで戻ってきたばかりだった。

「総司、おまえが付いておきながら、何をもたもたしているっ!」

「いやいや、京の町中探し回ったのですが、どこにもおらんのですよ。本当にやつは池田屋にいたんですか、歳さん」

「泣き言を言うなぁ。やつはまだ京の町に潜伏しているのは間違いない。それにやつは捜索に加わった会津藩士を、三人も斬った疑いがある。そんなやつを取り逃がしたって世間に知られたら、新選組の存続すら危うくなる。わかっているのか、総司。飯食ったらさっさと探しに行けっ」

 土方の檄が飛ぶ。幼少の頃から土方との付き合いがあり、怒鳴られることに慣れている沖田は平然とにぎり飯を食べ出したが、周りにいた隊士たちは沖田が斬られるのではないかと冷や冷やしていた。


「見廻組も捜索に加わっている。京から脱出できるはずがない。やつは京の町のどこかにいるはず。なぜ見つからん。雲のように消えたのか、歳よ」

 新撰組隊長・近藤勇が土方に嘆くように言った。

「これだけ探して見つからないはずがない。もう少し捜索の範囲を広げるか」

 土方は苦々しい顔で近藤に言った。

「そうするか、取り逃がすにはあまりに大物じゃ。それにあの男を生かしておいたらこの先何を仕出かすかわからん。どんな手を使ってでも見つけ出して、拘束する必要がある。それに聞きたいことも山ほどある」

 近藤は土方の提案に賛同した。捜索範囲を広げると言うことはそれだけ網の目が大きくなると言うことであり、捜索に充てる人員を増やす必要がある。しかし現状は全隊士を捜索に回していて、さらなる増員などできるはずもない。隊士たちの負担は増え、大きくなった網の目を掻い潜って逃げられるリスクも伴うが、それでも彼らにとって逃がす訳にはいかない相手だった。


「歳さん、さっき永倉さんから聞いたんですけど、池田屋で取っ捕まえてきた長州藩士を拷問したら、桂が囲っている芸者がいるって吐いたらしいですよ」

 沖田がずぶ濡れになった羽織を脱ぎ捨てて、裸のままにぎり飯を頬張りながら世間話でもするかように土方に言った。

「はぁー、何だとぉ、何で今まで黙っていたっ!」

「いやいや、さっき戻ってきて聞いたばっかりですよ。怒るなら永倉さんに言ってくださいよ」

「あいつはいつから知ってた」

「知りませんよ」

「どこの芸者だぁ」

「だから、知りませんって」

「だれかっ、永倉を呼んで来い!」

 激怒する土方に、沖田はいつものように飄々としていた。


 二番隊隊長・永倉新八の話によると、池田屋を襲撃した際に斬り合いになり、傷を負わせたものの生け捕りにして、屯所に連れて戻った長州藩士から桂の立ち回りそうな場所を聞き出そうと拷問にかけた。長州藩の武士は頑固で忍耐強い気質があり、永倉はなかなか口を割らせることができず、拷問する方が疲れるくらいだった。しかし激しい拷問の末、桂が入れあげていた芸者が「瀧中」という置屋にいることを聞き出すことができた。

「わかった。わしがその置屋に行く。総司は一番隊と共に一緒について来い。歳と二番隊はここで待機していろ。山崎はおらんかっ、山崎に道案内をさせろ」

 近藤が自ら手勢を引きいて屯所を後にした。山崎は主に諜報を担当していた隊士だが京や大阪に土地勘があり、町の隅から隅まで知り尽くしていた。道案内には打って付けだった。


 池田屋襲撃事件は一八六四年七月八日に勃発した。池田屋とは京都三条木屋町にあった旅館の名である。当時、江戸幕府に対抗する尊王攘夷派の活動が活発化し、幕府転覆を企む長州藩、土佐藩、肥後藩を脱藩した浪士たちが、クーデターを起こすべく池田屋で会合を開いていたところを、幕府側の警察組織として編成された新選組が襲撃した。先にも触れたがこの情報を事前に掴み、手引きしたのが山崎だった。襲撃の夜、いち早く池田屋に到着した近藤隊は会津藩からの救援が遅いことに業を煮やし、無謀にも沖田、永倉、藤堂平助の四名だけで二十余名の剣の手練れたちの中に突入した。新選組の四名は一歩も引くことなく戦い続けた。近藤は獅子奮迅の戦いを見せ、長州藩士たちを斬りに斬りまくったが、他の隊士らが負傷し始め絶体絶命の窮地に立たされた。そこに土方が率いる救援部隊が参戦し、劣勢を一気に跳ね返すことに成功した。新選組の奮戦の前に攘夷派は多数の死者を出した。この事件で長州藩士たちの幕府側に対する恨みが深まり、次の火種を生み、明治維新へと一気に加速していくことになるのである。


 この物語の主人公である桂小五郎も、この池田屋襲撃の時にその場に居合わせた一人であった。しかし桂は新選組の突入にいち早く気づき、戦闘をするまでもなく池田屋を脱出し、近隣の長屋の屋根伝いに逃走した。静寂の夜をつんざく大騒動に引き寄せられるようにした集まってきた町人たちに、桂はその姿をしっかり目撃されていた。山崎は池田屋の周辺にいた町人たちにいち早く聞き込みを行い、逃走者は屋根伝いに逃げた男以外にいないことを確認すると捜索はすぐに開始された。逃げた男はだれなのか、割り出されるまでに時間はかからなかった。斬り殺した死体と生け捕りにした者の顔を検めたところ、新選組が最もマークしていた男、桂小五郎がどこにもいないことがすぐに発覚した。桂は京都を起点とし、同志たちを先導し、尊王攘夷活動を着々と推し進めていた、言わば幕府にとっては憎むべき大罪人であった。新選組としては痛恨の失態となった。幕府側の警護を担う会津藩、新選組同様に組織された治安部隊である見廻組も捜索に加わり、京の町中を隈なく探し回ったがなぜか見つけ出すことができなかった。


 桂小五郎。剣豪にして政治家、世間から「逃げの小五郎」と呼ばれた。頑固で愛想がなく、思慮深いがいざとなれば大胆な行動を起こす。それに極めて正義感が強い。明治維新十傑の一人に数えられ、幕末の勤王の志士として三百年近く続いた徳川幕府体制を翻し、近代日本の礎を築いたと言っても過言ではない。この男がもし池田屋で殺されていれば、今の日本は異なる国になっていたかもしれない。それほどまでに後世に影響を与えた人物である。

 彼はなぜ仲間を置き去りにして逃げたのか。そのようなことが平気でできる人物だったのか。そんな男が幾多の苦難を乗り終えて、日本を改革する大偉業を成し得たのだろうか。    

 この物語は池田屋襲撃の後に起こった数奇な出会いから始まる。

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