蘆花⑤ Girls Side
私の親友、鈴が分かりやすく恋をした。相手の名前は海藤洋一。
もちろん最初はナンパと聞いて警戒した。正直ナンパするようなタイプには見えなかったけど油断は禁物。というかなんで鈴はこんなのに気を許してるのか。
それだけで鈴を心配する理由は充分だ。
「隠岐戸さんってひょっとして誰にでもあんな感じ?」
「そうよ。鈴は誰にでもああだから勘違いしないように」
ただ、本人はそれを分かっていないようで拍子抜けする。
一応釘を刺しておくけど鈴があの調子じゃ効果はあってないようなものだ。
でもまぁ、出会った経緯を聞いたらそれも仕方ないのかなと少し思う。確かにその瞬間だけを切り取れば羨ましいなんて感情も湧くけどそれで日常の大部分が失われるんだからそんなこと思っちゃいけない。
ゴールデンウィーク、鈴は誰とも出かけなかった。
右足を失う前はこの時期クラスメイトと用事がないことなんて一度もなかったのに、気づかない内に寂しい思いをさせてしまった。
多分クラスの娘達は鈴が何をできるか知らないから誘い辛いのだと思う。
だから水族館くらいなら普通に行ける事を証明するために鈴と一緒に遊びに来た。
これを切欠にしてクラスに馴染んでほしい。
そんな願いを胸に秘めて挑んだ水族館で鈴に嫌な思いをさせてしまった。危うく鈴が二度と出掛けてくれなくなるところだった。
その場を救ってくれたのが彼なんだそう。
なんで鈴がナンパを受けたのか分からなかったけどこれを聞いたら納得だ。
鈴と四六時中一緒にいることはできない。それを痛感した。
私一人だとどうしても限界がある。鈴を一人にしてしまった罪悪感を振り払いながらそれをひた隠す。
彼は鈴の力になってくれるのかな。
一緒にいて楽しそうだったし何より鈴の手をとって歩ける人が現れた幸運を逃したくはない。
「あ、でも次からは服装くらい気を遣いなさい」
それはそれとして、鈴が紹介しやすいように外見くらいは整えてもらわないとね。
私達だけなら別に構わないけど女の子にはちょっと事情がある。イケメン過ぎても駄目だけど見目が悪すぎるとクラスの娘に舐められてしまう。彼の良さがそんなことで霞まされるのはちょっと嫌だ。
彼にそう言ったからという訳ではないけど私も新しい服がほしくなったので翌週に鈴を連れ出してショッピングモールへ赴いた。
ほっとくと出不精になりがちな鈴を連れ出す良い口実になると思ってのことだったけどそこに彼も来ていたのには驚いた。
てっきり通販とかで済ますタイプかと思ってたけど違ったみたい。私が指摘したのが日曜日で次の休日が今日。一人で水族館と聞いた時は信じられなかったけどそれも納得の行動力だ。
「無理無理。女の子と5秒も目が合うとそれだけで
この人は馬鹿だと思う。
目を合わせるだけで恋に落ちるなら世の中カップルだらけになってしまう。
でも、浮気性の人間かは早めに確かめておこう。鈴と付き合うつもりなら遊びは許さない。普段なら鈴の人を見る目を信用するのだけれど浮かれてる今は疑わしい。
私がしっかりしないと。
彼に一歩詰め寄り袖を掴んでこちらに体を向けるように力を込める。
「こっち見なさい」
1秒。
私は女子の間で背が低い方、彼は普通と少し高いの中間くらいでそこそこ差があり、必然見上げる形になる。
ちょっと距離が近かったかもしれない。
だけど今さら
キョトンとした表情がちょっとかわいい。
2秒。
顔立ちは、……しっかり見ると意外に悪くない。
髪は寝ぐせくらいは整えましたといった感じ。
容姿で評価できる部分はあんまりないけどこれから女の子受けを狙ってハマればまぁ見れるようにはなると思う。そう思えばこんな無頓着な格好は今しか見れない特権になるのかな。
3秒。
5秒って意外と長い。
目を見ることが珍しい訳じゃないけど黙って見つめ合うだけというのは思っていたより難しい。
まだなの? やる事がないから彼に意識をむけ続けるしかない。せめて何か会話があったらもう少し自然に振る舞えるのに。
4秒。
少し微笑みかけてみる。
彼も気づいたようで笑顔を返してくれた。ちょっと嬉しい。
心を通わせることができた感じがする。
最初の顔よりこっちの方が断然素敵。
「はい5秒。どう? 鈴の分リセットされた?」
……。
…………。
~〜〜~~~。
馬鹿は私の方かもしれない。
勢いに任せてすっごく恥ずかしいことをしてしまったことを自覚する。
熱くなってしまった顔を隠すように彼に背を向けた。
前言撤回。
目を合わせるって確かに恋の魔法だ。
いやいや。
そんな訳ない。
彼の服を選んでいる内に舞い上がってしまった心を鎮めることに成功した。
でも反動で彼に対して言葉が冷たくなってしまったかもしれない。
これじゃあただの八つ当たり。鈴が私の所為で嫌われてしまっては元も子もないのにどうしてこうなってしまったのだろう。
まったく、鈴を守ろうとしてこの
男の人と今まであまり関わって来なかったのにどうしてできると思ってしまったのだろう。
でも特に文句も言われず、むしろ良い雰囲気で彼の服選びを終えることができたのは彼の器の大きさ故のこと。冷たく言われて喜ぶ人がいるとも思えない。
彼の服を買ったあとは鈴の発案で私達の服選びに付き合わせる。
私達も基本的に自分達がしたい格好をしているだけだから男の子受けというのは分からない。鈴が彼に気に入ってもらえるようなファッションを探るいい機会だ。
だけどミニスカートを手に取ったのは正直意外だった。
確かに中学の時の鈴は制服のスカートを短くしていたけど今の鈴は違う。
「足、こんなだからさ。短いスカートは抵抗あるの」
その理由ははっきりしている。
足を切断する前と後で、鈴の好む格好はガラリと変わってしまった。
「パンツスタイルもいいけどたまにはこんな感じの可愛い恰好も良いなぁ」
「「っ」」
鈴の言葉が胸に刺さる。
足を失う前はよくこんな格好だった。
変わったのはやっぱり私の所為。
……駄目!!
ここで私が罪悪感に苛まれていることを鈴に悟られたら負担になっちゃう。
幸い鈴は彼と親しそうに話しているのでまだ気づかれてはない。
今の内に心を落ち着けないと。
大丈夫。この程度いつものことだ。
「だ、そうだよ。田代さんも何かスカート系穿いてみたら?」
「お、良いねぇ。蘆花って普段スカート穿かないから私も見てみたい」
「ちょっ」
口を出せない間に何故か私までミニスカを穿く羽目になっていた。
私だって本当はこんな感じの可愛い格好もしてみたかったけど、鈴が穿けないのに私だけ隣で見せびらかす気にはとうていなれなかったからもう縁はないと思ってた。
「え、そうなの? 絶対似合うのに」
「似合わないっ。絶対穿かないからね!」
いきなり転がり込んできたチャンスに動揺してつい否定してしまった。
ううん、ここはこれが正解。
ここですんなりスカートを選んだら鈴に気を遣ってスカートを穿いてなかったことがバレてしまう。不自然な行動はできるだけ避けたい。
実際ミニスカートなんて穿かなくなって久しいからすっごく恥ずかしいし嘘じゃない。しかも男の子の前だ。即座に覚悟は決まらない。
でもでも、鈴がスカートを穿く以上私だけ穿かない理由はない。
鈴と一緒に可愛い格好をできる日が来るなんて、彼には感謝してもしきれない。
水族館で彼に買ってもらったメンダコを抱きしめながらツーショット写真を振り返る。
私の部屋の一番新しいぬいぐるみはなかなか愛嬌のある表情をしていてもうお気に入りになっていた。
「今日はありがとうね」
本当は直接彼に伝えたい。
でも、もしそんなことをしてそれが鈴に伝わってしまったらきっと無理をさせてしまう。
鈴に"普通に"過ごしてもらう。
それがあの日から変わらない私の使命だ。
そんな中突然現れた彼は私じゃできなかった欠けを埋めてくれた。
彼ならひょっとして、私以上に鈴を幸せにすることができるかもしれない。
「ねぇ、貴方は鈴の特別になってくれるかしら」
この場にいない彼の代わりに
彼と一緒にいることは楽しいし、彼も無理なく楽しんでくれているのが分かる。
可愛いと言われ続けて嬉しさより照れが勝るけど一緒にいて心地よい。
……同じクラスだったらもっとお話できたのに。
そんな不満もあるけど仕方ないものは仕方ない。
朝、一緒に登校するようになって毎日がにぎやかになった。
あまり接点がなかったはずなのに、今日の偶然でまたちょっと仲良くなれたことを嬉しく思う。
なんて考えていたらその彼から連絡が来た。
>今日は楽しかったです
>今度は二人きりで遊びに行きませんか?
なんで私? と思ったけど靴を新調したいのだそう。
一瞬ドキッとしてしまった。
デートに誘われたと勘違いしてしまったからだ。
そんな訳ないのに恥ずかしい。無愛想で可愛げのない自覚はあるのに自意識過剰だった。
彼はすぐに可愛いとお世辞を言うから気をつけないといけない。男の子に耐性のない私はそれだけですぐに舞い上がってしまう。
「危ない危ない。明日もこうならないように注意しないと」
確かに鈴相手だと靴を買いに行こうと誘うのは心理的にすごく難しい。
いつかは乗り越えてもらわないと困るけど最初くらいはサポートが必要だと思う。
義足だとスリッパみたいに履けないタイプの靴があることも言っておこう。鈴は意地っ張りなところがあるから喧嘩しないように先に打てる手は打っておくつもり。
鈴のためにおしゃれを頑張るのなら私はうってつけの相談相手になる。彼もそれが分かっているから私に声をかけたのだ。
「でも、せっかくだから……ね」
つぶらな瞳でこちらを見つめるメンダコに言い訳をしながら明日着ていくための服を選ぶ。
彼の服は絞り込める。今日買っていた三着のうち、一着は今日既に来たから除外。確率は二分の一。
彼の隣に立って似合うような服はどれだろうか。
持っている服をベッドに並べて吟味する。
「これは礼儀とかそういうのだから。可愛いって言ってほしいとかじゃないの」
メンダコどころかペンギンの親子にも呆れられた気がしたけどぬいぐるみの表情が変わる訳ないので気のせいだ。
「はい。あーん」
――パクッ
あまりにも自然にスプーンを差し出してくるからつい恋人みたいなことをやってしまった。
スプーンに歯が当たる感触があり、舌と上唇で苺とクリームをなめとったら空になったスプーンが現れる。
言い訳をさせてほしい。
甘い雰囲気に流されたのはある。
だって彼が何度も私を可愛いというのだから勘違いしてしまいそうになる。
いやいや、彼の所為にしてはいけない。お世辞に決まっているのにすぐに本気にして、迷惑に違いない。
さっきから私の感情はかき乱されっぱなし。
彼と間接キスをしてしまった。
だけどこんなもの、気にしなければノーカンにできる。
私の方はもう記憶に灼きついてしまったけど私のことなんて今は二の次。
忘れてはいけない。
鈴は彼のことが好きで、彼もきっと鈴が好きで……。
だから私は二人を応援すると決めたのだ。
「あ、鈴には義足のこと話題に出さない方が良いわよ。あの娘、障害者扱いされること嫌いだから」
「覚えとくよ」
「ま、女の子扱いされるのは好きみたいだから水族館のときと同じように接すれば良いわよ」
私は気にしてないから貴方も気にする必要はないと態度で示す。
赤くなった顔を隠せているかは疑問が残るけど指摘されてないということは大丈夫だったんだと思うことにした。
「実際普通と変わらないもんね」
「そう、その意気よ」
こんなこと思っちゃいけないけど、やっぱりちょっとだけ鈴が羨ましいな。
「改めてオープンキャンパスおつかれさま」
「おつかれさま」
義肢装具士になるための学校で彼に会ってびっくり。
その帰りに行きたかったカフェに寄ってスフレパンケーキを食べる事になった。
彼は結構甘いもの好き。
男の人って甘いものが苦手な人もいると聞いていたけど彼には当てはまらなかったみたい。たまご焼きだって甘く味付けしていたし、この前のパフェだって美味しそうに食べていた。
……パフェ?
甘い記憶が甦る。
だめ!
また、あの。あーん……とかされてしまうと断れる自信がない。
なんでか分からないけど避けないといけない。このままズブズブいくと引き返せなくなる。
なんとか先にシェアすることに成功し、先んじて理由を潰すことができた。
でもこれはこれでなんか、良い。
一人だと二種類もケーキを食べきれないしそもそもお店に入る勇気すら出ない。
だからこの時間は彼がくれたもの。
話は鈴についてのことだから彼はそういうつもりじゃないことは分かっているけどやっぱり心は弾む。
おしゃれなカフェで、綺麗な皿の上に乗った華やかなパンケーキを口に運ぶ。ベリーの酸味と甘くてフワフワな生地が味覚に幸せを伝えてくる。店内には静かな曲調のピアノ曲が流れていて、カトラリーも家で使うようなものよりワンランク上のもの。コルクのコースターには可愛い犬の絵が書かれている。テーブルクロスは暖色系で、椅子も背もたれの部分の意匠が凝っており座り心地も良い。
そして目の前には格好良い男の子がいて楽しくおしゃべり中。
鈴と付き合ったらもう二人で来ることはできないのだからせめて今くらいはこの時間を楽しんでも
またこんな感じでカフェ巡りに付き合ってもらえないかな。でも鈴に悪いなぁ。
視線が合った。
顔が自然に綻ぶのを感じる。
「いや、美味しいね、って」
「そうね。幸せの味がするわ」
今がずっと続けば良いのに。
そんな願いを抱いてしまうくらいには絆されている。
だけど……
だから……
だって……
「その顔、しない方が良いわよ」
「え?」
「その、足を失って無念だったに違いないという顔よ」
――パンッ
彼は鈴に一生懸命だ。
赤くなった頬がその証明。
改めて、すごい行動力だと思う。
私はここに来るのに随分と迷った。今になっても鈴には伝えることすらできていない。
対して彼は出会って間もないのにもう義肢装具士になるための一歩を踏み出してる。
この行動力があるなら鈴とくっつくのも時間の問題。
彼は今まで知らなかった世界に平気で飛び込む勇気を持っている。鈴のためにこれだけできるなら私としても心強い。
鈴は積極的なように見えてよく分からないタイミングで弱気になる。だから彼の方からデートの誘いが必要な訳だけどこの分だと心配なさそうだ。
……残念だなんて思ってない。
「もうすぐ暗くなるだろうし送ってくよ」
鈴が水族館で女の子扱いされて喜んでいたのを思い出す。
確かに、うん。これは良い気分ね。鈴がデレデレするのも分かる気がする。
溢れそうになる感情に蓋をしながら返事を考える。私から断るのは気が引けるから何か断らなくて済む理由が欲しい。
幸い彼に送ってもらうための理由はすぐに思いついた。
鈴のリハビリで使っている散歩コースを紹介しよう。鈴の話なら彼に退屈させずに済む。
鈴はちゃんと歩いたかな。
昨日は一緒に歩いたし一日くらいサボっても大丈夫。でも連日サボらせるのは駄目だから明日学校が終わったらこっちの道から帰ろう。こういうのは習慣が大事だものね。
「それに田代さんともうちょっと一緒にいたいし」
「調子に乗らないで。近くのコンビニまでよ」
あまり期待させないでほしい。
そろそろ自分を騙すのも限界だ。
「あそこ、アガパンサスが綺麗に咲いているでしょう」
毎日通る道でも少しずつ違う。
鈴のために通い始めた道だけれど今となっては私の方が気に入っている。
散歩するようになって私は私が育った町をもっと好きになれた。
「どうせ散歩するなら殺風景な道よりそこかしこで花が咲いてる道の方が良いもんね」
別に疲れた訳じゃないけど彼との時間を少しでも引き延ばすためにベンチに腰掛けて休憩しながら話し合う。
私の好きなものを彼にも好きになって貰えた。
それはとっても素敵なことだ。
「そうね。だからたまにこうやって時間ができた時はこっちの道を使うの」
「じゃあ行こっか」
立ち上がった彼に手を差し伸べられた。
思わず全て忘れて委ねてしまいそうになる。
いや、右手は私の意思に反して彼の手を取ろうとさえしていた。
「相手を間違えてるわよ。こういうのは鈴にやってあげなさい。きっと喜ぶわ」
水族館での鈴と今の私をどうしても重ねてしまう。
私は鈴じゃない。
彼の好意に甘え過ぎちゃいけない。
「今俺の前にいるのは田代さんだよ」
だけど彼は引き下がらなかった。
鈴が好きなら絶対に出ない言葉。
私のことを好きじゃないと出ないはずの言葉。
どうしても聞きたくて、絶対に聞けないはずの言葉。
「誰彼構わずこういうことをするのは感心しないわ」
「じゃあ、これからは田代さんだけにするよ」
その言葉は……。
彼が何を言おうとしているのかを理解してしまい、ようやく私はとりかえしのつかないことをしてしまった可能性に思い至る。
彼はもう、
「……だからそういう 「今日、楽しかったよ」 」
何もかももう遅い。
既に彼は決めてしまった。
「そう思えたのは一日中ずっと田代さんと居る事ができたから」
私だって楽しかった。
彼と一緒だったから楽しかった。
「田代さんはどうだった? ひょっとして今日一緒に居たのは俺に付き纏われたから? 嫌々だったかかな?」
「そんな事ないわ」
「なら良かった」
楽しくなかったなんて言えるはずない
そんな嘘をついてしまったら、私の心は壊れてしまう。
でもどうしよう。
「今日オープンキャンパスで偶然会えたからその後もカフェとか行けたけど、今度からは約束して会いたい」
今までと種類の違う焦燥。
手が届かないと思っていたから深く考えないようにしていた。
そうじゃないといけなかった。
「田代さんって隠岐戸さんを支えるというよりはただ自然に、当たり前に傍にいるからさ。そういう姿勢に憧れたからこそ俺は今日ここにいるんだ」
今まで浮かび上がる度に封じ込めていた恋心が顔を覗かせる。
成就するチャンスだと、彼の手を取れと私の心が叫んでる。
「誰より可愛くて、誰より格好良くて、誰よりも素敵で、誰より情が深い」
嬉しい。
嬉しい。
嬉しい。
後は私が応えるだけで恋人になれる。
会ったらたくさんお話して、休日はまた二人でカフェに行って、帰りにこうやってお散歩して……
……その間、鈴は?
「俺はそんな田代さんが好きなんだよ」
「ごめんなさい」
彼への想いを自覚して最初の行動は、彼をフることだった。
酷い話だと思う。
叶わぬ恋だと安心していた。
考える必要がないと目を逸らし続けていた。
だからこれはその報いなのだ。
鈴をさしおいて私だけ幸せになってしまうなんてできる訳がない。
「え!?」
状況はさらに悪化する。
鈴に見られていた。
もっと悪いことに、
自分すら騙そうとしていたはずの恋心が筒抜けだった。
「ごめんね。アガパンサスの
鈴に聞かれていたことは予想外だったけど、それよりもっと深刻なことがある。
私が、鈴の声を聞き逃した!?
なにより大事なはずの親友の声が私に届かなかった。
ますます彼と付き合うことなんてできない。
幸せに浮かれた私は独りぼっちの鈴を取り残して忘れてしまう。
そんな私を私は赦せない。
「私の所為なの?」
鈴が彼を好きじゃなかったら、彼の手をとることができた。
「この足の所為なの?」
鈴の足が万全だったなら、彼の気持ちに応えることができた。
「何度も言ってるけど、この足は蘆花の所為なんかじゃないんだよ!!!!」
それでも――
例え鈴の足が私の所為じゃなかったとしても、私は彼より鈴を選ぶ。
正解なんてないのは分かってる。
「田代さん。隠岐戸さんが待ってるって」
人生で初めて授業をサボった。
嘘。
鈴と顔を合わせられなくて学校に行けなかったことはある。
でも学校に来ていながら授業に出なかったのは今日が初めてだ。
「何? 痴情のもつれ? 三角関係なの!?」
一限目にいなかった私。
二限目にいなかった鈴。
喧嘩中の私達は今クラスで注目を集めている。
そして二限目が終わった休み時間に男の子を使いとしてよこしたらどうなるか、分かりきってる。
二人とも度胸すごいなぁ。
彼はどう答えるだろうか。
一応三角関係でも間違いではない、のかな?
というか彼がここに来た時点でその問題になったような気さえする。
どうせ私の気持ちなんて鈴を通してもう知られたはずだ。
「あー。なんかそれすっ飛ばした。ごめんね」
「何がどうなったの!」
普段と打って変わって声を荒げる私にクラスメイトが驚愕の視線を向ける。
こんな大きな声を出したの久しぶりだ。
謝られる心当たりがないのが怖すぎる。
「ねぇねぇ彼氏さん。本命どっち?」
「あー。とりあえず二人が仲直りするまで秘密。どうせなら笑い話が聴きたいでしょ」
「ばか!」
恥ずかしくなって逃げるように教室を後にした。
鈴のところに行く途中、当然のようについてきた彼に訊く。
「ねぇ」
「ん?」
「本当に、笑い話にしてくれるの?」
「ん、んーー」
「はぁ」
申し訳なさそうな態度に思わずため息も出る。
全員が納得する未来はやっぱり無理そうだ。
「怒らないから言ってみなさい」
「いや、隠岐戸さんから直接聞いて」
驚いた自分に少し驚いた。
私が頼めば彼が断わらないと思い込んでいたみたい。彼の好意を無意識に前提にして便りにしてしまっていた。
「俺から言えることは、例え断ったとしてもなんとかするって約束する」
「ホント、何を提案されるのかしら」
何かしらの解決策はあるみたいだけど安心はできない。
いっそ三人で付き合うとかだろうか。
確かに人としてどうかと思うけど鈴が納得するならそれもありだと思う。
私だけ急用で抜けたら鈴と彼で二人のデートだってできる訳だし。
結局聞き出せないまま数学準備室までたどり着いてしまった。
彼は入る素振りを見せないから鈴と二人で話す時間だ。
「でも、もしこの話に乗るなら誓うよ。俺は途中で降りない」
私、何を言われるんだろう。
一限目は私が座ってた椅子には鈴が座っている。
空いている席は彼が座っていた席だ。
少し迷って、結局鈴の正面のその席以外につく理由もなかったからそこに腰掛けることにした。
気にしない、気にしない。
「冷静に考えると授業中に授業いかないって私達だいぶ不良だよね」
「そうね。今までは理由がなかっただけで私も鈴も不良だったのかも」
「こんな感じの青春に憧れは正直あったから否定はできない」
「まさか高校入ってすぐとは思わなかったわ」
お互い謝りもしなければ拒絶もしない。
喧嘩中であることを忘れそうなくらい平和だ。
「今朝一人で学校に来たわけだけどさ、蘆花がどれだけ私を思って行動してくれてたのかは身に染みたよ。いつもありがとう」
「別に、大したことはしてないわ」
「海藤君を諦めることが大したことないって言うなら怒るよ」
「……」
それが嵐の前の静けさであることくらい、分かってた。
だけど言い返せないうちに鈴が折れた。
「良かった。言わないんだ」
「言えないわよ」
意地を張り通すのは不可能。
バレバレだったこともあるけど、彼をこれ以上遠ざける発言ができそうにない。
「その、確認なんだけど、鈴ってやっぱり彼のこと……」
「うん。好き、
……過去形。
私の親友の恋は終わったらしい。
「取り付く島もないくらいきっぱりフラれた。残念だけどこれ以上頑張れないや」
「そう……」
私は酷い人間だ。
その知らせを聞いて真っ先に抱いた感情は安堵だ。
親友の恋を応援していたはずなのに、気が付くと鈴の想い人を好きになっていた。
彼をフッておきながら、まだ私を好きでいてほしいなんて我儘が過ぎる。
「蘆花が海藤君と付き合えない理由、一つ減ったね」
「……」
喜んじゃいけない。
のに……。
「良かった」
「何がよ」
「ううん、気にしないで」
心の内を見透かされている。
でも、昨日みたいに鈴をほったらかして彼と付き合えみたいなことは言わなかった。
「ねぇ蘆花」
「なに」
「蘆花は海藤君と私なら私を選んじゃうんだよね」
「……そうよ」
迷っちゃいけないはずの問いに即答できなかった。
大丈夫。まだ引き返せる。
もともとなかったはずの席が消えるだけ。
……未練なんてない。
「それに人生懸けれる?」
「もちろんよ」
今度は即答できた。
鈴は予想通りといった表情で言葉を続ける。
「私さ、海藤君に唆されることにしたよ」
「どういうことよ」
いよいよ本題。
詳細を知らされずにただ謝られるだけというのは勘弁してほしい。
いったいどんな内容なんだろう。
「私さ、もう一度世界を目指そうかなって。アスリートになるよ」
「っ!?」
中学の時、言ったことがある。
鈴なら世界をとれる。
そんな、まだ世界の大きさも分かってなかった時の言葉は鈴の右足と一緒にひと夏で消えた。
「
つい昨日。
彼とスフレパンケーキを食べている時にぽろっと出てしまった言葉。
その言葉一つで鈴は自分の人生を決めてしまった。
私は鈴に呪いをかけた。
「良いよ。私は蘆花のためなら何だってやる」
「でも……」
「だね。世界は甘くないんだから一人だとこんな夢は見れない」
「そうよ。だから私なんかの言葉で」
「もう決めたんだ。蘆花がなんと言ってももう曲げない。私は世界一になるよ」
鈴が私の心を読めるように、私だって鈴の心は分かる。
本気だ。ここで止めたら今度こそ鈴は私から離れていってしまう。
「でも、できることなら蘆花には一番近くで見ていてほしいし、私を一番そばで支えてくれる人は蘆花が良い」
鈴が立ち上がって机を迂回し私の方まで回って来る。
そして頭を下げられた。
「蘆花の人生を私にください」
昨日の鈴の主張と正反対。この提案にのったら、これからは大手を振って鈴のサポートができる。
今まで障害者として鈴を見たら怒られたけど、それも今日までだ。鈴ができるスポーツは限られている。
甲子園みたいな高校の大会で義足の選手が活躍した前例はあるけど、アスリートとなるなら話は別だ。鈴は下腿切断者としてのレギュレーションで挑戦することになる。
その代わり鈴以外に関わる時間……、例えば恋愛できる時間はなくなってしまう。
彼を諦めることになる。
構うものか。
もともと私は鈴を選ぶと決めている。
彼との甘い時間は無くていい。
「元から私の人生は鈴のものよ」
今までならこんな台詞を吐いたら口を聞いて貰えなくなった。
でも今日から別。
私は鈴の右足、それ以上になる。
「?」
「ここまでが海藤君の提案で、ここからは私のアドリブなんだけどさ」
悪戯っぽい笑みを見て警戒を強める。
絶対何か余計なことを思いついた感じだ。
「私が世界一になるには蘆花の協力が不可欠だけど蘆花だけじゃ私の日常を守ることはできても私を世界一にはできないよね」
「……」
やってみないと分からないけどその通りだと思う。
義足についての知識はそこそこ集めたつもりだけどスポーツに関しては素人。
鈴をどうやって支えていけば良いかすら手探りの状態だ。
「だからまずは仲間集めが必要だと思うんだ。例えば私達のためなら平気で授業サボっちゃうような理学療法士志望の男の子とかいないかなぁ」
ようやく鈴の言いたいことを理解した。
鈴は私が諦めた恋を諦めていなかったらしい。
「もし心当たりがあるなら、蘆花は私のために全力でその人を捕まえなきゃいけないの」
「待って」
「待たない。蘆花の人生はもう私のものなんだよ?」
それとも前言撤回する? なんて表情を浮かべられては返す言葉もない。
「なにせ蘆花の人生もらっちゃったからね。私には蘆花を幸せにする義務があるんだ」
私の幼馴染が不敵な笑みを浮かべて勝利を宣言した。
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